様々なものを直す
気分が滅入る。コロナが最も大きな理由だけれど、それによって顕在化する社会の矛盾を目の前にしていることが辛い。霞んでいた常識の輪郭はもう見えなくなってしまった。社会の底が抜けてしまったようで、理不尽なことがすでに当たり前に存在し、腹が立って仕方ない。けれどその感情にすら自信が持てない有り様だ。私の作劇法はかなりオーソドックスで「日常だと思われるもの」や「常識とされているもの」にフィルターをかけてフィクションを創る感じなのだけれど、すでにその正体が掴めなくなってしまった。もちろん書くものもあるので、できる限り踏ん張ってはいるんだけどね。
しかも人に会うことを避けているので、毎日が面白くない。刺激もない。おしゃべりは生きがいの一つだったのだと改めて知った。人に会わずにできることで何か楽しいことはないのか? 元々レザークラフトやDIYが好きなので、そっちの方向で考えてみるしかない。
『浴室の壁をダマスク柄にして、モールディング材を天井周りにつける』。これは前々から思っていたことなのだが……いやいや、大変すぎる。濡れても大丈夫なモールディング材は随分と前に購入してあるんだけど、やり始めたら1日では終わらない。これは仕事もあるし無理だ。もう少し簡単にできることにしないと。
昔友人からもらった置き時計。SEIKOの前身である服部時計店が『精工舎』というブランドで作っていた頃の目覚まし時計だ。ゼンマイ式。けれど頻繁に巻かないといけないし時間は正確じゃないし音もうるさい。なので使わずに放置されている。……そういえば使っていない時計がもう一つあったと思い出した。こっちは今の時計だけれどデザインが気に入らず引き出しに放り込んである。よし。どちちも生かすために中を入れ替えよう。これは楽しいはずだ。やや苦労はしたものの無事に終了。
正確に動くし音も静かだ。作業時間は1時間未満。欲求不満のままだ。いや、黙って仕事しよう。……いやいや、もう少し何かないだろうか? やりたいことと言えば浴室の……そんな時間はない。仕事もあるのだ。合間にできることにしなければ。簡単なこと。それでいて満足できること。
仕事の時に使っていたお気に入りのマグカップだが、落として底の部分を割ってしまった。あれ以来、同じものを探してみたけれどなかなか見つからずにいる。割れた時の破片も置いてあるが捨てないとなと思っていた。あ、そうか、あれを修復してみよう。
陶器用のボンドで破片を接着し、隙間をパテで埋め、絵付け用の塗料を上から塗る。乾かしてからオーブンで30分ほど。見事に復活した。パッと見では割れたところも分からない。
ま、裏返すとわかるんだけどね。ここも塗っておけばよかった。
よし。時計もマグカップも直った。お楽しみは十分だ。さて、仕事をしよう。物語の構成を考えないといけないのだ。直したマグカップでコーヒーを飲みながら紙に流れを書き出してみる。
……ああ、紙が小さい。しかも何度も書き直す。大きなホワイトボードでもあればいいのに……。
あ。そうか。あればいいんだ。
それをやろう。少しだけ生きる希望が湧いてきた。麻の着物をもらったので夏まで生きていようと思ったと太宰は書いたがそんな気持ちだ。締め切りはあるけどこれこそ仕事の為だし。そう思うと罪悪感が少なくなる。私はアンティーク好きなので、ホワイトボードより断然黒板がいい。早速、ネットで大きな黒板を探してみる。うわ、大きくなると結構な値段だ。お、この黒板シートはどうだろう? 二枚つなげればそこそこな大きさになる。翌日、すぐに届いたので壁に貼ってみる。けれどこれがなかなか難しい。すぐシワになり、無理すると破れたりする。こういう時に一人だと困る。基点を決めて貼り、平行を取ろうとしてると最初のところがペロンと剥がれてきたりする。苦労して苦労して苦労して……貼り終わったものの……かなり斜めになってしまった。しかもだ。途中からはつなぎ目に隙間もできてしまっている。
どうしよう? 貼り直す気力もない。直したらまた破れたりするだろう。斜めになった部分をカットするしかない。しかし壁にシートが貼ってあるだけというのは間抜けだ。細いモールディング材が余っている。それで枠をつけ、ゴールドで塗り、周りをカットした。できた。予定よりも1/4ほど小さくなってしまったがまあよしとしよう。
しかし……時計を見て焦った。もう締切まで間がない。一緒に注文したチョークや黒板消しはまだ届いていない。どうすればいいんだ? やるしかない。結局、黒板は一度も使うことなく構成を終えて提出。
翌日は早速黒板を使って仕事をしてみた。書いては消して書いては消して……ふふふ、これは便利だ。しかし……。黒板消しがどうも気に入らない。プラスチックなのだ。私は木と真鍮と布と革と陶器とガラスに囲まれていたい。消すたびにプラスチックを手にするのは精神衛生上よくない。第一、気分が乗らない。私は生きる希望のために黒板を作ったのだ。
それに仕事の為だ。プラスチックの部分を木に替えよう。捨てようと思っていたイスの一部分を使ってカスタマイズしてみた。
できた。これで気分良く消せる。
しかしだ。この黒板消しを置いておく場所がない。しかもチョークはどこに……それも必要だ。よし……待て待て。私は何をしているのか? こんなことじゃダメだ。様々なものを直してばかりいる。肝心の仕事がどこかにいってしまっている。黒板はもうやめよう。
他にやりたいことと言えば浴室の……そんな時間もない。
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