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彩木咲良の眼

私がさくちゃん推しになったのは、少しづつ段階を踏んでなんですよね。まず、俺の藤井2014でのパフォーマンスを見て、ひときわチビッ子が思い切りコブシをきかせて歌ってるのが気になって、なにわン2014の道子とクラリスでの、指先にまで意識を集中したパフォーマンスに惹かれ・・・。
決定的になったのは、テレビで見たたこ虹の特番。南港ATCで行われたさくちゃん生誕イベントを見た時。強よく心を奪われました。
本番前ステージ袖で「やればできる子やればできる子」と自分に何度も言い聞かせて、テンパってると思いきや、ステージにあがったさくちゃんは、堂々として、凛としている。

ギターを弾き歌ってる姿に、私の目には、ウッドストックフェスティバルで、「ジョーヒル」を歌うジョーン・バエズと重なって見えてしまったんですよね。こればっかりはどうしてそう感じてしまったのか分からないんですが・・・。
でもその直感みたいなものは、今、さくちゃんがユニコーンを大好きになって、自分で楽曲を作るようになっていくことで、あながち間違えではなかったんだなって思った訳ですが・・・。

さくちゃんのステージに上がるまでの動揺。そして、ステージに上がってからの堂々としている姿。

私は、その振り幅が広ければ広いほど、人としての魅力があり、クリエーターとしての資質があると思っています。自信だけがあってもいけない。出来ないと思い込みすぎてもいけない。そのハザマを揺れ動き、振幅が広ければ広いほど、良い。
でも、その振り幅が広いほど、心への負担が大きくなる。
特に、さくちゃんは、現実を肯定するというのを基本としているので、本当に大変。

でも、だからこそ、心に訴えかけるパフォーマンスができて、楽曲が作れるんだろうと思います。

さくちゃん推しの男性なら、多くの人が感じていることだと思うんですが、ライブ中に、まず、さくちゃんからレスがくるということはありません。
何故かと言うと「恥ずかしいから」が理由のようで。それが証拠にイベントでさくちゃん推しの男性がステージに上がると、とても恥ずかしがる一面を見せたりします。また、グループムービーを撮る時、さくちゃん推しが入ると、妙に恥ずかしがったりもする。

30過ぎのおっちゃんに対して恥ずかしがるって、不思議な感じもするんですが、さくちゃんは外見などに関係なく、真摯に推している人を、しっかり見てるんじゃないかと思います。
家にいるTVでも話題になっていましたが、さくちゃんは、双子タンスの事前練習では、一緒に踊らずに、これから撮影する人のダンスをじっくり見るんですよね。
それはおそらく、記憶に留めたいというのと、本番で自分がどのように踊るか、プランを立てている。
そのことは撮影したムービーを見ると、よく分かります。
さくちゃんは、激しく大胆に踊ったり、可愛く踊ったり、ひとつひとつが違っている。踊る相手に合わせているんですよね。

さくちゃんの澄んだ目は、外見だけでなく内面をも見透かしてるんじゃないか。そんなふうに感じることが良くあります。
もし心にやましいものがあるのなら、それは見透かされている。
一見、見てないようで多くの物事を、深くじっくり見てるんじゃないかと思っています。

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