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ポチッと押してしまう衝動

コロナ禍で自粛の中、アルバイトであっても出勤できる幸せ、というものを痛感しながら、本日もJR北海道へ乗る。

JR北海道では朝の通勤時に、通常指定席となる車両が自由席へ豹変し、指定席券を買わなくても、リッチな気分を味わえることがある。

指定席は、指定するだけに、かなり優雅な空間である。

そして、あの衝動が私の体内を駆け巡るのだ。

ポチッと押す、その衝動…

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なんというか…、こんなご時世に不謹慎なのかも知れない。でもなるべく、「心豊かに」を方針としている。私にとって、このボタン押下は大変なる贅沢である。電車内で寝てしまう理由も、頷ける。

でもサラリーマンになってから4~5年目までは、このボタンを押す勇気がなかった。もしかしたら、椅子が180度回転しちゃうんじゃないか…、人前で恥をかくのは嫌だ…、と妙な羞恥心・プライドの塊が邪魔をして、ボタンを押すことすら躊躇する。

無難路線を走り抜けようとするだけの、刺激無き、損な人生。そのくせ、仕事の内容はスリリングなクレーム処理ときたものだから、仕事以外の時間で刺激が無い分、仕事では倍以上の刺激がくるよう、神様がご配慮頂いたのだろうか…、それが真実なら、実に多大なる迷惑行為だな。

だが今では、そんなのどうでもいい。

自分の手元にボタンがあるのなら、躊躇なく押す。間違えて押したら「間違えました」と言えばいい。

…、

歳を取るって恐ろしい。年齢とともに、大胆不敵になる。どうにかなる、ということを覚えてゆくからね。そこには心のゆとりと傲慢さが混在しているのさ。心のゆとりは、ほどよい傲慢さから生まれると言っても過言ではないね。

社会人1~2年目は苦しい、とよく言われるが、なぜ苦しむのかというと、ちょっとしたミスを自分でどうカバーすればよいのか分からず、もしくは、自分のちょっとしたミスで相手の機嫌を悪くすると社会人失格だと、どこかでプレッシャーを自分で作り出しているからに他ならない。

話は逸れるが、、、

これって、大人達が過剰に(今でも)行っている「道徳的教育の達成」なんじゃないか…と、私はそう思う。道徳に反すること、人に迷惑をかけることを少しでも自分が犯すと、社会は、大人達は、自分を許さない…、と、常にプレッシャーを若者たちが感じる。

こんな状態で、若者たちは幸せですかねぇ…。「都合がいい」のは、人生の先輩達だけだよねぇ…、これ。

道徳って、怖いんだよ。強すぎると。

言い換えると、

道徳観が強すぎると、生き辛いのさ。

道徳的教育の達成と、達成による弊害が、皮肉にも表れていると思われる日本。生き辛さの根幹に、先輩たちが口煩く指し示す「道徳」がチラリと見え隠れする…。

先輩たちの使い捨てる、その道徳。その扱い方。その動機。

少々、自分勝手で醜くはないかね?…、と言っても、ロジックを組み立て巧みに、私達は悪くない、って言うんだろうけどね。頑固ジ…、いや、これ以上言うのはヤメとこ。。。

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