見出し画像

キミヲミツケテ

人は生きる為に悲しさや辛さを消していく機能があるらしい。


僕が中学生の頃、思春期特有のやたら尖った感受性が自分自身を傷つけ、
周りにも牙を剥いていた時があった。

全てに苛立ち、何もかもが嫌で、何も受け入れられずにいた。

ただただ、苦しかった。

全部消えてなくなればいい、と思った。
もう僕自身、僕で在ることすら嫌になった。

消えてしまいたかった。

周りは僕をヒビの入ったガラスを扱うかのように接してきた。

それがまたどうしようもなく腹が立つと同時に、
虚しさを増大させるばかりだった。


そんな僕を見兼ねるわけでもなく、
叱るわけでも哀れむわけでもなく接してくれる人がいた。

ただ僕を受け入れ、傍にいてくれた。

たった、そうたったそれだけで僕がどれだけ救われたか。

周りは僕がこんな風に自分の心を切り刻んでいる理由を聞き出し、
口では「大丈夫、心配ない」と言いつつ、まるで悪い事をしているかのように「元に戻そう」とする。

僕が、悪いのか?
僕の、何がわかるんだ?
僕は、おかしいのか?

僕を追い詰める人たち・・・

でも一人だけは、違ったんだ。


その人と過ごす中で、僕は救いを感じつつもやはり消えないこの苦しさが
一体いつまで続くんだろうと思い始めた。

耐えられない。

そう吐露した僕に、その人が話してくれたことを今でも覚えている。


『人は生きる為に悲しさや辛さを消していく機能がある。

でもそんな風に聞くと、苦しさを抱えてしまう人は、
「それは自分の感情が薄れていく、ということなのか」
消えていくことは、忘れていくこと・・・
そんな自分もまた責めてしまう。

けれど、時が経つにつれ悲しさや辛さが薄れていくのは
けして薄情なことではないし、どうでもよくなったわけでもない。

忘れていってしまうことに罪悪感を抱かなくていい。

だってそれは、心臓が鼓動を打つのと同じで
あなたが生きていく為に必要な働きなのだから。

だから、どんなに悲しくてもどんなに辛くても
その生きようとしている働きを自分で止めちゃダメだよ。

時間はかかるかもしれない。

簡単には消えてはくれないかもしれない。

だけどね。

君が生きることをやめない限り、
体はちゃんと君を生かそうとするよ。

君自身で望むことが難しくても、
心の奥の奥にある"きみ"という本能は
生きようと君の体に働きかけてくれるから。

だからけして"きみ"を自ら捨ててしまわないで。

見えなくっても、ちゃんと君の中に在るから。

どうしても自分だけで存在を感じられないなら、
君の周りの、君以外の人から"きみ"を見せてもらって欲しい。

"きみ"が君に必要だということを
きっと、見せてくれるよ。

きっと、見える。

大丈夫、"きみ"は絶対あるから。』



僕は今、苦しんでいた頃の僕と同じ歳の子供たちと向き合う仕事に就いている。

僕は決めている。

もし、僕と同じような子がいたら、僕はただ受け入れ傍にいよう。

もし、その子が先に光を見つけられなくなったなら、
この話をしよう、と。

そして僕が、"きみ"を最初に見せてあげる人になる。


そう、あの人のように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?