「風潮」は大事か?

 たまに「鉄道界隈の風潮」とか言う話を聞く。「こういうのを撮るともてはやされる風潮」とか。私は「界隈」とか「風潮」というのは無視していいと思っている。それより自分の撮りたいものを撮ればいいんじゃないだろうか。
 SLブームの頃に、その「風潮」を無視して、より身近で撮れるEF58とかブルートレインとか撮っていた人もいた。あと旧型国電とか地方私鉄もそうだ。貴重な資料になるのは言うまでもない。

 考えてみよう。「風潮」って大事だろうか。それは自分の表現したい気持ちとか、心の底から沸々と沸き上がる何かより大事だろうか。「風潮」に流されて、自分の撮りたいものが撮れなかったら、それは「趣味」なのだろうか。

 私は以前「楽しい遊覧鉄道」という個人サイトをやっていた。きっかけの一つが「鉄道ジャーナル」だったか「鉄道ダイヤ情報」だったかに、園内鉄道のようなものは「鉄道」ではないという記事があったからだ。
 今で言えば「逆張り」なのかもしれない。でも「鉄道」の定義は個人個人で違っていいと思っていた。

 もっと解りやすく言う。例えば「UFO」の「界隈」では、やっぱり「宇宙人起源説」(ETH、ET仮説なんて言う)が人気だ。でも私はそれはやりたくないと思っているからやらない。UFOは大好きだが。

 前に「楽しい遊覧鉄道」で知り合った人とオフ会をやった時に、「自分と同じような鉄ちゃんっていませんよね」という話題が出た。そうだ、いないのだ。自分という存在は唯一無二なのだ。

 鉄道模型雑誌に「とれいん」というのがある。それがアメリカ型鉄道模型に偏っている事に対して批判する人がいた。この話を聞いて腹を抱えて笑った事がある。「アメリカ型に偏っていない雑誌」を読めばいいのに。「とれいん」に対するツッコミはそこじゃないだろとも思った。

 あと(他人はどうであれ)、「戦う」とか「競う」とかいう感覚は棄てた方がいいと思う。オリンピックや甲子園みたいで解りやすいとは思うけど、「正しい」かどうかはわからない。多分、私は正しくないと思う。

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