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MONO新作台本創作ノート0

 noteをやっていたことすら忘れてしまっていた。「土田頁」というタイトルで10年以上ブログを書いていて、それを引き継ぐつもりで始めたはずだったのだがすっかり書く習慣がなくなっていた。面倒になっていた。

 くだらない日常の些事を書くのは楽しかった。しかし、日々、流れ込んでくるニュースは気分を滅入らせるものばかりだ。戦争、災害、社会的不正義。日本国内だけを眺めても負を感じるニュースを耳にする機会の方が圧倒的に多い。私が携わる演劇の世界に限っても現場でのパワハラなど問題は尽きない。

 だからだ。

 なにかくだらないことを書こうと思い立っても「さまざまな問題を差し置いてこんなバカバカしいことを書いている場合じゃない」という気になってしまう。そんなことの積み重ねで書くことが億劫になってしまっているのだと思う。雑文を書くことは頭の中の整理に役立つし、自分を客観的に把握する力にもなるのでやっぱりなにか書きたいと思った。

 そこで創作の過程を書けばいいと思いついた。

 これには別の効用もある。ほとんどの劇作家がそうだと思うが、一番の敵は「怠け心」だ。怠けるというより、苦痛を避けるという方が近いかもしれない。アイデアが思いつかずに悩む時間は苦しい。あの辛い状況に身を置きたくない。だからなかなか取りかからない。
 創作の過程を書いてみることでいやがおうなしに台本に向き合わざるを得なくなるのではないかと思った。現在、私が書いているものは4つある。一つは12月に西宮で上演する「神戸の湊、千年の交々」。初稿は提出済みだがまだかなり修正が残っている。次に来年上演予定の舞台。まだ着地していないけれど企画が進行しているテレビドラマ。そして来年の2月から3月にかけて上演予定のMONO

 一番個人作業に近いMONOの創作ノートを書くことにした。外部での仕事だとプロデューサーや周囲の人に対する不満とか出てきちゃう可能性もあるしね。

 で、MONOだ。設定は決まっている。おぼろげながらストーリーの輪郭も見えている。
 今回は二つの世界を行き来する構成にしようと考えている。一つはコントのようなもの、もう一方は深刻な話。それぞれ時代も違う。予算の問題もあるができれば現代と江戸時代。その二つが交錯することで全貌がわかる試みだ。「タショウノエン」というタイトルも「多生の縁(「他生の縁」とも書く)」からきている。前世などの因縁が現世につながるという意味なので内容にも沿っている。カタカナにしたのは、少しの因縁という含みを持たせたかったんだろうね。「多少」ともとれるように。実際「多少の縁」だと勘違いしている人も多いみたいだし。
 一年以上前に考えたのでその辺りの記憶は曖昧だが、これはダメだね。単純すぎるし、伝わらないし、さらには音もよくない。これで行こうという気分にはならない。

 けれど……明日までに決めなければいけないのだ。

 ということで、創作ノートにもなっていないので「0」ということにして、タイトルが決まったら続きを書こう。

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