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カフェで会う

犬と過ごす、さてどうなる。

生き物を飼うことは、命の存在を見つめることでもあります。見た目や、その仕草のかわいさ、自分で世話をすることの喜びは、ペットと呼ばれる存在によってもたらされます。

ペットではありませんが、公園や道端など、さまざまな場所で鳥や猫に餌をあげているのは、餌をあげると気持ちがいいからなのだろうな、と思ったことがあります。文句も言わずに、どんどん食べてくれるのですから。

苦手な人からしたら、汚れたり、うるさかったり、臭いがしたりして、なかなか受け入れ難い行為かも知れません。

餌をあげている人が、どこまで想像するのかはわかりませんが、自分が餌をあげないと・・と使命感のようなものを信じている人もいそうです。

さて、冒頭のこと。

妻の仕事の関係で立ち寄ったのはドッグカフェでした。ペット用の食品を売るお店の一角がカフェになっていました。

家族で訪れたので、子どもたちは大喜び。公園などで、散歩中の犬を触らせてもらうことはあっても、なかなか一緒に過ごすことはできません。

看板犬として店内にいたのは、小型犬のヨークシャ・テリアでした。・・うるうるの目がかわいい・・!・・でもここは子どもたちが楽しむ場所。僕は冷静を装って、席に着いていました。

子どもたちは、リードのない犬におっかなびっくり。妙な距離感をとりつつも、追いかけ回していました。店員さんが、犬のおやつを持ってきてくれて、子どもたちは手から渡すことができました。

僕は、犬は小さい子どもは苦手という印象がありましたが、おやつをもらえるのならと心を許しているようで、子どもたちと同じような距離感で様子を伺っていました。


例えば、名前を呼んで反応するとか、ペロリと手を舐められるとか、子どもにとって、自分よりも小さくて、人間ではない存在はどう映るのでしょうか。

大事にする、可愛がる、が命を通じて実践できるというのは、人形とはまったく違うものだと思います。動くし、鳴くし、それが生きている限りはやめられません。

人形やぬいぐるみで、それを求めて遊ばせていたこともありますが、投げたり振り回したりして、扱いが可哀想だと叱ることも。

「あなたがその人形だったら」と何度も言っても、それはすぐに忘れられてしまうようでした。

もし、犬や猫だったら、そんなふうに遊ぶ子には近付かなくなるでしょう。さらには、毎日毎日世話をすることの大変さを実感するはずです。

「犬を飼いたい、猫と暮らしたい」

それは希望として、たびたび口にする子たちですが、店内を歩き回り、目と目を合わせる犬と会ってから、それを言わなくなりました。

それが何かは聞いていませんが、おそらく
なにか「怖く」なったのかなと。

店内で「かわいい」は何度も言っていましたが、ぬいぐるみのようにおとなしい姿をイメージしていたのかも知れません。

自らの意思で動き回り、時に吠える、ほんとうの命を感じて、なんとも言えない怖さのようなものが芽生えたのだとしたら、それを大事にしてほしいなぁと思うのでした。


#ペット #ドッグカフェ #かわいい #命

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