ビューティアドバイザーが異世界へ行く話(仮)1
1.異世界人は、ビューティアドバイザー
目の前の女性は、渡したタオルでずぶ濡れの自身を拭いていた。うなじまでの短い黒髪から滴る水を散らすように、細い腕を動かしている。
詰所の中は何とも言えない緊張感と、ちょっとした騒ぎに包まれていた。緊張と騒動の中心にいるのは、件の女性だ。詰所の天井や窓を叩く、強い雨風のせいだけではない。
後ろの方では、頻繁に扉が開け閉めされる音がしている。誰かが入れ替わり立ち代わり、様子を見に来ているんだろう。
団長に連絡は入れたか? まだ何も訊いてないらしい。発見場所の見回り強化しとこうか。
色んな声が飛び交う隙間に、張り詰めた空気が流れている。
その妙な雰囲気に気付いているのかいないのか、女性は自分の顔にタオルを押し当てて、一息吐いた。
背後の動きを伺いながら、女性の挙動を見つめていた俺に、後ろから声がかかる。
「アステル。女の人が身支度してる間くらい、そっぽ向いててやんなよ」
声を掛けてきたのは、同僚の一人だ。その言葉に思うところがあったのか、目の前の女性はタオルの隙間から、俺をのぞき見る。
俺は女性から視線は外さず、同僚に返事した。
「何があるかわからないから、見張ってるんだ。目を離したら意味がないだろう」
「見張るって、おまえね……」
苦笑する同僚。タオルを腕の中に抱えた女性は、少しむっとしたような顔をしてみせた。
その時、おおいと入り口の方から間延びした声が飛び込んできて、詰所の中が更にざわつき始める。やがて数人が俺のところへやってきて、声をかけてきた。
「団長に連絡ついたって。先に状況確認始めとけってさ」
「了解。記録は?」
訊ねながらそっと首を巡らせると、部屋の隅にある古い木製デスクには、既に後輩が向かっていた。バインダーにはさまれた白い紙の上にペンを走らせながら、空いている手で小さな丸を作ってみせている。
俺は手近な丸い木製の椅子を引っ張ってきて、女性に差し出す。
「どうぞ、掛けてくれ。今から状況確認をするから、質問に正直に答えてくれればいい」
どこか不安げな彼女の視線を受けて、俺は言葉を選んだ。
「あー、誓って暴力を振るったりしないし、あそこにいる奴が虚偽の記録をするようなこともない。男ばかりで怖いなら、誰か適当な女性を連れて来てもいいが……」
不審者の尋問は慣れているが、そもそもこの街で夜に一人で出歩くような女性はいない。いつも尋問するのは酔っぱらいか浮浪者か旅人の男ばかりだ。
慣れない気遣いを口にしていると、女性は顔をしかめて、口を開いた。
「それはいいんだけど、それより、ここはどこ? どう見てもニホンじゃないわよね? 私、いつの間に外国に来たの?」
存外、しっかりした口調だな、というのが最初の感想だ。
酔っぱらったり、衰弱して行き倒れていたわけではないらしい。多少武装している俺たちを見ても、特別警戒心もないようだ。今度はこちらが顔をしかめる番だ。
俺の後ろにいる同僚が、不思議そうに彼女に質問する。
「ニホンってどこの街? この辺りじゃ聞いたことないけどなあ。それ、君の生まれた街?」
「待て。質問が分散すると、彼女も混乱する。順番にやるぞ」
俺は同僚を押しとどめて、女性に視線を戻す。女性は辛抱強く俺たちのやり取りを聞いていた。ある程度の冷静さはあるらしい。
俺はひとまず女性の質問に答えることにした。
「ここは、ヘーラル大陸のユニという街だ。俺たちはユニの自警団だ」
「ヘーラル大陸の、ユニ……。やばい、地理も歴史も結構真面目にやってた方だと思ってたのに、全然聞き覚えない……」
女性は何かしらのショックを受けたように、ふらりとよろめいた。彼女の体重を受け止めたハイヒールが、固い床を鳴らす。
俺は目の前の椅子を示して、もう一度勧める。
「そんな舞踏会に行くような靴では、足を痛めるだろう。掛けてくれ」
「……ありがとうございます」
女性は少しためらってから、椅子に腰を下ろした。塗れた衣服がぐしゃりと音を立てた。
早く着替えさせてやらないと、風邪を引いてしまうな。確認は手短に済まなさくては。
改めて彼女の姿を検分する。
えりあしにかかる程度の短い黒髪。何故女性なのに、これほど髪を短くしているのか。それから、すらりと伸びた白い腕や手指には、マメひとつアザひとつ見当たらない。労働者階級ではないということか。貴族の娘ならば尚更、髪の長さはどうしたことか。
更に、タオルを抱いている指先が赤い。もしや怪我を、と疑ったが、どうやら爪が血のように赤い色をしているらしい。何だあれは。どこかの一族特有のものだろうか。
濡れてはいるが、タイトな黒い服を着ている。シンプルかつかっちりしたデザインからして、何かの制服のようだ。
それにしても、と俺は恐る恐る視線を下へ向けた。女性があのように素足をあらわにするものか。俺には妹がいるが、家族ですら年が二桁になるくらいには素足を見るような機会はなくなるというのに。
ついでに、その素足に、黒いハイヒール。今日はこの街では、舞踏会もパーティも開かれていないと思うが。
足元には大きな白い鞄が置かれている。彼女の荷物だ。随分と上質なもののようだが、やはり上流階級の出なのだろうか?
俺は息を吐き出して自らを落ち着かせて、ちらりと一度記録係を見やってから、質問を始めた。
「まず、名前を教えてくれるか」
「トウドウ・エナです」
聞かない響きだな。やはりこの辺りの人間ではないのか。
「この辺りとは名前の響きが違うな。トウドウ、というのは、あまり女性らしくない名前のように思うが」
「あーっ、そうだ、外国は逆なんだっけ? エナが私個人の名前よ。何て名乗ればいいの? エナ・トードー? 面倒だから、エナでいいわよ」
俺の質問に対し、女性は大げさな手振りをしながら訂正してくる。訂正されても、不思議な名前であることには変わりないが。
俺は彼女の言葉に甘えることにして、軽くうなずいた。
「エナ、年齢と、仕事があれば仕事も教えてもらえるか?」
「二十三歳。サンポウドウのビューティアドバイザーをやってます」
また聞きなれない響きの単語が飛び出してきた。
文脈から考えて、サンポウドウというのは、何かの組織か団体か、所属を表すものだろう。
一瞬、俺が無知なだけかと不安になり、後ろの同僚に視線を放るが、同僚は小さく首を横に振った。
俺はエナに向き直り、質問を重ねる。
「サンポウドウのビューティアドバイザーというのは、どのような仕事だ?」
「人が健やかな肌を保ったり、美しく装ったりするのを、お手伝いする仕事です」
「……美容師のようなものか」
「『美容師』はこの国でも通じるのね。美容師は髪を整えたり美しくしたりする仕事でしょう? 私たちは、化粧や肌自体を整えたり美しくしたりするのが仕事」
言ってエナは、何かを思い出したように小さく声を上げた。次いで、床に置いていた鞄の中を漁ると、黒い包みを取り出す。
「これを見たら、何となくわかるかしら」
彼女はどこか愉快そうに笑って、膝の上で黒い包みを広げてみせた。
中に入っていたのは、大小さまざまな形状の筆だった。画家が使うような平たい筆もあれば、工具の埃を払うような毛の長い筆もある。
俺は合点がいって、鷹揚にうなずいた。
「貴族階級の女性の化粧をするのか。うちの国ではその家の召使いがするものだが、よそでは専門の職種なんだな」
「へえ、この国では化粧はお金持ちの特権なの? 私のところでは、大人の女性が最低限のマナーとしてするものだから、誰でも化粧をするわよ。最近じゃ十歳にならない子だって、したりするわ」
彼女の楽しそうな話しぶりに、俺は一瞬面食らう。先ほどまでは、どこか不安げな様相だったが、自分の仕事の話になってからは、明るい口調だ。
きっと自分の仕事に誇りを持っているのだろう。親に言われるまま嫁がされる子女や、やりたくもない家業を継ぐ男子とは、異なっているということだ。素晴らしいことだと思う。
同時に俺は、部屋の扉の隙間から、隠れるようにこちらをのぞいてくる妹の姿を思い出して、少しだけ胸が痛んだ。
うちの国でも階級を問わず化粧をする女性が多いが、そういえばうちの妹は化粧に興味を示したことがないな。あの様子では、そんなことに興味が行き着かないのだろうが。とりとめもなく、そんなことを考える。
俺の沈黙を訝しんだのか、後ろの同僚に背中を軽くつつかれた。はっと我に返り、エナに確認をする。
「エナ、君はこのユニの街の郊外で、雨の中倒れているところを発見された。見つけたのは、巡回中の自警団である俺たちだ。そこに至るまでのことは覚えているか?」
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