もしか小説でも書けるんじゃない
アルカラ の「ミ・ラ・イ・ノ・オ・ト」という曲が好きだ。
"やもすれば日曜 まっさらなノート開いて
『別れそれはスタート』と書いてみる"
"もしか小説でも書けるんじゃない
書けそうだよ
きっと書くよ"
ってところの、歌詞と歌が特に好き。
ふっと心の中に風が吹くようなさわやかさ。
最近monogで一緒に活動しているうっちーさんが文章を書いている。
以前は文章を書くことについて「書くことがない」「何を書いたらいいかわからない」と語っていたけど、最近はどんどん言葉が書けているみたいでなんだかすごくうれしい。
文は人なり。
人の書く文章を読むのが好きだ。文章には、会話よりりもさらに奥の、その人の本当の思考が垣間見れる気がしておもしろい。会話や、LINEや、SNSで出てくる言葉とはまた違った、わざわざ「書く時間」を作って人が書いた文章は尊い。
文章を書くのが好きだ。頭の中で考えていたことを一旦外に出して、人に読んでもらえるように整えていく。何度も読み返して、いらない言葉を省いたり、読みやすいように言葉を足したり、順番を変えたり、読み心地を意識してニュアンスを調整したりする。できあがった文章は誰よりも一番自分が読む。何度も読み返す。それだけでも楽しいのに、その言葉が知っている人や知らない人に読んでもらえて、それが伝わったときに、他では感じられない喜びを感じる。
書くのが好きだと言いながら、最近は忙しさを理由にして何も書けていない。
ずっと本を書きたいと思っていた。
それはエッセイ集かもしれないし、日記本かもしれないし、小説かもしれない。
「本を書く」とは、とてもとても孤独なことに思える。書きたいけど、どんどん通り過ぎていく日々の中で、ただ一人こつこつと書き進めて行くのは、大変、難しい、実質無理。無理無理、自分には無理と思っていた。
だけど、知り合った人が本を出していて、それを読んだり、友人が文学フリマのために本を書いていたり、身近な人達が文章を書いているのを見て「あれ、案外書けるのかも?本、出せるかも?」と思ってしまった。一人では孤独だけど、二人なら出せそうな気がする!と思いついて、うっちーさんに話してみると、乗ってくれた。わくわくしてきた。
大人になるにつれて、やったことあることが多くなりすぎて、わくわくすることがどんどん減っている、わくわくすることを見つけたい。とmonogの二人で話していた。本を出すというのはやったことがない。すごくわくわくする。大人になってもわくわくすることが、まだあった!
まっさらなノートってどうしてこんなに心が躍るのだろう。何でも書けそうな気がする、何でもできそうな気がする。力がみなぎってくる。全能感。
その全能感だけを感じて、何も書けない。何も書けなかった白紙のノートが何冊もある。
今回もそうなるのか、そうならないのか、わからないけどこのまっさらなノートに、文章を書いていくことにした。
梅野竜一