「生きる意味」を考えてしまうのはなぜなのか。
よく聞く言葉である。
「なんのために生きるのか」、「幸福な人生とは」
こんなことを考えている暇はどうやらなさそうである。
どうすれば人生を楽しめるのか、今を楽しむことができるのか。
どうすれば幸せになれるか、後悔しない人生にできるか。
無理難題だ。
しかし、最近の俺はそんなことばっかり考えていた。
何を目指して生きているのか、自分にとっての幸せとは。
最初に気づいたことといえば、そんなクイズに時間を割いていることがどんなに無駄なのだろうということだ。
答えはないのだから無駄や。
結局自分がどう感じるかで、どう思うかで、どう行動するか。ってだけのかんたんな話だった。
ある人はひたすらに金を望み、また別のある人は運命の人と結ばれることを望む。
僕からすればどちらの願いも魅力的に見えない。
だから結局はその人の価値観。
だから自分の直感を信じるべき。
他人にあれこれ言われる所以は無いし、他人の生き方や価値観を否定なんてしちゃだめだ。
実際に行動してみて経験したことある人なら多少は言ってもいいと思うけどね。
他人の気持ちを分かってあげることなんて無理なんだ。
ここまではよくある話。
ここから深堀りしてみた。
なぜこんなことを考えてしまったのか。
①答えのない問いで変化(行動)することを先延ばしにしている。
人は、変化することが嫌いだ。
その変化を後へ後へと先延ばしにするための防衛本能によってこんな自問自答をしてしまったのでは無いのだろうか。
②仕事をやめるための口実づくり。
これは僕の個人的な話になってりまうが、僕は自分の職業に疑問を抱いている。
単なるわがままだという一言で片付けられてしまうが、もっと自分のために時間を使いたいと思っている。もっと自由になりたい。自由とは何とも知らずにこういうことを思ってしまうのだから未熟だ。
つまり、生きる意味を明確に定義することで、仕事を辞めるきっかけにしようという腹づもりである。決断力、度胸があればそんな必要なんてない。
③自分の心を落ち着かせるため
この問がでてしまうということは、夢中になれることや、目標、夢を持っていないのではないだろうか。
何もしていないから、何かをしているつもりになりたい。
何もしていないとおかしくなりそうだ。実際僕もそういうことがある。
この問について考えることで、なにかしらやっていると自分を騙すことができる。
これも防衛本能の一種なのではないのだろうか。
いろいろ考えたがこんな問いは今すぐやめたほうがいい。
時間の無駄だし、マジで精神的によくない。
今、実際に手を動かしている僕の気分がどんどん悪くなっている。
腹が気持ち悪い。
そうだ。何かを変えたいなら、言葉ではなく、行動に限る。
じゃ、リアルに気持ち悪いんで終わります。
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