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天才になれないからさ

「あなたの取り柄は誰よりも努力できる頑張り屋さんなところです」
通信簿の先生からのコメント欄も、誕生日に貰うお母さんからの手紙にも、就活のときに友達から集めたわたしの長所にも。小さい時からずっとみんな、わたしを努力家だと褒めてくれた。

頑張り屋さん?何だよそれ。
自分の長所や性格をそんな言葉でひっくるめて形容される自分が悔しくて嫌いだった。


 天才と努力家、どっちがかっこいい?って話を友達としたことがある。その結果は五分五分に分かれるんだけど、わたしは絶対天才のほうが良かった。だって天才は、結果を見てもらえる。
努力の方向がちゃんと正しくて、しかも楽しさまで見い出せる。
好きだからやってるなんて言える余裕がある。
天才だって、もちろん才能だけじゃ結果は残せない。ちゃんと裏で努力してるんだよって分かってるけど、結局は才能の部分が大きいと思ってる。
そう、それが真理なんだ。
才能があって、努力が実るのが天才。だから頑張れば頑張るほど、その努力は花に注がれた水になって着実にぐんぐん見事な花を咲かせられる。

 でも、本当は天才になれなくても良かった。
天才になれないんだから。
それでも、いくら苦しくても楽しいなんて言う余裕が無くても、ちゃんと自分で納得のいくゴールテープを切ってから、やっと努力を振り返れる努力家になれるならそれがいい。
誰もが認める功績が残せないとしても、自分が満足できる結果なら多分許せる。
中途半端に頑張って褒められる努力家じゃないならそれでいい。

「努力賞」がいちばん恥ずかしいと思ってきた。

大賞を取れなくても、優秀賞だって審査員賞だって佳作だってその出来栄えを褒めてくれる。その成果に賞賛をくれる。
でも努力賞は、成果はひとまず置いといて、よく頑張ったねって褒められるのは紛れも無いその努力だ。
成果を残すために努力をしてきたはずなのに、ゴールじゃなくて頑張ったことを褒められるなんて、とんでもなく屈辱だと思った。

 それなのに。わたしが貰えるのはいつだって、努力賞だった。

「よく頑張りました」なんて誰にも言われたくなかった。結果を残せないくせに、でもよく頑張ったよ、ベストを尽くしたよなんて慰めは頭を殴られるよりも痛くて恥ずかしい。
中学生まで通ってたスイミングスクールで前回よりはるかにタイムが遅かったのに貰った「努力賞」。いっぱい練習してやっと書き上げた書道に貰った「努力賞」。
それを手にするのが恥ずかしくて賞状をビリビリに破り捨てた。

 でも、わたしの努力はよく人を引きつけた。
愚直で真面目、手を抜かない。
自分が天才側の人間に一生なれないことは知っていた。

 不器用で、人よりも頑張らないと上手く出来ないことが多いわたしは、実際、周りの友達よりもがむしゃらだった。
高校時代、わたしが在籍していた特進コースは大学受験のための予備校みたいなカリキュラムだった。
毎日18時まで授業があるし、休日は山積みの課題と予習で消えた。テレビで見るJKの青春なんてひとかけらも感じなかった。
でもそれは同じコースのみんな同じ条件で、その中で優劣がつく。
わたしはとんでもなく不器用だった。効率が悪い。
そんなことは自分で嫌ってほど分かってたから、その効率の悪さを時間をかけることと、”努力”と呼ぶ、"がむしゃら"でカバーしようとした。
毎朝誰よりも早く教室へ行ったし、誰よりも遅く帰った。受験生でもないのに、1日10時間勉強するのなんてしょっちゅうだった。でもそれは、努力なんかじゃなくてそうするしか自分を肯定出来なかったからだ。
正直、せめて頑張って必死になってる自分になれば、万が一失敗しても、運が悪かったんだよって慰めてもらえるかもしれないという下心もあった。

 でも、ちゃんと遊んで話題のドラマも毎週何本も欠かさず観ていた同級生はわたしよりもはるかに良い成績をとっていた。周りから見た努力と反比例して成績に伸び悩むわたしにその子が言った。
「なんで?あんなに頑張っていたのにね。」

 当時はめちゃくちゃむかついたけど、むかつきながらも分かっていた。そのセリフを自分に投げかけたかったのは紛れもなく自分自身だった。頑張れば報われると無条件で信じる自分が愚かだ。
ただ頑張っている自分に酔いしれるだけの努力に先生がかける「あなたは毎日本当によく頑張っているね」が呪いだった。馬鹿にすんなよ。頑張ることを褒められることが辛かった。

  結局、志望校に合格できたけど、
いちばん嬉しかったのは、やっと初めて「がんばったで賞」じゃなくて、結果を手に入れたことだ。それは、「"でも"、頑張ったよ。って言われなくてすむ」ということだった。
もちろん失敗したとして、それが頑張ってこなかった結果だとも思わないし、運も縁も信じてるから、結果と努力に必ずの因果関係があるとも思わない。

 でも、自分が納得のいかない報われない結果に
慰めの「がんばったで賞」が、狂うほど苦しい。

 毎日コツコツ積み上げて、泣いたり喜んだり感情の波が激しいそれは、見ていて感情が揺さぶられるドラマなんだ。苦しんでもがいている人ほど応援したくなる気持ちはわたしも一緒で、だから惰性で生温い優しさなんてくれてやるな。

 ここまで書いたけど、わたしは努力が好きだ。
努力する人が好き。とことんこだわる人も夢に一途な人も大好き。
本気の「頑張れ」と「頑張ったで賞」は違う。
暑苦しいのか冷めてんのか分からないけど、生温さがいちばんダサい。

書きたいこともないくせにダラダラ書いて、アイデアも無いくせに「自分なりに」に逃げて、たまに褒められて調子に乗るのクソダサい。

せめて、天才になれないわたしに生ぬるい優しさはいらないよ。


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