
# 008 今日が誕生日。社会人になってからの振り返りと、このnoteを書く目的と
日曜日にしては珍しく、早起きして散歩をしました。
筋トレを初めてまだ2週間くらいだけど、どことなく体の変化を感じている。
歩くのが速くなりました。
正確には「今まで俺ってダラダラ歩いていたんだな」というのに気がついたという感じ。
腕を振って、ある程度は大股で速度を持って歩かないと意味ないですよね。ダイエットのための散歩なのであれば(苦笑)
ついでに気づいてしまったのが「俺って、むっちゃマイペースだよな」ということ。
社会人生活。自分なりに一生懸命やってきたつもり。今の会社はやっぱり自分にとって必死じゃなきゃ食らいつけない環境だったし。
だけど「速度」ってあんまり意識して生きてこなかった。
のんびり気分の自分も、今日で36歳になった。
もういい大人だし、より責任感を持った生き方をしていきたい。
そのためにまず、いままでちゃんと前に進んできたのかふりかえりたいと思います。
自分史を書いてみよう
自己分析の定番なのかな…?それはわからないけど、学生時代に「自己分析せよ!」と言われてまずやったのがこれなので、十何年ぶりかにやってみようと思います。
(書き始めたら盛り上がっちゃって、このパートだけで4千字くらいあります。お時間ありましたらお付き合いくださいm)
高校卒業(18歳)
怠惰に過ごした高校生活が終わった。センター試験を受けたけど、全科目とも40点前後。行ける大学がない。このまま何もがんばった経験を持たぬまま大人になるのは危険だと思い、親に無理を言って浪人させてもらった。
浪人生活(19歳)
1日10〜14時間勉強するというタパス(苦行)を自らに課した。心折れてサボった日もあったけど、なんとかやりきり成績も上がって志望校に受かった。
就職活動(22歳)
就活にあけくれた。リーマンショック直後で市況感が激変。
ただ、自分の場合はそんなの関係なかった。人見知り・コミュ障という弱点を持っている。面接でうまく話せない。グループワークで発言できない。志望業界の企業を落ちまくって己の甘さを痛感。
「厳しい環境で傷つきながら強くなりたい」という意味不明な志望動機を発明した。過酷な企業には好評だったみたいで、ブラック企業から内定をもらった。
1社目の内定者研修と卒論(23歳)
「会社の忘年会を企画せよ」というのが内定者研修だった。拘束時間がはんぱない。偉い人が好き勝手インプットしてくる。そして雑務が大量に発生する。
同期みんながしんどい思いをしてタスクを消化する中、自分は大学の研究室に監禁された(泊り込みで1週間)。
「卒論まだ1文字も書けてないよね」
翌日から、午前中は1学年下の後輩、夕方は修士課程の院生が卒論を手伝いに来てくれた。
というか、ほぼ書いてもらった。
だって、書けなかったんだもん。論文の書き方のイロハが全くわからなかった。授業中は出席を書く以外のことほとんどしていなかったから、、、
1社目に入社(23歳)
「営業がやりたいです!」と言って入社した会社で、最初に配属されたのは、横浜にあったコールセンターだった。
渋谷にある本社へ通ったのは3日間。足早の新卒研修を終えると、存在すら知らなかった横浜の現場で、同期入社のアルバイトさんや契約社員の方と一緒に1ヶ月弱の業務研修を受けた。
座学の研修を経て、OJTをして、独り立ち(そういえば、その日も誕生日だったような。そして、怒られ過ぎて死ぬほど凹んだ記憶。苦笑)
大手損保さんから受託している自動車事故受付センターでの仕事なんだけど、これが1通話15〜30分くらい要するなかなか高難易度な仕事。
事故サポート(お怪我ないですか?救急車呼んでください。レッカー必要ですか?とかとか)
契約確認(証券番号わかりますか?証券手元にないですか?契約者様のお名前は?契約者は自分じゃない?ご両親?多分、お父様??)
運転者確認(運転されていたのは、お電話口のお客様でしょうか?)
事故状況の確認(事故の状況を教えてください。右折時にぶつかったということですが、十字路の交差点でよいでしょうか?お車がぶつかった時は、だいたい何kmくらいで走っていましたか?)
事故相手の聴取(お相手のお名前や連絡先を教えてください)
クロージング(長いお時間をいただきまして、ありがとうございました。私hogehogeがお受けしました)
こんな感じだった気がする。条件分岐が多かったり、そもそも契約内容って複雑で、ドライバーと被保険者との続柄で、保険対象外になったりする。
私たち業者は、委託を受けてるだけだから「保険が出る/出ない」を判断してはいけない(結局、保険金って保険会社が支払うものだから、それをベンダーがどうのこうの言えないって話)。
だから「保険出ますよね?大丈夫ですよね?」って最もお客様が訊きたいことには答えてはいけない。だから、触れられないようにうまく話をしていく。
でも、保険対象外(無責)の場合は伝えないといけないという…
車が動かなくなってるときは、レッカー車の手配をするんだけど、それも契約内容によってはサポート対象外だったりなんだり。
1度、日本海側の人気の全く無い峠の近くでレッカーが必要な事故に遭ったお客様の電話を取ったことがある。
保険対象となるか何やら微妙な案件で、でも、近所の提携工場からならレッカー手配が可能な契約。
一番近くの提携工場も60km先みたいな状況で、なかなかレッカー手配ができず、15時前に受けてようやく終わったのが21時過ぎ。しかも、その間はサービス残業。
レッカー案件は、スーパーバイザー(SV)という管理職っぽい人がサポートしてくれるのだけど、私が「SVレッカーです!」と手を上げて来てくれたSVの方は、15時上がりのシフトの人で、その方に6時間近く残業をさせてしまったことが申し訳なさすぎて、やたら落ち込んで帰った記憶…
人事部へ異動(24歳)
辛いこともあったけど、横浜では、友達もたくさんできたし、迷惑かけっぱなしだったSVたちに恩返しをしたい気持ちも沸いてきて、将来はSVになりたいと思い始めていた。
そんなある日、人事部長が私のもとを訪ねてきた。
「新卒採用担当が退職するから、後任で人事部に異動してきてほしい」
2年目の4月。人事部に異動となった。
給与勤怠担当、雇用管理担当、新卒採用担当と、サポートしてくれる事務員さん1名、そして人事部長。5人の小さなチーム。
人数以上に、極狭な小部屋の中にデスクが並んでいるのに驚いたけれど、、、
(個人情報の取り扱いなどもあるからと、私たちは、総務(2名)、経理(4名)、社長秘書の方と一緒にとてつもなく狭い部屋に閉じ込められていました)
そして私の担当業務は新卒採用。主担当業務以外の、福利厚生とか衛生管理とか、そういうのも任されながら、人事キャリアが始まりました。
それから、新卒採用は1年ちょっとで離れて、雇用管理という仕事に就いた。
雇用契約書や就業規則のメンテだったり、各現場での入社手続きや、給与計算への情報連携など、人事屋としての基礎を学ばせてもらった。
いま思えば事務的な作業ばっかり大量にこなす仕事だったけど、この経験があったから「人事の各パートは全部つながっているんだ!」というのを、体で覚えることができた。
なにより、社員情報を取り扱ったり、入退社にまつわるルールはもちろん、法的なことも現場マネージャーから尋ねられ答えるという仕事はなかなか痺れるもので。
はじめのうちは、先輩や上司に相談しながら進めてたんだけど、いつの間にか社内では自分が一番詳しいみたいな状態になった(それはそれでむちゃくちゃ怖かったけど…)。
「後ろに誰もいない感覚」みたいなのを、若くして味あわせていただいたのも代えがたい経験です。
さて、1社目は、冒頭で申した通り相当なブラック企業だったので、そのブラックさを支える部門で仕事をしていれば、そりゃあ色々ありましたけれど。
気が滅入るような、だいぶ仲良くならない話しても引かれてしまうようなことを大量に。
一応、誕生日という節目の日なので、それはまた別の機会で。
2社目へ転職(29歳)
現職に転職。中小のブラック企業から、1部上場のメガベンチャーへ。
今思えば、1社目の経験がそのまま通用するような領域は全く無いと考えてよかっただろうに、1社目で変な自信持っちゃってたんですね。過信って言ってもいいのかな…
だから、はじめの2年間くらいは、全くワークせず。落ち込むばかり。
なにやっても全然ダメ。というか、何をしたら何になるのかのイメージすら全く持てていない。
1社目は、物量こそ多かったけど、わかりやすかったんですよね。全ての判断が「良いか悪いか」の2択。「法律を守らない」って謎の意思決定含めて、過去経緯の暗記で通用したし、未知のことも白黒つけてマニュアル化すればそれで済んだ。
でも、2社目では、バランスとか、関係各所のご意見を伺って良い落とし所をつけるとか、白黒じゃない軸で考えることがほとんど。
世の中、ゼロヒャクなんて無いわけで、考えてみれば当たり前のことなのに。
「バランス」という感覚を掴むのに非常に苦労しました。
でも、横浜のコールセンターでちゃんと教えてもらってたんですよね。
全過失事故は、「追突、停まってる車にぶつかる、信号無視、センターラインオーバー」だけだって。
だから、1社目の問題じゃなくて、私の頭の使い方の問題。
給与計算チームでの仕事(31歳)
そんな自分を良い方向へ変えてくれたのは、2017年4月から担当することになった給与計算チームの先輩たちでした。
1社目でも3年くらい給与計算に関わってきたし、それなりにわかってたつもりだったけど、スケールが全然違う。
だからまた同じことの繰り返しで、再び失敗するのかもと思っていた。
でも、給与チームでは、どの担当業務も、OJTできっちり引き継ぎをしてくれた。
コールセンターで新人だった頃みたいに。
しょっちゅう運用ルールが変わるから、マニュアルは完璧とは言えないこともあるけれど、それも含めて、きっちり説明してもらえた。
自分がやったことを、レビューしてもらえる。わかんなければ、すぐ相談できる。
なによりみんな、仕事への厳しさの中に優しさがあって、私の自信を育んでくれるというか、取り戻させてくれたというか。
給与チームの仕事でも、もちろん白黒つけられないことなんてたくさん発生する。
だけど、みんなの仕事を見ていて気づくことができた。
「難しく感じていたのは、そもそもが複雑な仕事だからだ。でも、複雑さの一つ一つを紐解いていけば、全部が全部じゃないけど、白黒つける系のこともたくさんある。白黒つけるべきか、あえて曖昧にすべきか。その線引を意識しているから、みんな仕事ができているんだ」
HRtech領域での仕事(33歳)
そして今の仕事をあてがわれました。
ふぅ…。
ここまででもう4千字くらい書いてしまった。
長文お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
いまの仕事については、また別の機会で。
転職を前にダイエットしたいのは体重だけじゃない
このnoteは、転職を決めてダイエットを続けるために書き始めました。
そして、ダイエットしたいのは、体重だけじゃなくて、自分の考え方とかも含めた習慣も含むもので。
怠惰な高校生が「がんばる」って単純なことを覚えた浪人生時代。
自分の未熟さを知って「傷つきながら強くなりたい」と斜め上の意識高い系になった就活生時代。
仕事の厳しさと仲間の大切さを学ばせてくれた横浜のコールセンター。
人事のイロハを叩き込んでくれた1社目の人事部。
本当の意味で仕事の仕方を教えてくれた現職のみんな。
この過程で、自分にこべりついていた悪い癖が剥がれていって、できた隙間に新しい強さが身についた。
この感覚、サイクルを早く回すために、良い時間を過ごしたい。
現職のみんなに感謝を届けて、温かく迎え入れてくれる転職先の皆様のために。
この間の体重推移
高校卒業(18歳) 68kg
浪人生活(19歳) 68kg:運動してないのに痩せてたな
就職活動(22歳) 70kg
1社目の内定者研修と卒論(23歳) 71kg:まだ健康体
1社目に入社(23歳) 69kg:一人暮らしを始めて食うや食わずで痩せた
人事部へ異動(24歳) 70kg:友だち増えて飲み会増えて
2社目へ転職(29歳) 72kg:結婚して子ども生まれて。妻のご飯が美味しくて
給与計算チームでの仕事(31歳) 77kg:オールドファッション地獄w
HRtech領域での仕事(33歳) 87kg:人生一太ってた時期。ピーク
36歳初日のスタッツ
体重 81.3kg
BMI 25.7
体脂肪率 24.3%
筋肉量 58.3kg
基礎代謝量 1740kcal
体内年齢 39歳
実年齢 36歳
身長 178cm
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