告別式IMGP4963__3_

孫が任された「おばあちゃんのお葬式」

昔ながらの「自宅葬」のあるかたち

取材・撮影=朝山実

前回を読む☞https://note.mu/monomono117/n/n8b1136ad762e


「父のときも息子には一生懸命やってもらったんですけど、人数が多かったのでホールを借りてやったんです。でも、今回は母の希望でもあったんですよね」

 2018年12月、埼玉県飯能市内のご葬儀に立ち会った。施行を任されたのは、鎌倉に拠点を置く「鎌倉自宅葬儀社」馬場偲(しのぶ)さんだ。
 亡くなられたのは偲さんの母方の「おばあちゃん」で、お葬式は祖母が同居していた叔母の自宅で行われた。逝かれてから6日が過ぎ、納棺が行われようとする日のことだった。
 取材ということで編集者とNHKの女性ディクターとわたしの三人は,親族が集まるリビングを通り、掘りごたつのある部屋に案内された。ご挨拶いただいたのは、馬場さんのお母さんだ。


 近年、葬儀は式場を借りて行うことが「一般的」となり、自宅で見送るケースは稀少となりつつある。
 ホールを所有する葬儀社の増加とともに、お葬式の形態も「家族葬」「直葬(最近は火葬式といわれることもある)」といったネーミングとともにコンパクト化され、すべて葬儀社にお任せで、遺族は葬儀につきもののわずらわしさから解放されたともいえる。そうした時代の流れを熟知したうえで、馬場さんはあえて「自宅でのお見送り」を提唱する。「おばあちゃんの葬儀」はその実践でもある。

「父のときも一週間ほど、ここにいてくれて、気持ちがやわらぐというか、亡くなったという気がしないんですよね」と馬場さんのお母さん。
 馬場さんの祖父のお葬式は、校長先生を務めた人だけに会葬者も多く、ホールを借りることにした。しかし火葬場がふさがっていたため、葬儀の当日までは自宅に安置。結果的に「自宅葬」にちかい形で故人と過ごすことができた。おばあちゃんが自宅での葬儀を希望していたのも、そうした事情があったそうだ。

 お母さんによると「毎日、顔をさわったりして話しかけたりしています。そうすると、ゆったりとお別れができるんですよね。あわただしく火葬場に行くんじゃなくて、最後をゆったりとすごすというのは、本当にいいですよ」。にこやかな表情で話されていたが、かなしい気持ちにはちがいない。どういったことを話しかけられたのか。
「きょうは、こうだったよという日常会話かな。ほんとうにささいな」
 赤ん坊の声とともに、笑い声が聞こえた。隣室のリビングを見ると、団欒の光景がうかがえた。

「喪主(孫の馬場偲さんからすると叔母の夫)の実家の方たちが来てくれていて、本当は笑ったりしたらいけないんでしょうけど。母にとっては初孫もできたところなので、それで盛り上がっているんですよね」


 自宅葬のよさは、「喪」の場に集まるのが気心の知れた身近な人たちばかりとあって、ふだんどおりにしていられることだ。そういえば子供の頃、わたしの郷里の実家は本家にあたり、お盆や正月には40人ちかい親戚が集り、すき焼きの鍋を大勢で囲むのが恒例だった。酒気で顔を真っ赤にした大人たちが集う大広間からすこし離れた場所で、おばちゃんたちとその様子を眺めていた記憶がある。人が集まるというと思い出す場面でもある。

 柱時計が午後1時を報せる。これから「納棺」が始まると伝えられた。布団が敷かれているのは8畳の仏間で、布団の向こうに、黒いベストにパンツ姿の若い女性が座られていた。納棺師さんだ。
 パレットを左手に持ち、顔に化粧をほどこし、髪を整えてゆく。鼻をすする音とともに、ご家族の女性が「おばあちゃん、髪の毛が薄くなっていたから帽子を被って帰ろうねと言っていたんだけど、結局被ることもなかったのよね」と身を乗り出し、語りかける。

「では、これから顔剃りをさせていただきます」
「髪がくずれないように、よろしければ整髪料を使わせていただきます」
「お口紅などご希望の色とか、ございますでしょうか」

 マスカラや口紅など、ふだん使われていたものを確認しながら、手を動かす。衆目のもとでの納棺師の女性のテキパキとした動作と、おだやかな口調。厳かな時間だ。
 化粧が整うと、馬場さんの先導で、親族の男性たちがシーツの両端を掴み、寝かされたままご遺体を棺に移し、一度部屋を片付ける。





「こちらはズタブクロと言いまして、なかには三途の川を渡る際に必要となる六文銭、近年はこうした図版のものを入れさせていただいております」

 納棺師さんが棺の前で、古銭を描いた紙を広げてみせる。
「どうぞ、みなさん。お近くにきていただいて、故人様最後のお布団になりますので、ご一緒におかけしてもらってよろしいでしょうか」

 馬場さんが前回のインタビューの際に「ご家族に参加してもらう」と語っていたのは、こうした場面の積み重ねでもあるのだろう。棺を覗き込んでいた女性が「かわいい、おかあさん」と声をかけた。視線を移すと白い棺の蓋に、うっすらと浮き上がるように花の絵と短い英文が記されているのが目にとまった。特別仕様の棺なのだろか。

 馬場さん「このお棺は日本産で、燃やしたときに二酸化炭素が少ない材質のもの。ふつうだと窓は観音開きなんだけど、これはセパレートになっていて、最後までしっかり対面できるようになっています」

 棺の蓋に記された英文文字と絵について、みんなの前で「祖母は花が好きだったので」と説明した。馬場さんのお母さんが絵を描き、カリグラフィを趣味にしている叔母さんが文字を描いた。おばあちゃんにとって、ふたりの愛娘の合作になる。

 馬場さん「お寺さんによっては、棺の蓋のウラに言葉を書かれるところもありますし、刺繍や織物飾りの施されたものあり、マジックでご家族がメッセージを書かれることもあります」

 棺に、絵や文字を書いてもいいのかという問いへの返答だった。こういうことができたりするのも「自宅」というプライベートな空間だからだという。
 合間を見て、たずねてみた。
 馬場さんは、きょうは部屋の入り口のところに座られて納棺の様子を見られていましたが、あれは葬儀スタッフとしての立ち位置になるのでしょうか?

「そうですね。僕は孫ではあるんですが、立場的に重要人物ではないというのと、取り仕切る立場でもあるので。とくに仕事をするからという感覚はなかったですが、全体を見渡すにはこの場所がいいだろうと。
 ふだんであれば、部屋の中には入らず、ちょうどアサヤマさんがカメラを撮っておられた場所
(部屋の入り口のすぐ外)に立って見ているという感じになると思います」

 納棺師さんのほかにスタッフは馬場さんと、もうお一人、手伝いをされていたのは弟さんですか?

「そうです。弟は、埼玉のホールのある葬儀社に勤めていて、ホスピタリティを大事にしているタイプの葬儀社さんです」

 兄弟がともに葬儀の仕事を選んだというのが面白いと思った。居合わせた弟の飛優(ひゆう)さんに「お葬式におけるホスピタリティとは何か?」と聞いてみた。

「たとえば、故人さんがどんな人だったのか、こまかくお聞きするようにしています。そうしたことは最近だと当たり前になりつつありますが。どういう生涯だったのかをお聞きしてから、葬儀の内容を決めるようにしています。その人にあった葬儀をさせていただくということで」

 それは最初のうちに?

「そうですね。どんな葬儀をするのかを提案させていただくためにも、いろんなヒントをいただくためにもお聞きするということですね。ご家族の話し方だとか、ご様子をうかがいながらなので、話されているうちに思わず泣かれることもありますね」

 弟の飛優さんが勤める葬儀社は、さいたま市内の中心部にある。ホールでの葬儀が中心で、自宅葬の施行件数は多くはないという。

「でも、こういうふうに自宅でするというのは、家族もゆっくりすごせるということではよかったと思います。もちろん駐車場の手配とかで不便だったりすることはあるんですが。式場では味わえないものがあり、ホールでも新しいところは家族が泊まる施設に力を入れたりしていますし。ゆったりすごせるということが大事になってきているように思いますね。
 じつは祖父のときにも兄と一緒にやったんです。5年前ですが、葬儀の日までここの家に安置して。200人も来られたので、葬儀は式場にしたんですが」

 おじいさんの葬儀は3月。繁忙期とあって火葬場が塞がっていた。式場と火葬場が隣接した公営の斎場は、霊柩車を使わずともよく、予約が集中する。一週間待ちもめずらしくないのだという。
 飛優さんの話を、兄である馬場さんが引き継いだ。
「今回は3日後に火葬場は空いていたんですが、おじいちゃんのときの、あのすごし方がよかったねと言うので、最初からホールを借りずに。時間があるぶん、会葬礼状も手作りのものにしたり、返礼品も祖母らしいものを自分たちで選び、昼食も、おばあちゃんが好きだった鰻のお店に頼んだりと」

 そういうふうな昼食の手配とかは日数に余裕がないとむずかしい?

「葬儀業界の仕出屋さんならそうではないんですが、一般のお店に、明日何人分お願いしますというのは難しいですよね。ゆっくりすごすうちに、『そうそう、おばあちゃんはあれが好きだったよね』と思い出すものだったりしますし。間に合わなかったにしても、思い出すというのが大事かなと思う」



 翌日。葬儀にはお坊さんが来られ、30名くらいの近親者が参列した。












 
 
 祭壇に豪華に花を飾るのではなく、8畳の仏間の周りに花かごを置き、最期のお別れの際に棺に入れるように、花かごから一輪ずつ花を切り出す作業を馬場さんと弟さん、司会の女性スタッフの三人が、手を休めず時折会話しながらしていたのが印象にのこった。
 
「このバラは、ナイチンゲールというんです」
 馬場さんが手にした紫の切り花は、祖母に合うと選んだ珍しいバラの品種だった。出棺直前、赤ん坊を抱いた馬場さんのお姉さんが「見守っていてね。大きくなるのを」と声をかける。傍に立つ馬場さん、堪えてきたものがあふれ出したのだろう。「ありがとうね、ばあちゃん。バイバイ」と声を裏返し呼びかけていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。