マガジンのカバー画像

日本の公鋳貨幣

47
日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。
運営しているクリエイター

2021年7月の記事一覧

日本の公鋳貨幣18『銭不足と信用創造と元寇と』

日本の公鋳貨幣18『銭不足と信用創造と元寇と』

前回はこちら

元の成立と銭不足の始まり平安末期から国外に銭貨需要を依存した日本の政府は、自国で金融調整を行う必要がありませんでした。なので、1221年の承久の乱に勝利し日本全国を支配することになった鎌倉幕府も、本来金融政策を行うべき政治リソースを削減し、荘園の整理や分割など国内整備に割くことができました。承久の乱の敗北により権威を失った朝廷はというと、国政の中心業務には携われなくなりますが、主に

もっとみる
日本の公鋳貨幣17『輸入銭解禁』

日本の公鋳貨幣17『輸入銭解禁』

前回はこちら

成立直後から大混乱だった鎌倉幕府鎌倉幕府の成立時期については、どの出来事をきっかけと考えるかで様々な学者が自説を発表しております。最近の教科書では『文治の勅許』、すなわち、頼朝に守護・地頭の任命権が与えられた文治元(1185)年を成立年とする説が掲載されているそうです。しかし、幕府というのは将軍がいる陣幕を表す単語であることを考えるとかつての征夷大将軍に任命された建久3(1192)

もっとみる
日本の公鋳貨幣16『宋銭使用禁止令』

日本の公鋳貨幣16『宋銭使用禁止令』

前回はこちら

日本社会に銭を定着させた平家の滅亡平家政権が盤石の態勢を整えた治承3(1179)年、平清盛はクーデターを起こし後白河法皇を幽閉。関白・松殿基房を追放し完全に政治の実権を握ることに成功します。武家の時代の始まりです。

↑清盛に幽閉された後白河法王。ヘッダーの三十三間堂を作った人です。

同年日本全土ではしかが大流行していますが、全身に丸く赤い発疹ができるこの病は「銭病」と命名されま

もっとみる