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意志が行動を変え、行動が生活を変えてゆく

この世に生まれてから40数年。

ずっと生活してきた東京から離れて、2016年2月16日に静岡県下田市に移住開始。

移り住んでから、すぐに働きはじめた勤務先での仕事を、昨日3月27日で終えた。期間としては一年と一ヶ月ちょっと。長かったようで、短かったような。短いようで、長かったような。

自分の業務が会社サイドからみてどういう評価だったのかは具体的に聞く機会はなかったけど、金額的な条件面ではまったく評価してもらえていなかったわけではない(場所が、東京ではなく下田ということをふまえてみれば)。

仕事自体はつらくて全然こなせないというわけでもなかったし、職場の人たちはいい人たちが多かったから、居心地が悪かったということも特にない(むしろ居心地はよい方であったし、感謝の気持ちすらある)。

それでも今回"退職"という判断を取ったのは、"時間"と"家族"に関することが主であった。

人生80年、とみれば自分の時間はまだ半分ちかくあるともいえる。ここから先の人生が、まだ今まで生きていた分くらいあると考えれば結構な時間は残されている。

けれど、テレビや新聞を見れば、まるで毎日、と言ってもいいくらい、自分と同い年もしくは少し上ぐらいの人たちがこの世を去っている。

自分が、若いころから思い入れをもって聴いていた素晴らしい音楽を奏でてくれたアーティストたちも、だいぶ居なくなってしまった。

そう考えてみると、やはり、時は思うほど長いものではないのね。

組織に属して働く、という選択をする以上、"時間"を"お金"に切り売りしている要素が付随せざるをえないことは納得しているつもり。しかも業種がホテルというサービス業でもあったし。

しかし、妻と結婚をし、娘も生まれた今、なにより家族のための時間は確保しなければいけないし、「自分」という人間もアップデートするための時間も必要だ。

一方で、家族と暮らしていくためにも、自分を磨くにも、お金が必要なのも確か、ではあるのだが。

ただ、そのそれぞれのバランスがこの一年やはりいびつだったなあ、と。

そう心の中で思っている自分がいる以上、そんな気持ちを騙し騙ししながらなんとなく日々の時間を消費しているわけにはいきません。トライ&エラーを繰り返しながら、僕は踊るように活きていくんだよ。

小沢健二の19年ぶりに出したシングル曲「流動体について」で例えるなら、"その時々にできることは 宇宙(=ぼくらの日々の生活)の中で良いことを決意するくらいだろう"的な、ね。

そんなわけで6日間、妻や娘との時間を確保したのち、さっそく新たな職場で働きはじめます。さあ、この先、どんなあたらしいことが待っていて、どんな人たちと出会えるのかな。

時に限りはあるのに、まるで無限の海のように広く深いこれからの日々の生活。多少の怖さはありつつ、それ以上に楽しみが増している2017年の3月の終わりです。

追記:

こんなことを頭の中で考えながら、最後の仕事を終えて、眠った後。目覚めてネットを見てたら、自分が長く愛してやまないバンドb-flowerの再始動の知らせと、2015年の復活ライブの時に演奏された新曲「Another Sunny Day」の歌詞が公開されていた。歌詞を目で追ってたら、思わず涙が出てしまったよ。b-flower、タフになったよな。本当に。オカベーロ氏、天国の岸を歩きながら、喜んでくれているんじゃないかな。

『Another Sunny Day』

早春の晴れの日 光の中 話していた
「こんなのは長く続きはしない」って

レモンティーは冷めて 風の行方がわかんなくて
黙り込む 背の高い草むら

ここから出て行くよ 選べない未来が
そこに壁を成す前に 無駄な恐れは捨て

Boys don't cry 雨を縫って また歩き出そう
ふがいないままじゃ来ないのだ Another Sunny Day

時々 ひとりで目を覚ましては 感じていた
「僕らはいつか壊れてしまう」って
ほとんどのものは真夜中のブルーの中
これくらい 確かなことはない

その手を解かないで 二度と出会えないよ
ここは卑怯な武器だらけの無法の世界で

Girls don't mind どんな場でも 平気な顔で笑ってね

虹が消えた後の冬の空に
もう一度 橋をかけるための淡い太陽になろう

ここから出て行くよ 選べない未来が
そこに壁を成す前に 無駄な恐れは捨て

Boys don't cry 雨を縫って また歩き出そう
つまんない奴には来ないのだ Another Sunny Day
いつか Another Sunny Day きっと Another Sunny Day


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