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エッセイ

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#青春

どこにもいないひと。

どこにもいないひと。

ふといつものお店で、70代のマダムが、
今日は私がリクエストして良いかしら?
と言うものだから、ぜひ!と、彼女の口から出てくるミュージシャンをYouTubeで流しながら、
お話しする。
市川雷蔵がいちばん好きだ、と彼女は言う。
残念ながら、僕は雷蔵の出ている映画は観ていない。
2000年代が始まったばかりの頃かな?
リバイバルがありましたよねー?
と答えると、そうなの!と身を乗り出して、
彼女は言

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蛍の光りと煙草の火はどちらが明るいのかねぇ?

夕暮れ時、彼女のお姉さんが不意に呟く。
例えば三人と一匹で歩く道すがら。彼女は笑い出す。
彼女たちの飼っている犬のペコちゃんが、僕たちを振り返っては、
また歩き出す。
「お姉ちゃんとGちゃんはあたしの趣味なんだなって、思ったよ」
その晩、僕の小さな部屋で、お布団に寝っ転がって、彼女は呟く。

ふたりで選んだ映画を観ている。彼女はお布団から画面を見上げている。
その彼女の美しい背中を、僕はソファーか

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子供みたいな寝顔だな

大学生活も三年目に入っていた。僕は僕自身の困難を抱えていて、どんどんと暗くなっていった。授業中にパニック発作が出ることが増えていき、狭い教室の、風の吹かない閉めっぱなしの窓から見える、外に逃げ出す自分と、その教室の中で卒倒する自分を想像して、冷や汗が止まらなくなり、誰のことばも耳をすり抜けていき、自分が発する声や身体そのものが現実から少しだけ重力を失っていく。
サークルで新歓がはじまり、同期の部長

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あなたは僕を少年にもどす

大学に入学した僕は、ガイダンス合宿って授業が始まる前に新入生だけで行く千葉のホテルで、たまたま同部屋だった男の子たち4人と、新歓ガイダンスってのに行った。大きな講堂の片隅で、僕らはいろんなサークルの出し物を見た。音楽系のサークルがライブを始めた。ネルシャツにジーンズのラフな格好をした女の子が、ラモーンズの電撃バップを歌い出したとき、横にいたYが身を乗り出したのを覚えてる。赤いワンピースに丸いサング

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急にね、あなたはいう。

君といた時間は、いつも煙草の煙が辺りに立ち上っていた気がするし、君といた時間から現在にかけてが、中村一義が出す曲を時系列でなぞるみたいに過ぎていく。

大学ってところは、入学したあと直ぐに仲良くなる友達とは、割と早い段階で、挨拶を交わして通り過ぎる程度の距離に落ち着く。
それでも地方からこっちに出てきて、はじめての一人暮らしをする彼ら彼女たちの家では、夏の試験期間まではお泊まり会があるし、マル

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18歳

陽炎がアスファルトに揺れていた。
向かい側の喫茶店の窓に映る君と僕の姿。
横を向くと、下らない冗談を飛ばして一人で笑う君の指の間に挟まるマルボロ。
キスしたいな。初めて、思った。
僕はまだ18歳で、それが人生で最も美しい季節だとは、いまでも思わない。
二人とも男だったからでは、もちろんない。
二人とも、とても不細工だったからだ。

18歳のときに通っていた予備校は、新宿から中央線で10分のとこ

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映画はひとを狂わせる2

そう、前回書くのを忘れていたけれど、中学から高校にかけて、いまではあまり触れられることのないアメリカ映画も観ていた。好きだったのは、リバーフェニックスのジミー、さよならのキスもしてくれない。ロバートレッドフォードが監督した、普通の人々や、同じくロバートレッドフォード監督のブラッドピットのリバーランズスルーイット。ブラッドレンフロのマイフレンドフォーエバー。のちに、ミュージシャン、ブライトアイズが曲

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行こう!あの夜、彼女がそう言うものだから。

初めての恋人ができたのは25歳の冬が始まろうとしていた季節で、それは人生で最も美しい時期だった。

アルバイトで入ったCDショップに彼女はいた。
入社して2日目、初めて彼女と会った日、僕は彼女と付き合うんだと、直感で思った。とはいえ、慣れない仕事…初めての接客業で、僕は入社してからずっと混乱のなかにいた。そして彼女は彼女で、退社が決まっていた。

店長に命じられて、CDショップが入っていたデパート

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あなたが僕の始まりでした。

思えばあなたと過ごした時間にはいつだって、たくさんのことばが流れていた気がします。もちろん、あなたがミュージシャンだったから、という理由もあるでしょう。友達に誘われていったライブハウスで、あなたのバンドに出会い、そしてそこから一気に、僕はパンクってやつに心を、月並みな表現ですが、心を奪われたのです。下北沢の小さなライブハウスに出向いたときに渡した、僕のバンドのデモテープ。西荻窪のさらに小さなスタジ

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好きだよ、は別れのことばにもなる

20代のはじめの数年間、通いつめた家がある。
週に一度はそこで、始発が走る時間まで過ごしていた。
僕はそこで、フリージャズを知り、プログレッシブロックを知り、マルクス兄弟を知り、マニエリスム藝術を知った。
誕生日に貰った平岡正明の黒い神は、いまでもカバーはなくしたけれど、本棚にあるし、教えてもらった間章の非時と廃墟そして鏡もその近くに並んでいる。
いつもは4人で、ときには3人や2人ででも、そこで音

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僕を見つけてくれたのは。

あれがいつの頃かも、もう忘れてしまった。
朝帰り、家へと向かう路上で、マッチを擦って煙草に火をつけた瞬間に、凛の匂いを冷気とともに吸い込んだことを覚えてるから、冬のある日だったのかもしれない。
天気雨に降られて、電車の通り過ぎるゴーっという音だけが鳴り響く高架下で、時間をやり過ごすために、返信したのを覚えているから、6月の夕方だったのかもしれない。
その子は、パリに住んでいた。
別れが裏切りにも似

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