台湾旅行について考えたこと

 ここ何年か、暇があると台湾の事を考えていたりする。日本から近い、安い、といっても会社の休みが取れる時に行くとなると、結構値段がいったりするんだけど、これは「びょーき」の一種だろう。


 1981年、ブルートレインのブームが落ち着いた頃に、「鉄道ファン」誌に吉村光夫さんの台湾レポートが載った。吉村光夫さん、ちょっと年齢いった方ならご存知の「ロングおじさん」である。

 これが、多少間違いがあったりしたのだが、当時の台湾での鉄道旅行の様子が伝わってきて面白かった。

 特急は全部指定席で、「自強○○号」とは称していないので「○時の自強号」と言って切符を買う必要があるとか(実際には普通列車も含めた全列車についている固有の番号があるので、それを書けばいい)、日本から近いのに入札で負けたのでイギリスや南アフリカの車両が見られるとか(今は走ってはいない)、座席が床屋の椅子のように傾くリクライニングだとか(当時の国鉄特急の普通車の座席は倒れないか、体重で前にスライドするぐらいだった)、お姉さんによる無料のお茶のサービスがあるとか(今は無い)、運賃が安いとか、ちょっと薄汚れているとか(今はだいぶ改善されている)、言いたい放題の部分もあるのがロングおじさんらしかった。

 あと当時の北投温泉がどうのとか。いや、言っておきますが今の台湾は風俗はあまり発達していません。桃園空港からちょっと離れた所で一時期流行った下着姿のビンロウ屋が残っていましたが、あとはお祭りの時にストリップが出るくらいしか知りません。

 これが結構基本になっていて、自分が行く時も「自強 彰化→台南 14:30」とか出札口に紙に書いて出して切符を買ったりしている。しゃべくりはできないが「漢字」が使えるのが心強い。


 10年くらい前、台湾高鉄(いわゆる台湾新幹線)の出来た時に、台湾に鉄道好きの注目が集まった。日本では無くなってしまった国鉄型の旧型客車がまだ走っているという事でだ。向こうの知り合いによると、その少し前に小林よしのりが、台湾の駅舎に日本時代のものが残っているというのを書いているらしい。

 かつては線路際に兵隊さんがいて監視していた台湾も、撮影にはゆるくなっていた。


 というわけで、行ってみたんだけど、普通列車の切符は自販機で買える(そんなに変わらない。大人は「全票」、子供は「児童」みたいな字がある、大人でも背の低い人は「半票」という割引運賃がある)、特急もなんとかなる、バスはとりあえず乗らなくていい、しゃべりが通じなくて困ったのはタクシーだったが(インチキな)英語で通した。ホテルは日本語が通じる所を予約した。

 食事は漢字で判断して適当なのを頼んだら肉団子だと思ったのが芋の饅頭みたいなのが出てきたりして、それはそれでいい経験だった。まあお昼は「餃子」とか「小龍包」の店を探して食べた方が無難だ(台湾の餃子は「水餃」(水餃子)が主で、「鍋貼」というのが日本の餃子に近い、日本では「棒餃子」と言っている)。夜は屋台でソーセージや蒸し餃子、牛肉麺、チマキ(米粽 ビーコー)なんかを指差し、「ジスワン」「ザットワン」とかでなんとかなった。いや、「なっている」か。

 肝心の旧型客車はこの頃には(訪問の数ヶ月前!)台南周辺からも引退してしまい、もっと南に行くしかなくなっていた。廃車の回送は見ることができたのだけど。

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