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十六回 「家族に世界に、何が起きているのかを夜な夜な知る」の巻 後篇

ニューハヤシネマ

◆二〇一八年二月下旬 ヴェネツィア

「銀河鉄道の父と僕の夜」

 活字中毒者は実在する。それは僕のことである。ある一定期間「活字」を読まなくなると禁断症状が出始める。(毎日一冊以上の本を読む様にしているので、通常は症状が出てないはず)

だから僕は右と左のポケット、もしくは鞄などに常時ニ、三冊の本を忍ばせてきた。本屋を見かければ素通りはせずに、店内を回遊しながらパラパラを立ち読みをして補給するような感じ。この病気についてはどう説明したらいいんだろう。(他人に迷惑をかけることをする訳でもないので、特に治そうとは思ってないのだけれど)本を読む習慣がない人には正確には伝わらないかもしれないな。例えば症状が出ている時にお風呂に入ると無意識の内にシャンプーの裏に書かれた文字を読んでいたりしてハッとすることがある。そしてこれは結構重症だよなという認識はちゃんと持っている。


 今の時代は「スマホ中毒」なる人を多く見かける。朝起きたらスマホチェック、何かの合間にチェック、人と話していてもピコンと鳴ればそれが気になって仕方がないのだというからなかなかディープな話だ。途中携帯の画面を観ずに二時間の映画を観続けることなど不可能だと聞いたこともあった。それくらい中毒性が高くなるように設計してあるのだと、アメリカの某巨大IT企業・開発者が語る記事を読んだこともある。この対処方法については、数日間オフラインに身を置くか、もしくは携帯を持たないでいれば直に治るというから問題の根っこ自体は意外に簡単ともいえる。(かといって実践できるかどうかは別なんだけれども…)まあ、その話は今回はこれくらいで止めておこう。


 イタリアに来る友人に、どうしても読みたい本をリクエストして何冊か買ってきてもらった。日本から送ったダンボール二箱分からなる本たちも粗方読んでしまっていたので、この土産はとても嬉しかった。

 実は日本から送った荷物の中で最も重くかさばったのがこれらの「本」なのである。何度でも読めそうな国内外の文学全集とか、古事記や源氏や平家物語などの古典ものとか、今までいつか読もうと思って読めなかったヘビーな名作たちを、改めて異国の地で腰を据えて読もうと思っていたのだ。

今回友人に持ってきてもらった本の中で最も大切な気づきを与えてくれたのが「銀河鉄道の父(門井慶喜著)」である。内容としては、宮沢賢治の父に焦点をあてたもので(これが母じゃないところがポイント)、「父親とは何なのかーという戦後の日本における難解テーマ」をダイナミックに描いた良書だと思う。

 でも、僕が本当の意味で心に響いた理由というのは、先ほどお伝えした物語のコンテクスト自体ではない。これについて語るには、ここ二週間余りの僕の周りの出来事を紹介せねばならないだろうから、少しお付き合い願えればと思う。


 さて、僕らの住むサンテレナ地区は静寂さと緑溢れる、ヴェネツィアの中でも優雅なエリアに存在する。そこで二才と四才の息子と妻の日奈子たちは、日々安全に、信頼できる地域の人たちに囲まれて暮らしている。日中は様々な人に遊んでもらい、島中を探検したり図書館巡りをする。時にはカフェで美味しいドルチェをつまんでみたり…と、つまりは良く食べ良く遊び、ぐっすりと眠る日々を過ごしているわけなのだ。これ以上子育てに最適な状況はあるのだろうかと心から思う。

僕らの家は日本では夜の八時、ヴェネツィアでは(夜の八時位までは明るいため)日本より一時間遅い九時消灯となる。子供たちは一度眠るとベッドから落ちそうにならない限りは起きることはない。彼らが寝静まると、僕は独りキッチンの六畳間くらいのテーブルで仕事を始める。ここに来てからはなるべく早めに眠るようにはしていたのだが、この数週間は映画祭の事前審査の為に遅くまで起きていることが多くなっていた。毎日一作品ずつ、ゆっくりとエントリー作品を観る。各国の監督たちのプロフィールやその国の情報を調べ、思いを巡らせながら審査表に記入していく作業。一度観ても意味が分からなかったり、どこか心にひっかかりを覚える作品と出会った時は、何度か見直すことにしている。PCの前にいながら、世界中の意識の旅に出かけているような、そんな不思議な時間が心地よかった。


 そんな「独りの時間」に変化が起きたのはいつからだろう。夜中に何かドアがすうっと開いたよう気配を感じることがあった。最初は気のせいかなと思っていたのだが、なんだか薄気味悪い。何しろ観ている作品の中には僕の苦手なホラーもあったし、世界中にはびこる悪意のようなものに対峙していかねばならない物語もあったからだ。

 ある日の晩、足元に何かが触れたような感じがあって「うわっ」と声を上げると、クスクスと椅子の下から笑い声が聞こえてきた。四才の長男、クラだった。

「えっ、どうしたクラ?」

と聞くと「パパおしっこ」と答えた。

「眠れないの?だいじょうぶ?」

トイレに連れていって十分くらい過ごす。特に具合が悪いようでもなく、おしっこと言うわりには何も出ないようだ。そっと肩に手を置いて「ゆっくり座っていたら?」と言うと、柔らかい笑顔が返ってきた。出ても出なくても別にいいんだよと伝え、少し経ったら一緒に寝室に行く。蚊帳の中で背中をとんとんして五分も経てばまた眠りに落ちる。

 どうしたのかなと少し気にはなるものの、僕はまたすぐに物語の世界に没入していった。しかし三十分もすると、再び足を触る何かの感触があった。またしてもクラだった。

「パパトイレ…」というので再びトイレでちょっとだけお話をする。(トイレも結構広かったから、意外とゆっくりすることが出来た)そうしてまたベッドに寝かす。その繰り返しが一夜に数回、それが数日間連続で続いていた。

「クロアチアに行けばいい」

とロベルタは言った

 二月二十七日。ヴェネツィア春の国際短編映画祭「カ・フォスカリショートフィルム映画祭」の記者会見が行われた。大学の文化部長と映画祭の代表ロベルタを中心に地域の政治的な主要メンバーが揃う。そして審査員を代表して僕も発言することになっていた。(たまたま僕だけがヴェネツィアに常駐しているから、というのが多分その理由ではあるんだけれど)

 果たして何を語るべきかー。「これからの時代における、真の映画の可能性」などといったまともなことを話そうと思えば面白くもないだろうし、変な緊張感が湧いてくるから余り考えないようにしていた。(イタリア人はユーモアにちょっぴりビターな皮肉をつけ加えて話すと喜ぶけれど、それは入門者の僕には土台無理な話である)

 ただ、この二ヵ月くらい毎日ゆっくりと作品に向き合えたお陰で、僕の中に浸透してきている確かなるものを感じてはいた。ニュースや新聞、雑誌やネットなどでは掴めない何か…。「今の世の中で、本当は何が起きているのかー」について、世界中の若き才能達だけが持ちうる尖ったアンテナで、まさに転写された結晶のようなもの…。果たして僕にそれをうまく伝えることが出来るのだろうか。

 

 来ている記者は殆どイタリア人だったから、英語よりはイタリア語で話すのがいいだろう。しかし、深いことまで語れる語学力なぞはない。原稿を読み上げてスピーチすれば、折角掴みかけているものが抜け落ちてしまいそうな気がした。やはり日本語でいこう、それしかなかった。冒頭の挨拶だけイタリア語でして、後は「母国語」でじっくりと語る。ある程度は通訳してくれるだろうけれど、正確に訳してもらえなくとも良いかなと思った。

 結果としてリラックスして話せたのが良かったのか、多くの方が頷きながら拍手をしてくれた。ヴェネツィアに来て五か月、ここにきてようやく自分の言葉で想いを伝えることが出来た。でもやっぱりそれは日本語だった。なんかそれも悔しい気持ちもするのだけれど、どこか吹っ切れた気もした。(この時以来、なぜか僕のイタリア語もじわじわと通じるようになってきたのは、なんともまあ不思議な感じがする…)


 ところで、会見の始まる少し前のこと。ロベルタ教授と家族のビザについて話すことが出来た。

「ロベルタ、そろそろ家族のビザが切れます。どうしたらいい?」

 この時点で実は、僕の滞在許可証すらまだ取れていなかったのだが

「ヒロキに関しては大学で働いているという既成事実もあるし、申請が進んでいるから特に問題はないでしょう」

というグレーな感じなのだけれど、警察でも暗黙の了解が得られているようだった。ただ僕の許可証が出ないことには、(それを元に家族の滞在ビザへと進むという段取りであるため)何も進めることが出来ない。現状の「観光ビザ」のままでは、イタリアにいることが出来なくなり、下手をすると強制送還もありうる。僕らもかれこれ一年以上こういう手続きを続けてきて、感覚が麻痺してきたのだろうか。待たされることにも徐々に慣れ始めていると感じていた。

「アッローラ、ところでヒロキ。どれくらい期間は残っているの?」

「あと一週間ほどです」

「そう、それは時間がないわね。でも大丈夫。私も昔、日本にいた時にしばらく香港に出てまた戻って来たら問題なかったから」

などと言う。それって何十年前のお話?今でもそんなことが通用するのだろうかと不安は増した。

「ヒナコたちが、一度クロアチア辺りに出て、ヒロキのビザが下りるのを待てばいいのよ。この際ゆっくりして来たら?」

確かにクロアチアは、電車や船でもヴェネツィアからはかなり近い。そしてEU加盟国でありながらシュンゲン協定に加盟してないことも知ってはいた。

 解決策が見つからない中、それをそのまま日奈子に伝えてみた。

「というわけで、日奈子と子供たちは、いったんクロアチアで過ごすというのは、どうかな?」

「えっ!?ヒロは?」

「僕は許可申請中だからイタリア国外に出ることが出来ないらしいんだけれど…」

僕が地図を見せながら語っている傍で、流石にお気楽な日奈子も焦っているように見えた。やはりまずかったか…。

「クロアチアのどこに行くの?」

「ほら、クロアチアといえば、魔女の宅急便のモデルになった街もあるらしいし、秘馬たちから良いとこだよーっ聞いて日奈子も行ってみたいって言ってたさぁ(なぜか突然、沖縄方言風に話すヒロキ)」

「……無理でしょ、行ったとして、いつまで滞在すればいいのかも見えないし」

そりゃあ、そうだ。僕も分かってはいた。でも、大学も労働組合も、役所も警察もこれ以上何もしてくれない。まさに手詰まりだった。


この件に関しては、ロベルタも最終的にお決まりの言葉で締めくくった。

「あなた達は日本人だから大丈夫よ」

移民問題で色々とフリーズしてしまっているイタリア政府。役所や警察にしても日本人はどちらかといえば後回し。ヒロキたち以外に、もっと深刻な問題を抱えている人たちにすら手が回っていないんだから、というのが大筋の論旨であった。

 そういうことかもしれないと楽観している部分は自分にもあった。ただし、逆の思いも次第に感じてはいた。先の見えない中での「単なる待機状態」は、胆力のある日奈子にさえも焦りを生じさせることになる。僕はここに来てからというもの、どうかしていたのかもしれないー。

 風は待っていてもダメなのだ。もちろん追い風が吹けばヨットは動くかもしれないが、それだけでは決して目的地には到着しない。ただし、意思を持って漕ぎ出せばー、それが例え向かい風であってもヨットは前進する。ジグザグに蛇行しながらでも、前に進むことが出来るのだ。


 だから僕は決めた。


 明後日は朝一番でメストレの警察書へ改めて行こう。呼ばれてなくとも、ずんずんと署に入って手続きの番号札をとろう。その番がまわってこなくても、部屋をノックして例の担当官に話しかけるのだ。何なら部長に会いたいと持ち掛けてもいいかもしれない。(警察では「メールか電話で追ってまた連絡します」と毎回言われる。けれど進展があった試しはない)

「日奈子、明後日また警察に行くよ!

その為の弁当は大盛りでよろしく」

日奈子に伝えると、笑顔で「あいあいさー」と返ってきた。


「銀河鉄道の父」が降りてきた夜

 結局、クラとの深夜のトイレデートは一週間以上続いた。何でだろうと探ってはみたものの、特に日常にも問題が起きている様子はなかったから心配するのは止めた。

 そして実を言うとその「深夜トイレデート」なのだが、ある日からぱたりと止まってしまった。何事もなかったかのように、まるでそれが僕の幻想であったかのように、消えてしまったのだった。「そろそろ起きてくるかな」とクラを待つようになったのに、急にそれが無くなると何だか寂しい気持ちにさえなった。

 なぜそれは止まったのだろうか。何か対策を施したというということもなかったんだけれど…。

 ただ、もし何かきっかけがあるとしたらあの夜のことが発端なのかもしれないなとは思った。いつものようにクラと二人、トイレに座り込んで話している時に、僕の中にふと芽生えた感情。その時受け取ったささやかな感覚。

 それはなんて言ったらいいんだろう。

「えっとね、いわゆる何か啓示のようなものって言ったら分かってもらえるかな」

 なんて言ったら怪しまれそうだから、妻に話すのもしばらくは躊躇っていたんだ。


 ここで改めて賢治のお父さん、政次郎の視点から描いた「銀河鉄道の父」という本の話に戻る。当時それを僕は毎日大事に、それこそ一行ずつ舐めるように読んでいたんだけれど…。当然ながら物語と云うものは始まりがあれば終わりもまたやってくるのである。

何か僕の想像してた賢治の人物像とは違う、放蕩息子で自由奔放な賢治が生き、最終的に死んでいくまでの姿がそこには描かれていた。言わば愚息でありつつも、どこか天才的な熱情を持っていた賢治。(とは言え世間から取り立てて評価されていたようでもない)

でも、そんなことは政次郎にはあまり関係なく、幼い頃から死ぬまでしっかり賢治に付き添い続ける父。(父の政次郎は大きな質屋の経営者で多忙な人だったから、付き添うと言っても、ただいつも賢治の傍にいたという意味を言っているのではない)


なんかこうやって書くと美談のような話を捉えられてしまうかもしれないが、そんな単純な「良いお話」として括られる類のものではないと感じた。

また「父とは何かー」という永遠のテーマについて明確にこれなんだという答えが描かれている訳でもないのだけれど…。何かが僕に訴えかけてきたのは事実だ。

 この本の根底に流れているのは「父である限り、それはどこまでいってもそれは父なのだ」という政次郎の生き様なのかもしれなかった。限りある生の時間を、屁理屈抜きでどこまでも親子として「共に生きる」こと。そこに手間や時間を惜しむことはないのだろう。ぶれない政次郎の姿勢に、清々しさを感じてしまう程だ。

 ただただ一人の男して生き、父として生き抜き、息子と本気で関わり続けるだけの記録の連続の証なのだった。

「これはそんな一人の人生の叙述史であると言えるのではないかー」、そうトイレでクラと二人座り込んでいる時に思った。あとは言わずもがな、である。ではあるが、蛇足を恐れずもう少し語るとすれば、それはこういうことだ。

 クラと過ごす時間。

今はそういう時なんだよなと思った。

 一年三百六十五日、ほぼ毎日このヴェネツィアの島から出ることもなく、クラと、そして家族と過ごす時間。

 そんな時間が実は今、僕の目の前にある。気づけばこの数か月もそうだったし、これから一年以上はそういう日が続いていくことだろう。

 それこそ余りある天からのギフトであると言えるし、またそれを自らの手で掴めたということなんだよなと思った。

 この先日本に帰国して、また忙しく各地を巡る日が来たとしても、それ自体は実は全く変わらないことなのかもしれない。

「そうか、今からでも、またちゃんとやり直せるんだよな」

 目の前にいるクラの手をそっと握り、僕は独り言のように声に出して言ってみた。

 日奈子のように「あいあいさー」とは流石に言わなかったが、不思議そうな目をしながらクスクスと笑いかけてくれる、そんないつものクラがいた。

(九三年 獨協  冬「弘樹の独り立ち」へ続く)


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