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【新刊案内】シェルパ斉藤の親子旅20年物語(試し読み)

20年以上にわたる親子旅の記録


 私が20代の頃、アウトドアの先達として人気を博していたのがシェルパ斉藤さんでした。月日の流れは早いものであれから30年以上が過ぎ、シェルパさんも還暦間近か。まさに光陰矢の如し、です。そんな昔からの憧れのシェルパさんとご子息・一歩さんの20年以上にわたるふたりの旅の記録を詰め込んだのが本書です。
 最初の旅は一歩さん6歳のころ、そして小学生、中学生、高校生、社会人と、成長の局面でふたりで出かけた親子旅を収録しています。どんどん成長していく一歩さん、そして、同じように親として成長していくシェルパさん。旅を通して深まっていくふたりの絆に、ああ、親子旅っていいなあと、自ら編集しながら何度も思わされました。同時に、自分も子供たちともっと旅に出ていればよかったなぁと少々後悔の念も。
 ふたりのユニークな旅の物語を楽しみながら、親子旅のノウハウや心得なども学べる、ハートウォーミングな1冊。寒い冬の日にほんわりあたたかい気持ちになりたい方におすすめです。(編集担当S)


本書の発売を記念して試し読み「はじめに(一部抜粋)」を公開します。



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<はじめに>

 バルセロナオリンピックが開催された1992年7月。僕は作家になり、父親にもなった。
 小学館のアウトドア雑誌ビーパルで連載していた東海自然歩道踏破の紀行文を出版したタイミングで、妻が長男を出産したのだ。
 初の著作は東海自然歩道踏破に費やした歩数から『213万歩の旅』と名づけ、長男は『一歩』と名づけた。
 僕は父親になる自信がなかった。
 子供ができたと妻に告げられたときは、喜びの表情を妻に見せたものの、内心はうろたえていた。父親になることが怖かった。
 僕は子供が苦手だったし、実父は家族を捨てて夜逃げした過去があり、その血が自分には流れている。『シェルパ斉藤』のペンネームでビーパルに連載を持っていたものの、明日の保証もないフリーランスの身である自分が父親としてやっていけるか、不安を感じていた。
 妻の出産につきあい、生まれたばかりの息子をこの手で抱いたことで父親になった実感は得られたが、その不安は払拭できなかった。
 僕は旅に出た。産休に入った妻が一歩を連れてしばらく実家で過ごすことになり、僕はそれに乗じて日本を飛び出し、北アフリカのモロッコを自転車で走る旅に出たのである。
 いわば現実逃避をしたわけだが、そんな情けない父親の僕に対して妻は「私たちのことは気にしなくていいから、納得いくまで旅をしたらいいわ」と快く送り出してくれた。
 そして何もないサハラの砂漠で何日間もひとりで過ごしているうちに、僕は家族と暮らしたい思いが強くなった。独身時代と違って、長い間ひとりで過ごすことにそれほど魅力を感じない自分に、辺境の砂漠で気づいたのだ。
 1ヶ月の旅を終えて日本に帰り、部屋のドアを開けると、そこには笑顔の妻と、妻に抱かれた生後3ヶ月の一歩がいた。僕の顔など覚えているはずもないのに、一歩は僕を見てニッコリと微笑み、小さな手を差し出した。
 涙が出そうになった僕は一歩を抱きしめた。――

<目次>

はじめに
第1章 はじめての親子旅
   四国・関西をめぐる列車の旅と親子ヒッチハイク
   熊野古道ではじめてのバックパッキングの旅
第2章 九州縦断自転車ツーリング
第3章 ニッポンの山をバックパッキング
   山小屋泊の残雪期八ヶ岳登山
   アメリカの高校生と上高地涸沢トレッキング
第4章 50ccのカブで信州ツーリング
第5章 被災地をつなぐ長い一本道を歩く

   (特別寄稿)24歳、遠くの春、巡礼への旅立ち
第6章 30年目のネパールMTBツーリング
   父親とネパールMTBツーリング

おわりに
初出一覧


<著者紹介>

斎藤政喜(さいとう・まさき)
1961年生まれ。紀行作家。揚子江をゴムボートで下ったことがきっかけで、フリーランスの物書きになる。アウトドア雑誌BE-PALでバックパッキングや自転車、オートバイ、ヒッチハイク、耕運機、犬連れなど、自由な旅の連載を30年以上続けている。1995年に八ヶ岳山麓に移住。踏破した国内外のトレイルは60本以上、泊まった山小屋は130軒以上、テント泊は1000回以上。『行きあたりばっ旅』『世界10大トレイル紀行』『犬連れバックパッカー』『東方見便録』『遊歩見聞録』など、著書多数。