「為せば成る為さねば成らぬ何事も」と言えるようになるまで
「私なんか」
見くびられたくないというプライドの高さ、より良く評価して欲しいというずるさ、単純な自信のなさ。相まって「私なんか」という言葉をよく使っていた。
若い頃、そうやって、やりたいこと、気になること、好きな人から逃げてきた。やるべきこと、やらなきゃいけないことは全力で進めるのに、自分に決定権が託された時に怯んでしまう、そんな弱さがあった。
けれど、いろいろな出会いや経験を経た今、20代半ばになってやっと、確信を持って言える。
「為せば成る為さねば成らない何事も」と。
1.沖縄への一人旅
20歳の初春、沖縄へ一人旅をした。
色んな人に出会ってみたかった。色々調べるうちにゲストハウスという存在を知り、泊まってみたい、そこにいる人たちの話を聞いてみたい、そう思った。
当時20歳の私にとって1人で飛行機に乗り1人で沖縄へに行き1人で知らない人たちに関わるということはまさに大冒険だった。
そこで出会ったある人と、その旅を乗り越えたという経験が私に大きな影響を与えた。
2.何とでもなると思えた人との出会い
あるおじさんと出会った。
そのおじさんは当時70歳だった。私の祖父と同じぐらいだ。もはやおじいさんなのだが、ここでは親しみを込めておじさんと呼ぶこととする。
おじさんは見た目からして常軌を逸していた。
私の中のイメージの70歳は、おじいさんらしいどこか年季を感じる洋服を着て、白髪混じりで、パワフルさを失いつつある、そんな年代だった。自分の祖父はまだまだ若々しいが、相場はそんなところだと踏んでいた。
が、おじさんは違った。
ハリツヤのある茶褐色の肌、コシがあり一つに括れるほどの長い黒髪、ユニクロかどこかで売ってそうなシンプルなVネックの黒いTシャツ、シンプルなデニム。その手にあるのは、本ではなくiPadだった。
控えめに言っても若々しいのだ。というか若いのだ。EXILEのHIROの数十年後をイメージした姿そのものなのだ。
と、ここまで書いたのだが、おじさんの凄さは外見ではない。その生活スタイルにあった。
おじさんの趣味はキャンプだという。ある時はキャンプ場で生活し、ある時はゲストハウスで生活するのだと言う。
家は無いの?荷物はこれだけ?郵便物はどこに届くの?お金はどうしてるの?
当時20歳、安定した職の道に進むことを決めていた私にとってはあまりにも衝撃的すぎた。
70歳で定年を迎えていることを考えればお金は工面できていたのだろう。しかし、住居を持たず、何にも囚われずに過ごすという事実は驚いても驚ききれなかった。
そんな衝撃とはウラハラに、おじさんはFacebookを教えてよ、なんて意気揚々と話しかけてきた。70歳のおじさんが20歳の私よりよっぽどFacebookを使いこなしているのもまた衝撃だった。
幼い頃から道は外さず、橋は叩きまくって慎重に渡り、その当時も既に安定した職の道に進むことを決めていた私は、なんとなく「大人はちゃんと仕事をするべき」「自分の家を構えて生活するべき」「年相応であるべき」「誰かの役に立つべき」と考え、そのためには自分も手に職をつけなければならない、その仕事を一生懸命頑張らなければならない、日々を必死に生きなければならない、努力し続けなければならない、そう思っていた。
しかしどうだ。
目の前のおじさんは、家もないし仕事もしてないない。のらりくらり、と言っていいのかわからないが(定年するまできっと仕事を頑張っていたのであろうが)、今を一生懸命必死に頑張っている、というわけでもなさそう。
それでも何だか楽しそうだし、特に困ってないというじゃないか。
驚いた。そんな生き方もあるのか、と本当に驚いた。
しかし、そんな生き方もあっていいんだ、と許された気持ちになった。
だって、このおじさんだって何とかなってるのだから。きっと私も何とでもなる、そう思えるようになった。
3.為せば成る為さねば成らぬ何事も
そんなおじさんとの出会いで自分に許しを得た私は、少しだけ自分を信じられるようになった。
今まで完璧じゃない自分を許せなくて、今の自分を自分の最大だと認めたくなくて、高いプライドを盾に自信のなさを隠しながら、私なんかとチャンスから敬遠していた。
しかし、まぁ、失礼な話だが、言葉を選ばずに言うと、あのおじさんが大丈夫なら私も大丈夫だと思えた。
為せば成るため、為すための勇気と自分を信じる力を少しだけ手に入れた。
また、沖縄に1人で行ったことそのもの、他の成功経験を経て、行動し努力すれば大抵のことは何とか成るということを知った。
だからこそ、今の私は、私なんかと言わずに胸張って言える。
"為せば成る為さねば成らぬ何事"
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