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三番札所 金泉寺 および 四番札所 大日寺 2

 金剛杖が発した言葉を、紅が理解するのに数秒を要した。
「再起動……操縦……」
 紅は濡れた髪をかきあげる。
「そんなことが可能なのか?」
「仏理的には」
 金剛杖が説明する。
「まず機動寺院のエンジンである本尊だが、それは納経帳に梵字として封印した本尊で代用できる。本尊に由来する能力も使えるはずだ。経典は使わずに、ジョンが経を唱えて機動寺院を操縦する。安心しろ、これは機動寺院本来の運用方法に近い」
「極楽寺はまだ動けるのか?」
「脚を二本やられただけだ。残りの四本で十分に動く」
「ジョンの体力は?」
「そこが問題だ。知っての通り、機動寺院を動かすには大量の徳が要る」
「ううっ」
 ジョンが体を起こした。
「ジョン、大丈夫なのか?」
 心配する紅をよそに、ジョンが言った。
「教えてくれ、大師。俺は何をすればいい?」
 カラカラに水を絞り切った雑巾から、更に水滴を絞り出すようなジョンの声に紅は思春期の少女のようなときめきを感じた。


 ジョンは座禅して阿弥陀如来の真言を唱えた。
「おん、あみりた、ていせい、からうん」
 次の瞬間、機動寺院の明かりと言う明かりに日が灯り、寺全体がガクンと鳴動した。
「動いた!」
 そう紅が声を上げるのも束の間、再び寺は停止して明かりが消えた。
「ゴホゴホ!」
 ジョンが咳き込んで畳の上に転がる。超人的な気力と精神力を持つジョンであったが、既に徳を作り出す体力を喪失していた。
「やはり駄目か」
 金剛杖が諦念を含んだ呟きを漏らす。そこへ何者かが寺へ侵入してきた。
「ジョン!」
 レイジである。
「何奴!」
 紅が刀の柄に手をかける。
「仏具屋だ、紅。彼は仏具屋のレイジ」
「紅だ」
「どうも」
 二人は簡単な挨拶を済ませて「馬に乗ってこちらに向かうので、付いてきました。それで状況は?」と、レイジが問う。
「芳しくない。極楽寺を動かそうとしたが、ジョンの体力がもうないのだ」
「そうですか、とりあえずこれを」
 レイジは懐から三本の竹筒を取り出した。蓋を開けるとその中に入っているのは、ホカホカの粥ではないか!
「今朝のやつを温めなおしました」
「でかしたレイジ!」
「さ、ジョン殿」
 レイジは早速、畳に倒れ伏すジョンに粥を勧めた。半ば意識不明に陥っていたジョンは、粥の匂いを感じ取ると、力強く腕を伸ばして竹筒を受け取り、粥を啜り、租借し、飲み干した。
 竹筒にぎっしり詰まった三本の粥を飲み干すように食らったジョンは、完全に息を吹き返す。
「あぶねぇ所だった。助かったぜレイジ!」
「仏具屋が来てくれたことはありがたい。レイジ、極楽寺の修理を頼めるか?」
「やれるだけはやります」
「金泉寺と大日寺はどうなってる? 今頃来てもいい頃だが」
 ジョンが言った。
「僕が来た頃にはまだ遠くの方にいましたが」と、レイジも同意する。
「私の兵士が足止めしているのだろう」
 紅がそう言って、極楽寺を出て外を見る。
「それでもあまり時間が稼げなかったようだが」
 金泉寺と大日寺の巨大すぎる足音が、振動を伴ってジョンの尻に伝わって来た。
「極楽寺の機動には時間がかかる。ジョンは操縦が初めてだし、極楽寺の具体的な損傷も確かめる必要がある」
「私が時間を稼ごう」
 紅が腕をまくった。
「いったいどうやって?」
 金剛杖が疑問の声を上げるが、紅は「私がどうやって鳴門の町を守って来たかを知るがいい!」と不敵に笑う。
「頼むぞ、紅!」
 ジョンが全幅の信頼を込めて放った言葉が、紅を奮い立たせた。紅は機動寺院へ向かって駆けだして行く。

 身長百六十五センチ、しかも左腕を骨折している女が、足を含めると今や全高十五メートルに達しようかという機動寺院に相対するのは、一見、無謀を通り越して幻惑的な光景であった。果たして彼女はいかにして立ち向かうのであろう。
「やあ!」
 紅は馬を早掛けして機動寺院に近づく。それから右手で印を切って、カッと金泉寺を睨みつけると驚くべきことに、金泉寺の機能が一時的に停止して足が畳まれ本堂が地面に下りたではないか。
 このとき金泉寺の内部では明かりと言う明かりがかき消えて、本尊へ祈りを捧げる人々が口の端から泡を吹いて全員が倒れていた。本尊への徳の供給が止まった金泉寺は、一時的な休眠モードへ入ったのである。
 これはどういうことか。
 真空の紅は、かつて修験者であり、山を駆けて妖怪を狩っていた過去がある。その際に彼女は、かまいたちと命の取引をして真空の法を得ていた。これによって彼女は印を切って念じるだけで、周囲の空間を一時的に真空状態にすることが出来るのである。
 ただこれはあくまで一時的な時間稼ぎにしかならない。
 紅の町民を想う心は、機動寺院に取り込まれた人々の窒息死を望まなかったし、全員を窒息死させても本尊を破戒しない限り、人間の使用期限を速め、かえって食われる人間が多くなるからだ。
 本尊を破戒出来るのは、破壊僧だけなのである。
 一時的な休眠モードに入った金泉寺は、すぐに非常事態プロトコルを発動させ、ロボットアーム『木魚』による食した人間の蘇生を開始していた。
「はうあっ!」
 たくましい男性が背中に電気ショックを受けて蘇生する。
「はうあっ!」
 ふくよかな女性が背中に電気ショックを受けて蘇生する。
「はうあっ!」
 足腰の弱い老人が電気ショックを受けて蘇生する。
「はうあっ!」
 金泉寺は念のために足腰の弱い老人に対して再度、電気ショックを試みた。
 再起動する金泉寺を支援するため、ここに来て大日寺が横からガトリング砲を掃射する。紅の愛馬ショウガは、野山を駆ける鹿のように軽やかに飛び跳ねて、仏弾を避けた。
「ハッ!」
 再び紅は真空の法を発動し、大日寺を昏倒せしめる。しかし次の瞬間には金泉寺が起き上がってくるのだ。
 早くしてくれジョン、私は寺に囚われた人間を殺したくはない。
 切実な思いを抱きながら、紅は印を切った。

 一方その頃、ジョンたちは極楽寺の再起動を試みていた。
「おん、あみりた、ていせい、からうん」
 阿弥陀如来の真言を唱え、極楽寺の内部に再度、火が灯る。
「うわっ」
 天井で悲鳴が聞こえた。レイジは天井の穴を応急的に塞ごうとしていた。
 畳の上で正座し、数珠をこすり合わせて鳴らし、合掌するジョンは懐にある本尊を封じた納経帳に意識を集中しながら、機動寺院の念料たる徳を祈りによって生成する。
 機動寺院を動かすだけの徳は、通常の人間が十数人集まってようやく生成されるものであるが仏道の修業を経た僧侶の生成する徳は、たった一人でそれらを十分に賄うことが出来た。そもそも機動寺院の念料生成は僧侶による運用を前提としているため、これがそもそもの姿と言える。
「経を唱え、念じろ。それだけでいい」
 金剛杖が言う通り、ジョンはお経を唱えて意識を集中した。すると不思議なことに、周囲の情報が、景色、音、温度や肌触りまでもがジョンに伝わって来るではないか。
 金泉寺のセンサーが、徳を通じて情報をジョンに流し込んでいるのである。
 実に摩訶不思議な体験であった。ジョンは自分の存在が突然、何倍も大きくなったように感じた。空と山が近く、家屋が犬小屋のように思える。ふと、ジョンは内部に自分の存在を感じた。意識を集中させると本尊に徳を供給し、今現在、祈りを捧げ、こうして考えている自分をはっきりと見て取ることが出来た。
 何だ、これは俺か。こんなにも小さな存在だったか、俺は。
 しかし待てよ、と考える。
こうして考えている俺の思考は、今俺が見ているこの小さな頭脳に由来するものだ。いったい俺とは何だ?
ジョンはだんだん、己の存在が希薄になっていくのを感じた。機動寺院の圧倒的な存在感によって大きくなった感覚に、自我が混乱し始めているのだ。
これはまずい、意識を空に、空にせねば……。
 意識を呼吸に、正座した体に、数珠をこすり合わせる手に、経を唱える口に集中させる。これらの行為は本来に僧侶の心を鎮め、穏やかにするためのものである。それがかろうじて機動寺院から流入する莫大な情報からジョンを守っていた。
「いいぞ、ジョン。足を動かせ」
 金剛杖の指示に従い、ジョンは本堂から見て左側、二本の足を地面に突き立てた。
 金泉寺が大きく傾いた。金剛杖がコロコロと左から右へ転がっていく。
「うわわわ!」
 屋根に上ったレイジがバランスを崩して転倒する。すると金泉寺の内部からロボットアーム『木魚』が伸びてレイジを優しく受け止め、本堂の中へ引き込んだ。
「屋根はもういいからここにいろ」
 壁際まで転がった金剛杖の言葉に「はい」と雨水でぐっしょりの濡れたレイジが頷く。
 ジョンの額に一滴の汗が流れ落ちる。写経における筆遣いもそうだが、彼は繊細なコントロールが苦手なのだ。
 とにかく寺を平衡に保たなければならない。右足を地面に突き立てて立ち上がる、と今度は手前に傾いた。ジョンが前脚を二本ずつ吹き飛ばしたから、重心が狂ってしまったのだ。
 今度は後ろの二本を屈めて、何とか本堂内部を地面と平行にする。
「損傷の具合は分かるか?」
 金剛杖が言った。金剛杖はレイジに拾われて、彼と共にジョンの近くに来ている。
 ジョンは意識を極楽寺全体へ向けた。極楽寺の損傷は、痛みではなく軽い不快感と言う形で認識された。
「まず俺が破戒した前脚二本、天井の穴、正面装甲、落下の衝撃で下部に備え付けられた光線の砲門が損傷しているが、あと一、二発は耐えられそうだ」
「よし、金泉寺と大日寺の様子は?」
 孤独に戦っている紅を想いながらジョンは意識を寺の内部から外へ向けた。二つの機動寺院がまだここを襲撃していないのは彼女のおかげだった。
 しかしジョンの脳内に飛び込んできたのは、金泉寺のロボットアーム『木魚』に捕まれた紅の姿であった!
 金泉寺が咆哮を上げるかの如く軋み、震えた。ジョンの自我は極楽寺と一体となり、四本の足が四股を踏むように順番に地面へ突き立てられた。
「踏ん張れ! 大師! レイジ!」
 極楽寺が金泉寺と大日寺へ突進していく。


 町の住民たちは寺の急襲を受けて裏山へと避難していた。
 最初は極楽寺の襲撃を受けたが、何とも一人の僧侶がこれを破戒して中から住民を救出したらしい。その僧侶は一昨日、霊山寺を破戒した伝説の破壊僧であるという。
 この出来事に人々が信心を取り戻したのも束の間、今度は立て続けに二軒の寺が襲撃を駆けて来た。それで再び、助け出した人々を連れてまた裏山へ避難するはめになった。
 お調子者は間髪入れずに「破壊僧なんて来なきゃよかったんだ」と手のひらを返し、気楽なものは「なぁに、今度も破壊僧様がやっつけてくれるさ」と合掌し、あとの住民は固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
 希望の象徴たる破壊僧はあっけなく敗退して紅に救助され、撤退していった。代わりに紅が抵抗を試みるも、今、彼らの目の前で機動寺院から伸びる不可思議な手によって捕まってしまった。
 そして次の瞬間、破戒されたはずの極楽寺が再び動き出したのである。
「末法じゃあ、末法じゃあ」
 雨粒と共に町民たちの頭の上に絶望が降り注ぐ。顔を押さえてうずくまる女、発狂して木にしがみ付く男、しかし大半はしゃがみ込んで呆然と口を開けていた。
 例外は木の影でぼんやりと親指をしゃぶる、数え年で五つになる子供だった。子供には大人の言うことが分からない。変わった家が動き出し、変なものを発射し、人を捕まえる様子を変なものだとも思わずに見ていた。あの家々がギシギシと動くことが、どうやら大人をたいそう怖がらせるらしい。
 それからボロボロになった家が動き出した。大人は更に絶望を深くさせたが、子供から見れば傷ついた昆虫が必死に立ち上がっているようで、いじらしいものを感じた。子供はあの家が、人を掴んでいる家に立ち向かおうとしていることを直感で察したが、大人がそれを理解しようとしないのは妙に思えた。

 四本の足が大地を揺らし、ぬかるんだ泥と、砕けた木片、石を巻き上げながら金泉寺へ突進を駆ける。更に激しさを増した雨が、周囲の景色を白く滲ませた。
 体にかかる加速度、ジョンの唱える経が熱を帯びる。レイジは柱の一つにしがみ付きながら、来る衝撃に備えて金剛杖をかき抱いた。
 極楽寺と金泉寺が衝突する。
 大衝撃。
 ジョンの体が正座し、合掌したまま賽銭箱の手前まで畳の上を滑った。極楽寺と金泉寺、お互いの屋根に張られた瓦が弾け、壁と柱にひびが入った。
 金泉寺はバランスを崩して後方に転倒、極楽寺のロボットアーム『木魚』が宙を舞う紅を掴み、内部に収容する。気絶した紅が、ジョンのそばに横たえられた。
 大日寺が援護のために仏弾を極楽寺に向けて発射した。
 衝撃で脆くなった極楽寺の壁を、仏弾が貫通した。レイジはとっさに伏せる。
 極楽寺は下部に備え付けられたレーザー砲を大日寺へ向けた。
 ジョンが胸の内に宿る本尊へ送る徳の純度を瞬間的に引き上げる。
 極楽寺が阿弥陀光線を大日寺へ向けて発射する。
 阿弥陀光線は射線上に降り注ぐ雨粒を蒸発させ、水蒸気を噴き上げながら凄まじい熱で大日寺を焼き、本堂を発火させた。大日寺は怯み、手順に従って距離を取りつつ消火作業に移行する。
 炎上したのは大日寺ばかりではなかった。阿弥陀光線の砲門は、たった一発で自らも発火し、炎上したが、ジョンはそれに構っている余裕は無かった。
 金泉寺が衝突の衝撃から立ち直ろうとしていた。ジョンはその本堂を極楽寺の足で踏みつける。本堂の一部が割れて、中から本尊が露出した。
 その一瞬を見逃す破壊僧は存在しない。
 ジョンは正座を解き、対仏ライフルを構えた。極楽寺の全機能がこの瞬間にシャットダウンする。寺を支える四本の足から力が抜ける刹那、ジョンの対仏ライフルは金泉寺の本尊を撃ち抜いていた。
 粒子化する本尊を、ジョンは納経帳を開いて受け止めた。
 金泉寺はここに破戒されたのである。

 極楽寺が金泉寺によって破戒されるのを見た町民たちは、絶望から顔を上げて立ち上がり、再び事の推移を見守り始めた。何の因果化は知らないが、極楽寺と金泉寺、大日寺は敵対しているらしい。あの寺はひょっとすると、我々の味方かもしれないぞ。
 お調子者は「やれい、極楽寺!」と囃し立て、お気楽者は何とかなったかと独りごち、そして大半の者は自分たちも何か出来ることがあるのではないかと考え始めた。


 ジョンは金泉寺を破戒した直後に素早く正座し、合掌して「おん、あみりた、ていせい、からうん」と、阿弥陀如来の真言を唱えた。
 極楽寺が再び起動する。
 間に合え……。
 その間に大日寺は阿弥陀光線によって生じた火災を鎮火し、極楽寺に対してガトリング砲を向けていた。
 次の斉射が来れば、極楽寺は致命的なダメージを負い、その中にいるジョンたちも無事では済まない。しかし相次ぐ連戦、そして阿弥陀光線によって消耗したジョンは、既に純度の高い徳の生成が不可能な状態にあり、極楽寺の出力も低下していた。
 大日寺の砲門が回転する。
 くそっ、駄目か! ここまで来て駄目なのか!
 そのとき、不意に極楽寺の動きが軽くなった。出力が上がる。徳だ! 大量の徳が極楽寺を支えていた。いったいこれはどうしたことであろう? ブッタの粋な計らいであろうか?
 否! 大麻山を見るがいい! そこでは避難した町民たちが手を合わせ、極楽寺へ向けて命がけで祈りを捧げている姿があった! 命がけの祈りが、命がけの徳を生んでいるのだ! 極楽寺のセンサーを介してその事実を知ったジョンは、その健気な姿に涙を流し、感謝した。
 大日寺がガトリング砲から仏弾を発射する。しかし過剰な徳によって強化された極楽寺の知覚には止まっているも同然であった。巨体に見合わぬ素早さでそれを回避する極楽寺。必然的に内部には強烈なGが加わり、横たわる紅が畳の上を転がり、レイジは必死に柱へしがみ付き、ジョンは畳の上を正座したまま滑った。
 だが、それがどうしたというのだ。
「大日寺いいいいいいい!」
 極楽寺が大日寺へ体当たりする。その衝撃はまさしく二軒の寺が融合せんばかりの衝撃であり、事実、極楽寺と大日寺の本堂は砕けて前半分がほとんど一体化した。お互いの賽銭箱は砕けてそれぞれの本堂の中へ飛び散って、衝撃で吹き飛ぶジョンたちの体を、ロボットアーム『木魚』で押さえて保護する。
 ジョンは正座を解いて立ち上がり、大日寺の本尊である大日如来に相対した。
 大日寺のロボットアーム『木魚』が最後の抵抗を試みるも、刀によって切り払われる。
「衆・生・救・済!」
 ジョンは袈裟斬りに本尊を両断し、本尊を納経帳に封印する。ここに大日寺は破戒され、極楽寺と大日寺は同時に機能を停止した。

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