Global a Go-Go vol.2

6.

初めてバンドの転換でDJをした時のことは、セットリストも含めて、いまここにあるノートが記憶を呼び起こす。セットリストを残しているのも、DJについてだけじゃなく、その日のライブ、その日に向けての準備を書き残しているのは、その日だけだ。後にも先にも。というのは、その日、僕の大学の仲間で組んだバンドが、初の主催イベントをしたからだ。そして僕はその日に配られるフリーペーパーと少しの時間のDJを頼まれた。そのイベントがGlobal a Go-Go vol.2といった。JANIE JONESというバンドの企画で、ノートには2003/12/22 と書かれている。場所は渋谷乙(きのと)というライブハウスだった。

フリーペーパーは捨てた。だから当時の僕がバンドを紹介する文章は残っていない。何を書いたかはあまり覚えてはいないし、記憶が大抵そうであるように、むず痒く、稚拙な自分に対する恥などと合わさって、甘美な記憶になっている。音楽は一度鳴らされると、空中へと消えていき、それは二度と手に掴めない。フリージャズのミュージシャンのあるアルバムの最後に英語で呟かれる言葉を、表紙に入れた。

取材で、KING STARというロカビリー・バンドを見に千葉へと行った。

the backhead jettyというモッド・バンドの取材に下北沢へ行った。

NEATというバンドはライブスケジュールがないとの由だったので、新宿の狭いパンク専門のレコード屋さんで7インチを買い、想像した。

AULD JUNK PARADE、彼らを見るために彼らの地元・福井に行った。JANIE JONESのボーカリスト、ベーシスト、ドラマー、それにカメラマンと僕。車で高速に乗って、何時間もかけてたどり着いた福井県のライブハウス。車を停めた先、辺りが真っ暗な中、煌々と光る建物を覚えている。ライブハウスに入ると、たくさんのひとで賑わっていて、AULD JUNK PARADEが始まるのを待っていた。僕は客席のど真ん中にいて、メモを片手にライブが始まるのを待っていた。客席の電気が落ち、照明はステージを照らすものと、バーカウンターやトイレなどの小さな電球だけになる。転換中に流れていた音楽が消え、拍手が鳴る。歌が始まる。演奏が始まる。歌声が深く鳴り響いていく。僕はメモを走り書きしながら、カメラマンに、ステージ真ん前で彼らを撮り続けるカメラマンに、一番後ろからの写真を何枚か撮って、といった。


ライブ後、打ち上げで沖縄料理屋さんに、メンバーと行った。いきなりメモとペンを取り出して、勇んではなしを聞こうとする僕に、JANIE JONESのドラマーがそれを制した。

帰り、彼が言った。G、たぶんインタビューとかするなら、本当のことって、メモやペンじゃなくてさ、雑談の合間にしか生まれないよ。少し、へこんだ。

AULD JUNK PARADEのベーシストの実家に僕たちは泊めてもらった。レゲエ、ロックステディのフィリス・ディロンのレコードがかかっていたのを覚えている。

翌朝、東京への家路の前、彼に連れられて、福井の温泉に向かう山並み。山というより、曇り空の空に向かって強く伸びていく太い木々を覚えている。美しく、逞しかった。

フリーペーパー自体の評判は、散々だった。文章も確かに稚拙でしかなかった。僕は印象論やエッセイタッチ、精神論でしか音楽を語れないのだとよくわかった。感覚論と技術論の間を描けるライターがいない、そこにヒントがあるといわれた。場数を踏んで、出会いを大切にすれば良くなるよ、JANIE JONESのドラマーは言った。満足してはいないけど、ほかのバンドに最高だっていわれたのが最高だよ。

DJはというとここにセットリストがある。写してみよう。

03'12/22 セットリスト

リハ ポップ・グループ シー・イズ・ビヨンド・グッド・アンド・イーヴィル

1 the backhead jettyとAULD JUNK PARADEの間。

バズコックス エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ?

ラーズ タイムレス・メロディ

キュアー ボーイズ・ドント・クライ

スミス ゼア・イズ・ア・ライト・ザット・ネヴァー・ゴーズ・アウト

2 KING STARとJANIE JONESの間。

スモール・フェイセス マイ・マインズ・アイ

ゼム グロリア

マンフレッド・マン (アイ・キャント・ゲット・ノー)サティスファクション

グラハム・ボンド・オーガニゼーション ラスト・ナイト

デタミネーションズ トレイン・オブ・ラブ

スモール・フェイセス オールモスト・グロウン


感想もノートに書いてある。少しだけ、引いてみる。

普通に繋げられた。the backhead jettyのボーカリストがライブ後の控室で、へこんでいたけど俺のかける曲で乗っていたことを僕に伝えてくれた。

DJ中に、特に二回目のセットで、ブースから(乙のDJブースはステージの対面、だから客席はしっかり見えている)、ノリノリのお客さん。

イベントに司会として来ていた男の子に、僕を紹介された時、掛け声が上がった。

DJ中に、このまま、死んでもいいやあって思うくらい楽しかった。


ノートの最後のほうにまとめて綴られた感想に、つづいていくんだな。そこを赤い丸で囲っているペンの後がある。その赤いペンの丸がいつ書かれたか、その時なのかある時点で読み返してかは覚えていない。でも確かに覚えている。そのイベントではまだ面識のなかったcoodoo'sというバンドのボーカリストが、たまたま次のJANIE JONESのライブで初めて喋った時、この間のさ、グローバルで、いかしたDJがいて、黒くてさ、って話し出した時、それ、俺!といったら、お前か!といって、あの時のDJがほんとに良くて探そうとしたといった時のことを。やっぱりフロアで僕のかける音楽に乗って揺れているライブ待ちのお客さんの背中を。もう二度とDJなんてやらないと思っていたけれど、それから1年して飛び込んできた一回だけのチャンス。僕はその後、DJではなくスタッフとしてthe backhead jettyと一緒にいるようになる。coodoo'sのそのボーカリストとは何度もライブとDJで競演することになる。JANIE JONESのボーカリストとKING STARのギタリストが組んだ最高のグッドタイム・ミュージック、最高のロックンロール・バンドのライブすべてを見るようになる。もう死んでも良いや、そんな夜と、この日のために生きてきた、そんな夜が何度も繰り返されて、つづいていくことを。そのときの僕はまだ知らない。

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