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産まれた息子が尿道下裂だった話

どう記録していこうか

そう、これは私のための、息子の記録であり、誰かを救うためのものではない。

同じようにお子さんが尿道下裂で産まれた、現在妊娠中でお腹の子が尿道下裂の疑いがあるという人、そんな人がこの記事にたどりついていたら

ふーん、こんな人がいるんだな程度で、どうか読んでいただきたい。

人は一人として同じ人間はいないから。

不安な事は医師に確認するのが一番、探している答えはネットには載っていないっていう事はまだ新米の母親である私が学んだうちの一つだから。


さて本題に。

息子は生後2日目に尿道下裂と診断され、NICU、GCUのある大学病院へ転院した。

NICU?GCU?なんだそりゃ、世界平和機構的な、社会の授業で習うやつか何かなのか、体の10割は不安でできている、母になって2日目の私のできごと。

出産したのは夜中の2時で、私の体の処置やなんやらでようやく眠りにつこうとベッドに入ったのが朝の5時だった。これが産後ハイというやつなのか、出産を終えた達成感と、なにより自分の子供の可愛さと言ったら!

かなり興奮していて中々寝付けなかった。私は世界一幸せだと思っていたのに。

赤ちゃんの体を私は今まで見る機会がなくて、産まれたての息子の性器が本当に小さくて、それが正常ではないものだという事がわからなかった。今思うと、取り上げてくれた助産師さんの反応でわかったんだけど。そして何か問題があるのではないかという懸念は、お腹の中にいた時からあったのだけれど。

後の遺伝子検査の結果でわかった事は、息子は男性ホルモンの一部を体内で作る事ができないため、お腹の中にいる頃から形成されるはずの生殖器が育たなかった事、通常尿道は陰茎の先にあるんだけど(男性の体の仕組みすら知らなかった私)息子の場合は尿道が根元あたりにあるらしい、という事。

生殖器が未熟だったため、妊婦検診ではいつまでたっても性別が不明のままだった。男の子かな?と言われた次の検診では女の子かも、と一転二点して、もう正直性別なんてどうでもよかった。無事に元気に生まれてきてくれさえすればそれでよかった。

尿道下裂による支障は、尿を立ってする事ができない、性交渉ができない等が主にあり、手術は1歳~1歳半を目安に行う事が多いらしい。原因はわからないものがほとんどとされていて、低体重で産まれた子に多いらしいんだけど息子は該当せず。

で、後の後の遺伝子解析でわかりかけてる事は、どうやら遺伝の可能性が高いぞという事。

とは言え、私の家族、親戚、主人の家族、親戚に同じ症状の人はいない。どうも医師の説明からするとこういう事らしい。

息子の体質を仮にT型とする。息子はT型の遺伝子を2つ持っていて、2つ持っているという事は、母親からT型の遺伝子を1つ、父親からT型の遺伝子を1つ受け継いだ結果なのではないかという説が濃厚らしい。

詳しく調べるために私たち夫婦も血液を提出してるんだけど結果待ち。

繰り返すけど、親戚に誰一人尿道下裂の人はいないのに遺伝子を持ってるってホントに?と疑った。けどそれが遺伝子なんだなって。ちなみに、この仮のT型の遺伝子を持った女の子はどうなるんだって話。

女の子の場合は症状として何も出ないし、何の支障もない。ただただT型の遺伝子を持っているってだけの事なんだと。それを聞くと、もし私が男の子に生まれていたら息子と同じ症状だったかもしれない。でもその場合息子は生まれてないわけだし、考えれば考える程遺伝子の深さの迷路に迷い込んでいく。

話は戻り、尿道下裂で産まれた子の中には稀に、子宮や卵巣を持っている子が存在する事もあるらしい。

なので息子がまず遺伝子検査で調べられた事は、遺伝子上の性別がどちらなのかということ。染色体がXXかXYか、息子はXYで男性だった。親になって初めての大事な書類提出の出生届も、性別がわかるまで出すことができなくて、結局期限の前日(出生届は産まれて14日以内に提出)に男性として届けを出す事ができて、とりあえずホッ。(14日過ぎた場合でも、事情があるのでその時は病院側から役所に連絡してくれるらしい)

男の子だと思ってたけど、これで染色体は女の子でした、あなたの子供は女の子になりました、なんて事言われたらどうしようかと

結果が出るまで毎日思ってた。そもそも性別ってなんなんよって。転院してGCUに入った息子の面会に行った時も、性別がわかるまで名前を呼ばないようにしてた。今まで呼んでいた名前が消えてしまう事が怖かった。ただでさえ産後一緒に退院できなかった事、おっぱいを簡単にあげる事ができない事、自分の子なのにお世話をしてるのは看護師さんな事、すごくすごく嫌だったのに、名前まで呼べないって。

私って本当に母親になったのかなって弱音を吐いたりもした。

結局、産まれたての息子の入院生活は10日間で、その間にたくさんの検査をしてもらった。

退院してから、ようやく息子と毎日一緒に過ごせる!離れ離れの期間があったから、その分すごいすごい愛情かけて育てるんだ!!会陰切開の傷なんて我慢できる!3時間ごとの授乳だって、離れ離れよりずっといい!!

そう意気込んでいたんだけど、実際初めての子育てはしんどかった。当たり前である。

自分の身体も元通りでなければ、常に眠くて仕方ないし、母乳なんて出やしない。そして常に隣り合わせの不安。これは息子の体質とは別に、他のお母さんと同じ子育ての悩み。

よく子供は親を選んで生まれてくるなんて話や、乗り越えられる人に試練は与えられるなんて聞くけど、ぜーんぜんそんな事ない!私が証言しよう。

産後の離れ離れの経験があるからその分子育て頑張れる!なんて意気込み、そんなのないない!!普通にしんどいわ!!

新生児の時期を終えて少し自分の睡眠がとれるようになったって、大変な試練は次々にやってくる。

「なんでミルク飲まないんだ?!」

「なんで寝ないの?!」

なんでなんでの繰り返し。これも一般的な子育ての悩み。

例えば障害を持つお子さんの親御さんって、私はすごい人徳者だと思っていた。大変な経験をしてる分、すごい器が大きくて優しいんだろうなって。

でもたぶん、それはその人による。というか、元々のその人の性格だと思う。子育てはみんな大変。他の子より病院に行く回数が多かろうと、本来なら必要ない採血や治療があろうと、みんなそれぞれ大変だし、みんなイライラしたりする。

当たり前だけど母親だって人間だし、なんなら母親になったからって性格なんて変わるわけがない。

口を開けば不安と愚痴しか出てこない、ダメな母親だなーって思ってた事もあったけど、たぶんこれが普通。母親になったんだからしっかり!とか、みんなやってるんだからそれは甘え!なんて、そんなの知らんがな。むしろできてる人たちがすごいの、無理だ無理だーって言ってる私が普通なの。息子が毎日楽しそうに笑ってるから、私は普通のままでいいやって思う。

そんな毎日ギリギリのメンタルで息子と共に毎日を過ごしてきて、早いもので息子は11ヶ月。尿道下裂の手術も目前である。

頑張るのも辛いのも息子だけど、何回も代わってあげたいって思ったけど、代わってあげられなくて辛いって思ったらもう痛みは半分個できてるよね。親のエゴだけど、私は痛みを息子と共有しているつもり。

手術の事や治療の事、別の記事で書けたらそれも記録していきたいと思います。




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