気付かないうちに頑張っていた話

アダルトチルドレン克服中のほのりです。

前回のセッションで色々お話した結果、
とにかく怒りをブチまけろ!
というのが今回のワーク。

このひとつ前に、ネガティブ感情をひたすら書き出すワークをしていたので、
そこから気になるものを選んでひたすらひとりごとでぶちまける方式を取っていました。

その中で、幼少期に母親から努力を認めてもらえなかったことについてブチまけていたら……まあ止まらない止まらない。


私の母と父は、見えるところで努力してるとからかってくるような人でした。
例えばリビングで勉強していると
「えー勉強なんてしてんだ?明日雨降るわー」
と。
2人にとってはコミュニケーションのつもりだったろうけど、私はこれが嫌で嫌で。
見えるところで頑張ることを辞めた。
これが小学生の頃。

私が中学生の頃、弟が当時やっていたスポーツの代表に選ばれた。
すごいなーと思う私とは反対に、母は全く喜ばず褒めることもせず、それどころか首を傾げる。
「なんですごいと思わないの?他の子が選ばれてたらすごいと思うでしょ?」と尋ねると
『他の子だったらすごいけど……弟だとなんかすごいと思えないんだよね』と母。

意味わからなすぎて自分なりに考えたのだけど、
母と父は弟にスポーツの練習をやれ、ゲームするな、とよく言っていた。
でも弟はゲームをしていた。
だから母の目には弟が努力もせずに代表に選ばれたと映り、それが納得いかなかったのかな、と思った。
ちなみに弟がスポーツの練習を率先してやると、やはり父と母は
「えー珍し。明日雪降るわ」
とからかっていた。

この出来事で、
・努力を見せるとからかわれるから影で努力しなきゃいけない
・でも努力してる部分を見せないと認められない
・努力をしていると認められずに出した結果は認められない

このような価値観がついた。
矛盾しまくりだ。

努力しないと認められないから派生して、自分の存在をただ肯定して欲しかった。
と行き着いたときには気が抜けたような、ふわふわするような、不思議な感覚になった。

そして、他にも怒りはあるはずなのに、
このワーク以降、他の怒りに向き合うことが出来なくなった。


カウンセラーさんに
「ワークをひとつ終えたらそこから先に進めなくなりました、向き合うことを拒絶してる感じがします。」
とワークの過程も見せて相談したら
『この時点で本質にたどり着いていて、すごく頑張ったんだと思います。もう頑張りたくないと思って当然ですよ。』
とお返事が。

涙が出た。
全然、頑張ってる意識なんてなかった。
ただただ、進まなきゃ、お金払ったんだから、やらなきゃ、このまま変わらない、
と、少しでもワークをこなすこと、進むことが当たり前だったから。
そこに頑張るなんて感覚はなく、ただやるのが当たり前。
それがまさか頑張っていただなんて。
でも、頑張ってると言われて涙が出てきたってことは、無意識では頑張っていたんだなと感じた。

カウンセラーさんとは去年からの付き合いで、
初めてお会いした時も
『ほのりさんはめちゃくちゃ行動力ありますよ!』
と言ってくれていて。
私にとっては当たり前のことだから全く実感が湧かず。

今年も6月くらいからポツポツとお話させていただいているのだけど、わりと最初のほうから
『ほのりさんは頑張り屋さんです』と言われていた。
これまたやはり実感は皆無で。
このくらい普通では……?むしろ頑張ってない方では……?としか思えなかったのだけど。
今回、頑張ってますよと言われて、ようやく少し、自分の頑張りを認められたような気がした。
自分で自分を認めるってこんな感覚なのかな?

では、この辺で。
これを読んでくれているみなさんもめちゃくちゃ頑張ってます。
今日もお疲れ様でした。

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