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ナタリーとの再会

マルセイユに着いたので、エクスにいるナタリーに連絡をいれた。
南仏のエクス・アン・プロヴァンス(通称エクス)に留学していた頃の、かつてのクラスメートはもう散り散りになってしまって、エクスで会えるのは、語学学校の担任だったナタリーだけになってしまった。


大柄でマットな肌、黒髪のショートカットのナタリーが、ゴルチェのGパンを履いて大股で教室に入ってくる姿が今でも目に浮かんでくる。彼女の講義での言葉はいつも、フランス語の教職や文学への愛が溢れてキラキラしていた。そんなナタリーと卒業後に会う時は、いつもとてもよくしてくれるのだが、同時にとてもフランス的で、コロコロと予定が変わる、約束を忘れる、不測の事態に合ってドタキャン…など会うまでが一苦労なのだ。


そんなわけで今回は、事前に日取りを決めずにいたが、現地での連絡がうまくいかない。マルセイユでの数日の滞在中、一日エクスに行く日があったので連絡しても返事がない。こちらもこちらで、毎日朝から海辺をランニングした後、自転車に乗ったり、バスに乗ったり、地下鉄に乗ったり、トラムを乗り間違えたりして、あちこちを回っているので全くゆっくりする暇がない。会えなかったらそれまでと、自分の予定を優先することにし、バスでエクスへ向かった。


賑やかな港町マルセイユと高級住宅街のエクスは、地理的(距離的)にもちょうど大阪と芦屋の関係に近い。久々にエクスの街に降り立つと、街はきれいでさっぱりして、雰囲気も落ち着いている。大通りにはカフェのテラス席が並び、秋の朝の光を浴びて、きらびやかな雰囲気をふりまいている。ここへもう一度住みたいかと問われると、否。キレイな街だが、お洒落なカフェとブティックしかない。アクセスのよい場所での仕事も少なそうだ。


エクスに来た目的の一つに、とある店でジーンズを買うというのがあって、旅行の前から楽しみにしていた。しかし期待むなしく、以前よりクオリティーが落ちている。しかし、前に同じ店で買ってから5年は経ち、新しいものが必要なので、やむなくそこそこのものを買う。朝一番のお買い上げだし、店員も気を遣ったのか、それなりの世間話をする。お礼を言って店を出たところで、ナタリーに出会した。店は坂の四角にあって、私は北へ登って行こうとしていた。ナタリーは、東西に伸びる道を頭だけ南(つまり私の方へ)向けて、大股で闊歩していた。


「ナタリー」
「ああ、そういえばエクスにくるの今日だったわね。とにかく最近忙しいのよ。今から急いで終わらせないといけない用事があるの。午後のことは…わからない。とにかく後で連絡するから」
「今少しだけでもお茶する時間ない?」
「ない(即答)。急がないと。知ってるでしょ、フランスはお昼に店が閉まるのよ」

そういって見せられた腕時計は11時45分を指している。後で連絡すると言っても、wifi接続しかないので、上手く合流できる可能性は少ない。数年ぶりに会った喜びよりも、目の前の用事で完全に頭が塞がっている。
「じゃあお店まで一緒に行くから、歩きながら話そう」
歩き出してほどなくすると、ナタリーのパートナーのジョエルが向こうからやってきた。
「ナタリー、お店にいってきたよ」
「本当ジョエル?間に合ったの」
「ああ、もう済んだよ」


「お茶でもしましょうか」
途端にナタリーの頭が切り替わる…
「ああ、そうだ。ここでトロペジアンを買っていきましょ」
トロペジアンとは、ブリジット・バルドーでおなじみの地サン・トロペ発祥、ブリオッシュ生地にカスタードクリームを挟んだシンプルなケーキことで、
「ここのはエクス一なのよ。どこぞのもったいぶった店で、一切れ数百円のを買わなくても、ここのが安くて、一番おいしいのよ」
と先ほどまで忙しいと忙しいと早口でまくしたてていたのと同じ口調で、今度は滔々と最高のトロペジアンについて語り始める。これこそがナタリーなのだ。感性がするどく、感激屋のナタリーが何かについて語る時、その言葉は生き生きと輝き、聞く者それぞれの頭に中で豊かなイメージとなってひろがっていく。私たちはこうやって、エクスの名店(小さい街なのに、観光向けのものを含めて無数に店がある)やプロヴァンス地方の特産品や風習を教わったのだ。


私たちは南中を迎え、ジリジリと日陰か後退していく広場のカフェの一角に腰を下ろした。小さな広場だが、何軒かのカフェがテラス席を出し、そのどれもが人で溢れかえっている。こんな平日の日中に、一体みんな何をしているんだろう、と不思議になる。

三人共サングラスを取り出し、陰を追って小刻みに椅子を移動させながら、それぞれの近況について話し込む。ジョエルはもう定年を迎え、ナタリーの学校での教職生活も終盤を迎えつつある(個人教授には定年はない)。コロナ以来、感染のリスクを避けるため、こうやって街出てくることもなくなったそうだ。よく会えたものだなと思う。
「モニ(私のこと)を昼食に招待したいんだけど」
ナタリーがジョエルに提案して、二人のアパートに招いてくれた。
「喜んで」


エクスの街のはずれにある、緑豊かな公園に隣接するアパートで、二人は暮らしていた。前に来た時と変わらない、日当たりのいいサロンのテーブルに置かれた、山積みの雑誌。壁にかかった写真や絵画。あちこちに飾られた、オブジェや工芸品。清潔で、居心地のいい空間だ。


ジョエルがファルシを作ってくれる。ファルシとはニースの名産で、半分に切ったトマトやズッキーニ、パプリカの中をくり抜いて、中にひき肉をつめて焼いた料理で、にんにくやプロバンスハーブで味付けされていて、つけあわせのご飯がすすむ。もちろんフランスだから、お昼のワインも。たらふく食べた後のデザートは先述のトロペジアン。「食べすぎたからちょっとだけ…」と言いつつも、三人ともペロリと完食。中のカスタードクリームが夢見たいに軽く、口のなかでフワッと溶けて消える。まるで雲を食べているかのよう。


この家はいろんな絵やアート作品があっていいね」というと、しまってあるコレクションを色々と見せてくれる。高価なコレクションはないが、気に入ったものを買うのだという。美術館にいかずとも、ちょっとしたツアーができてしまう、素敵な生活だと思う。


こんな風にして、秋の気持ちのいい午後を二人のアパートで過ごした。
次会うのはまた何年か先だろう。みな年を重ねて少しずつ変わっていくが、静かな親密な時間の中で、変わらぬ友情を再確認しあう、そんな一日だった。


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