見出し画像

『ロング・ロング・トレイル』全文公開(14) 第四章 東吉流・世界の歩き方 (1/6)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(13) 第三章 アドベンチャー・ライフ (5/5)はこちら


記事をまとめてご覧になりたい方はこちら↓


トスカーナ・ルッカの街並み

 18歳で生まれ故郷の大阪でモデルの仕事を始め、20歳の時に上京して本格的にいろいろな仕事をさせてもらった。「本格的」というのは、仕事の内容そのものより、自分にとって、全国を飛び回ることが多くなったという意味かもしれない。
 大阪時代はスタジオ内で撮影することが多く、遠征といっても時々、小さなファッションショーで地方に行く程度だったが、上京してからは国の内外を問わずに、いろいろなところに行く機会が増えた。そういう機会に恵まれたにも関わらず、ボクはどういう訳か、仕事が終われば、旅先からすぐに東京に戻りたがった。
 それは付き合っていた彼女の存在や、友人の存在が大きかったと思うが、なにしろ若いころからルーティーンのある生活を好む傾向にあったので、不規則な仕事の中で、日常のルーティーンを早く取り戻したいという気持ちもあったと思う。
 ところが27歳のころに仕事が激減した。
 これは個人的にも考えられるいろいろな原因があったのだが、もっとも大きな原因は、そのころに出演していたテレビ番組を自ら降りたことで、事務所側と意見が対立して仕事を干されたことだ。当時はお笑いブームで、テレビ番組で多くの芸人さんと共演したが、彼らのテンションに付いていくことができず、番組に出演することが苦痛になっていった。
それで自ら降板を申し出たのだ。
 そのころに時間の余裕ができて、アウトドア・ライフに夢中になり、それがやがて自分の仕事の中心になることを思えば、人生、なにが幸いするか分からない。
 なにしろ、仕事が激減する前は、地方に行ってもすぐに帰京したが、その反動のせいか、30代中ごろに入ると、仕事で地方や海外に行った時には、その後、休みを取って、その地をプライベートで愉しむことにした。
 特にヨーロッパに行った時には、そこに行くまでにも時間を要するので、その後の滞在を存分に愉しむことにした。
 「レイドゴロワーズ」というレースに出場した後には、ギリシャのミコノス島とサントリーニ島でクリスマスを過ごしたし、「トロフィー・ボルビック」というレースに出場するために、フランス中部の街を訪れた時には、その後、プロバンスの村々でグルメ三昧を満喫した。
 クルマのCM撮影でミラノを訪れた時に、撮影スタッフと別れて、そこからフィレンツェへと移動して、トスカーナの小さな村々を訪ね歩いた。
 フィレンツェをはじめとして、トスカーナの村々は、14世紀ごろの中世の面影がそのまま残っており、美しい田園風景の中に、それらの小さな街が点在している。
 フランスのプロバンスはその村によって、建築物など、大きな違いを感じたが、トスカーナの街はどこも中世の同世代の面影を残しており、違うのはその配置くらいである。が、その配置が、その村の個性を見事に発揮しており、どこを訪れても新鮮な驚きを感じ
る。フィレンツェからシエナに向かう道は、「官能的」と表現しても決して大袈裟じゃないくらいに、うっとりするほどにロマンチックである。
 日本、例えば我が隣街でもある勝沼の葡萄畑などは、背の高いところに葡萄の実がなっているが、トスカーナのそれは人の背丈より低いところに葡萄の実がなっており、その広大な葡萄畑を夕刻、遠目に眺めていると、黄金色の大地がどこまでも広がっているように見える。そしてその低い葡萄畑の中に、時折、背の高い細い糸杉の木がニョキッと飛び出し、その黄金の大地に素晴らしいアクセントを加えている。
 いつまでも眺めていたくなるような、そんな美しい田園風景を走っていると、突如として中世の街が現れる。
 シエナの中心地には「カンポ広場」が扇状に広がり、「マンジャの塔」が広場を見下ろしている。
 「カンポ広場」には多くのカフェが建ち並び、そのカフェの店先にテーブルと椅子を並べ、そのテーブルの間を、黒のエプロンをした給仕たちが忙しそうに動き回る。
 もう完全に映画のワンシーンに紛れ込んだ感じだ。
 その情景の中で、自分もカフェの椅子に座り、カンパリソーダの一杯でも呑みたい気分になるが、自分にその資格があるのかどうか不安になる。そう思わせるくらいに、その情景は見事に絵になるのだ。
 給仕たちも、そこでコーヒーや酒を飲む客たちも、おしゃべりをする人々や、彼らが連れている犬さえも、映画のセットの一部のようにカッコよく「決まっている」。
 その「カンポ広場」の表通りのカフェやレストランで食事を摂るのは気が引けたので、ボクは宿の主人から教えてもらった、裏通りの「パペーテ」という店で夕食を摂ることにした。
 イタリアを初めて訪れて知ったことは、「リストランテ」はかなりきちっとしたレストランで、「トラットリア」がカジュアルなレストラン(前菜、主菜を注文しなくてもよい)で、その下に大衆酒場のような「オステリア」があり、ピザなどを食べることのできる「ピッツエリア」がある。
 「パペーテ」は「トラットリア」と「オステリア」の中間くらいに位置するレストランだろうか。
 トスカーナ名物である「豚肉のステーキのサラダ仕立て」を注文する。
 ニンニクでこんがり焼けたステーキが見えなくなるくらいに、バジルやルッコラといった野菜が大盛りに皿に盛られ、薄くスライスされたパルミジャーノが、味にも見た目にもアクセントを加える。

 イタリア料理というと、もっとソースがたっぷりの料理を想像していたが、トスカーナで食べた料理のほとんどが塩と胡椒のシンプルな味付けで、そのどれもが素材の美味しさを引き出した料理である。
 前菜で提供される「コッパ・パルマ」と呼ばれる生ハムは、フランスの「プロシュート」より濃厚で味わい深く、一緒に添えられたイチジクとの相性が抜群である。これを一度食べたら、「プロシュート」とメロンの組み合わせが、とても上品ながら退屈に感じられるのだ。
 トスカーナのレストランや肉屋の店先には、イノシシの頭がディスプレーとして置かれていることが多いが、「コッパ・パルマ」もおそらく豚肉ではなく、イノシシの肉を使っているのではないか?
 シエナでシンプルながら、いろいろな意味で「熟成」を感じさせる料理を堪能した後、今回の旅のメインコースでもあるルッカへと向かった。 
 なぜルッカがトスカーナのメインコースなのか?それは我が娘が、トスカーナに行くというと、ボクに一冊の本をプレゼントしてくれたからだ。

 その本のタイトルは『ルッカの幸せな食卓』。
 美しいルッカの街並みの写真と共に、トスカーナの料理の数々が紹介されている。この本を手にした時に、数あるトスカーナ地方の名所の中でも、必ずルッカを訪れると決めていたのだ。
 ルッカはルネサンス時代の城壁に囲まれた街である。一周約5キロの城壁の上は、並木道の美しい散歩コースになっており、地元の人々がそこを散歩したり、ベンチに腰掛けておしゃべりをしている。
 ボクはどこを旅しても、必ずその地で走ることにしているが、このルッカの城壁の5キロコースは、これまで旅してきた中で、3本の指に入るくらいに素敵なランニング・コースである。
 この城壁のランニング・コースを2周10キロ走り、宿に戻ってシャワーを浴び、街を散策することに。
 城壁に囲まれた石畳の街中は、中世のころに時間が止まってしまったかのように、悠久なる時が漂っている。そこをカスケット帽を被り、古びたスーツを着た老人が、これまた古びた自転車に乗って過ぎ去って行く。フェデリコ・フェリーニの映画の、そのまんまの世界である。
 頭の中にはジェルソミーナの切ない調べが流れ、街角から突然、マルチェロ・マストロヤンニが現れても、なんら不思議ではない世界に紛れ込んでいる。
 一軒の土産物屋に入り、アテもなく店内を見ていたら、変わったワイン・オープナーを見つけた。中世の雰囲気には似つかわしくないほど、そのオープナーはハイテクで、コルクをまったく壊すことなく、見事にワインの栓を開けることができた。
 旅の思い出にそのオープナーを、2500円ほどで買った。
 帰国して、友とワインを飲む時には、そのオープナーで開栓して、旅のエピソードを自慢げに語った。
 が、その半年後、東急ハンズでそのオープナーが1500円で売られているのを見て、愕然としたのであった。


画像1

木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


読めばきっと走り出したくなる。ランナーや旅人の心に鮮烈に響く珠玉のエッセイ集『ロング・ロング・トレイル』のご購入はお近くの書店か、こちらから↓

Kindle版(電子書籍)はこちら↓