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本を読む、本で読む #書もつ

いまさら読書法のことを、僕が書くこともないと思う。巷には、さまざまな読書法の本があるし、なにより書もつシリーズを読んでくださっている方々は、少なからず本を読んでいるから、もはや読書の方法は確立されているようにも思う。

ただ、この投稿を読んでいる方の中で、本の読み方がイマイチ分からないという思いを持っている方がいるかも知れない。いわゆる「正しい読書」みたいなものがわからず、とりあえず闇雲に前から順に読んでいる、という人が多いのではないかと思う。実は、僕も大抵そうだ。

これまで読書の方法を知ろうとして読んできた本がいくつもあるけれど、その中でも役に立った本を紹介したい。


唐突だけれど、新書を読むことは好きだろうか。新書は、本のサイズの一類型というだけではない。新書は、より知識系の読み物として、ちょうど大学などの講義を読んでいるような濃い知識が得られる本、というイメージがある。タイトルもさまざまに工夫されているし、著者も専門家であることが多い。

高校生の頃、担任の数学教師が「岩波新書を100冊読めば新聞記者になれる」と言ったのが衝撃的すぎて(そんなん読んだって、なれるわけないよー!と思った笑)、岩波新書ばかり読んでいたことがある。

新書の読書法として、これがとても良かった。この本を読んで、僕は「読書」について新書を3冊選び、この本に書かれているような分析を行った。著者の言わんとすることを明確に比較することができて、知識の整理というよりも、自分の考えを強めるきっかけになったのは収穫だった。


そんな中で出会ったのは、作家の平野啓一郎の読書法だった。作家という職業柄、本を読むのが速いのだろうと思っていた。どんどん読んで、ガンガン書く、特に平野のように緻密な物語を描く作家の本の読み方が、とても興味があった。タイトルに答えが出ているが、予想していたのと正反対の答えだった。しかも、小説に特化した読み方だった。

ちなみに、僕の好きな作家である浅田次郎も、遅読であるとエッセイで語っていた。遅読であることの価値のようなものすらありそうだ。いや、この現代で、何冊もの本を読むよりも、価値ある本をじっくり読めるのもまた、技術なんだよなぁと思う。ともあれ、読むのが遅くてもいいんだよ!と励まされて、ほっとした。


僕が、読書法の作品としておすすめしたいのは、こちらの作品。翻訳者は、あの外山滋比古、彼の名のように古めかしい文体だけれど、読書法を体系的に説明してくれて、さまざまな視点が得られる。タイトルもシンプルで良い。


人によっては、読書法の本なんて読んでる時間があるんだったら、別の本を読んでいたい、と思うかも知れない。小説なら、それでもいい。でも、知識を得たり、情報整理するための読書をするなら、技術として読み方を知っておくことは、効率が上がったり、より重層的な理解に繋がっていく。

最近では、こうしてアウトプットする読書が方法論としては流行っているような印象がある。ちょっと大袈裟だけれど、書こうとしたとき、自分の中に言葉がないと書けないものだ。アウトプット前提で読み進めるのもまた緊張感があって好きだけれど。

各駅停車に乗り続けるのではなくて、特急のチケットを手に入れる感じ、ということかも知れない。infocusさんのサムネイル、示唆的である。ありがとうございます!

#推薦図書 #読書法

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