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ざっくりモンゴル! 草原の秘密|鈴木裕子 ボートック【8】

「あなたモンゴルでも行く?」この一言で、給食のおばちゃんだった鈴木裕子は、在モンゴル日本国大使館の公邸料理人になった――。モンゴルは驚きの連続。価値観がボロボロと崩れ落ち、そして再構築されていくのがなぜか心地良い。
初の著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』でモンゴルの知られざる食と暮らしを紹介し、生きることと食べることの意味について考えさせてくれた著者が、今度は食に留まらない様々な場面で、モンゴルでの気づき、日本との違いをユーモアたっぷりに綴ります。


プロフェッショナル

料理人Aさんは次に注文されていた山羊に取り掛かる。Aさんは流れるような手際でそいつを解体していたが、ふと奥さまを振り返り「さっきの山羊ができたんじゃない?」それはまさに山羊を蒸すと言っていたピッタリ40分後のことで、1分の誤差もない。
これがほんとうに空の教える時間を生きてきたモンゴル人なの? あれもこれもと手を動かしながらも、料理人の中の時計は正確無比だ。そして、一本の毛も逃さないような丁寧な仕事が施された料理は、いつ食べても気持ちがいい。そんなAさんの仕事ぶりはただ単に見事で、美味しく、美しいだけのものではなく、ことモンゴルにおいては稀に見る「職人仕事」だった。
言わずと知れたことだが、日本には素晴らしい職人仕事が溢れている。それはある意味当たり前だ。人の数だけライバルがいて、裾野が広いほどピラミッドの頂点は高くなるのだから。一方、モンゴルにそのような競争社会はない。比較対象がない中で、ここまで仕事の高みを極める人がいる。そのことにわたしは感動する。ほんとうに凄い!! 
仕事を通して自分が自分でいることを楽しむ、その清々しさをわたしはこの名人に感じている。異国の地で、日本でいう職人中の職人にも重なる姿を見られることがとても嬉しい。

モンゴルの人たちはおそろしくなんでもできる。そしてなんでもとても気楽に習得する。その様子を見ると、万能な道具とは人間そのものなんだなと思わずにはいられない。それに比べて、日本人はほとんど何もできないし、しようともしない。
これは暮らしが違うからだ。草原のように周りに人がいない環境では、自分でなんでもできなければ生きられない。頼るものが己しかいない暮らしが人をオールマイティーにする。逆に人が集まれば、自分の代わりなんていくらでも。その集団を生きるからこそ、私たちは自分にしかを磨かなくてはならない。生きる手段は一点豪華主義、それでいて周りのみんなができることもできなくちゃ、知っていなくちゃ……なんてハードな暮らしだろう。
でもだから私たちは何でも外注できる。自分の不足は周りの誰かが満たしてくれる。過密はプロフェッショナルを育てる。これがモンゴルと日本の仕事観の違いにつながっている。

モンゴルの人たちはなんでもできるが、日本人のように上手下手を問題にしないし、時間がかかることにも鷹揚だ。それよりもすべてをできる、する、ということが大切で、不足がなければそれでいい。
日本はどうだろう? すべてがプロの仕事を基準にしているように思える。人が密集して暮らす中で役割分担をし、その先で役割に対してお金を払うから、プロの価値を人に要求するし、される。おそらく過密した社会での良い暮らしとは、高いレベルの技や専門性を買えることなのだろう。それを実現する為に、人はますます自分の稼ぎとなるプロフェッショナルの技を磨くようになる。

自分にできないことを周りの誰かがすばらしいプロの技で叶えてくれる。他人に依存することが前提の日本だからこそ、他人様はありがたく、生活の一部ですらあり、周りがいなくては生きられない。そんな日本人はあれもこれもができない代わりに、努力と経験で自分の専門性を高めることに余念がない。そこからマニアックに突き抜けた技も生まれてきたんじゃないだろうか。技能や専門性というのは、習得に時間やお金や能力の投資がいる。自分の専門に集中すればするほど、他にまわす余裕がなくなるのはいわば宿命だ。

ところで、日本人はさまざまな技を持ちながら、異国に暮らすことを怖がる人が多い。もしモンゴル人のように自分でなんでもできたら、世界のどこでも暮らせるのに。事実、モンゴルの人たちは人生を豊かにするために、言葉も文化も違う国へ気軽に学びに行ったり働きに出たりする。
生活力とは何だろう、モンゴルはそれを教えてくれる。こだわりさえ持たなければ、便利さを自分の力で実現すれば、目の前の人と助け合えば、異国は怖いものではない。それはおそらく誰にとっても同じことだ。そう、わたしにとっても。

焼き石を抱いたボートックは冷めない



鈴木裕子
1968年東京都生まれ。保育園の調理師から在モンゴル日本国大使館公邸料理人に転身。離任後は大好きなモンゴルに健康としあわせを贈りたいと『Japanese chef YUKO’s vegetable and cookbook for MONGOLIANS』上下2巻をモンゴルで出版。2024年にモンゴルで会社を設立、日本とモンゴルを往復する日々。国家資格の専門調理師全六部門を取得した食いしん坊。

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鈴木裕子さんの著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』はこちらからご購入いただけます。