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自分と他を別つ奇跡

唐突ではあるが、私の「元」カノは少々変わった芸術家タイプの女性だった。重厚感のある絵の具で油絵を描き、時に体中を墨汁まみれにして書道を嗜む。

そこまでは良い。
だが話の核心はここからだ。

油絵や書道をする時の姿である。


『裸(はだか)』 英語:naked, nude

ブラジャーも、ショーツも、すべて脱ぐ。

生理がきたらどうするのだろう…?そう思っていたある日の夜、いつものように裸になって油絵を描き始めたその時、前がチラっと見えた。

タンポンの紐…。

そのあたりは、しっかりと準備万端であった。当時、彼氏だった私が紐を見た瞬間、なぜか「ほっ…」と胸を撫で下ろし、安心した自分がいたのだった。彼女の父親的心情。彼氏なのに…、不思議な気持ちの表れではあった。


『気になるのは、裸になるその理由』

彼女に思い切って聞いてみた。それは付き合いだして、2ヶ月目くらいだったか。「なんで裸になるの?」と率直に。

●彼女談
「裸になって、周りを気にしてる気持ちのままだったら、私自身の絵が描けないのよ。」
「外側を意識してる気持ちがあると、外側を気にする自分がどこかに残ってるわけでしょ。」
「それで自分の内側にあるものを出せる状態だと思う?」(語気強め)
「出せるかもしれないけど、私はたぶん、出せてないと思ってる。」
「服着て描いても、自分の絵だと納得できないのさ。どこか…」
「いくら人が良い絵だと褒めても、その絵が私じゃないんなら、私の絵じゃないでしょ。」

…、なんだ、この哲学的なポリシーは。
しかもこの談を、当時、裸のまま私に伝えてくるとは。

彼女は、一片の曇りなしこの人には敵わない、と思った瞬間だった。事実、この彼女とは長いお付き合いになったが、別に喧嘩して別れた訳ではないし、嫌いになった訳でもない。

デートはほぼ家の中。外に出歩くのがキライな人だった。こんな芸術家なのだから、そりゃ外を嫌うだろう。でも一緒にいて居心地が良かった。

ある日、互いの家の事情に変化があり、複雑に絡みつく現実的諸問題が両者に襲ってきて…、別れとなったのだが、その辺のストーリーは長くなるので割愛する。

『自分と他を別つ』

最近は、HSP、繊細さん、などというキーワードが急上昇しているだけあって、自分のメンタルをどう立て直し、どう再形成してゆくのかを考えている人の気配を強く感じるが、

これはHSP、繊細さんに限らず、自分の内側に内在するものをそのまま、外側へ表現するのは、かなりの困難さが誰にでもある、という事実を、まずは知る必要がある。

洋服を着る、髪を整える、髭を剃る、顔を洗う。
これらは必要なことだと個人的には思うが、これを過剰にやりすぎたり、気にしすぎたりすると、自分の内面にある本質を偽っているようにも思えてくる。繊細さんであるなら、他人の意識や思考が自分に流れてきたのを感じ、それをリセットするため…、というのもあるかも知れない。

この世に生きている以上は、法律、社会規範、社会的常識・ルール、道徳や倫理観を程度守っていかなければ、変人扱いされてしまうのだが、そもそもこれらの存在自体が「他者の構築物」であり、それに従って生活する以上は、従った時点で「自己の没落」が多少なりとも始まる。

つまり、洋服を着て外へ出歩かなければ逮捕される世の中である以上、そのルールを守らねば逮捕である。ルールの上で生きている以上、宅外へ自分の身を投げ出すと、そこには目を光らせる他人の視線や思考・意識が、多かれ少なかれ自分に向けられ、勝手な憶測、妄想、判断、意識が、自分の思考や心へ干渉し始める。ついには、自分の内在するモノをかき乱す。

同時に、他者が存在しないと生きられない世の中である以上、自分以外の存在はどこかに置く必要もある。でもそれが時に、自分の内部を破壊する干渉者とも成り得て、まさにジレンマである。

自分と他の存在を別つ、という時節は、私も含め、この世に生きるすべての人にとって必要なことと思う。だが、それをいとも簡単に成せる方法の確立が非常に難しい。

元カノの場合は、裸になること自体が、内政干渉を遮断するトリガーとなっていただけだ。他の人にとって、それがトリガーとなる保障はどこにもない。

我が心に内在するものを破壊せず、外側を気にせず、加工や編集を一切せずにそのまま引き出せたのなら、それは「奇跡」となるのかも知れない。

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