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ドアを隔てて

昨日の夜、部屋の前で複数人の大学生らしき人たちが、ごにょごにょお話しているのが聞こえた。ピンポンのモニター(あれ何て言うの?)を見てもそこには誰もいない。それにしても、話の内容まで聞こえるほどの声量。

男1「合宿のときのホテルみたいなさ」

男2「あ~あれね」

男1「草津温泉いいよね、行きたい」

女「お待たせ~」

男1・2「おぉ~!(歓喜)」

青春の声だ、と思った。でも、ドア付近に行くと確実に部屋の前でその会話が繰り広げられていて、声の振動まで体に響く。怖い。

一人暮らしはやっかいだ。「自由」の代償に「自己対処」が伴う。もしかしたら怖い集団かもしれない。注意するに越したことはない。電気を点けたままうっすら眠りに就くことにした。

3時頃。大学生たちの声が大きく家の中に響き始めた。家の中を、大勢の誰かが出入りしている。それなのに姿かたちは見えない。不思議と怖くなく「あ、あなたたちだったのね」と思って、深く眠ることができた。夢と現実の合間の世界は、とても優しいのを知っている。

最近ずっと「明日目が覚めなければいいのに」と思う日が続いていた。たまに、こういう波は訪れる。”まったり死にたい勢”というらしい。幼稚園くらいの時からこの感情を持っているので、もうあまり驚きもしない。生きたいも死にたいも、両方とっても大事な感情だと思っている。

そんな夜を越した今朝は、ちょっと心に晴れ間が差して、久しぶりに安穏としていた。雨とともに、心の中の”まったり死にたい勢”も流れていった。昨日の夜、もしかしたら本当に、部屋の前で大学生たちがたむろしていたのではないか、と気になったのでそっと確認しに行った。ゴミの一つもなく、雨だけが静かに廊下を濡らしている。1メートルにも満たない距離にある隣のアパートは、笑ってしまうほどに誰も住んでいないモデルルームになっていた。


それにしても、私も草津温泉行ってみたい。



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