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お金は楽しい

中学生の頃の夏休みの国語の宿題は、読書感想文と意見文でした。意見文は文字通り意見を書く作文で、夏休み明けにクラスで選抜され、学年でひとりが選ばれて、弁論大会のようなものが開かれていました。

原稿用紙で5枚分だから、5分くらいの時間ですが、自分が感じていることを意見するのだけれど、これが結構難しい。だいたいが、親が口うるさいとか、道にゴミが落ちてるとか、そんな話題になってしまっているわけです。

そんな中で、僕は「人間は金が好き」というタイトルで、拝金主義への意見を書きました。今となっては、どんな内容であったか忘れてしまったけれど、なんでもお金で解決するようなことが、なんとなく腑に落ちなかった少年時代を過ごしていたのだと思います。

学校の活動には、常に教育的という基準がついてまわります。だから、意見文としてはとても立派だけれど、「成績至上主義に異論」とか、「この教師は嫌いだ」と言った、ある意味では真っ当な意見は、個別に生徒指導という形でうやむやになっていました。

思えば、あの中学生だった頃に、お金について、もっと勉強しておけば(なんて当時は微塵も思わないだろうけれど笑)、少し違う未来があったのではないかと思うのです。

僕は、お金についてはいまも相変わらず知識として持ち合わせがない。だから、僕はお金については距離を置いてしまっているし、できれば考えたくないとさえ思っているのです。

反面、妻は違いました。

「お金は感情だ」というのです。お金は道具の一つであって、感情表現による価値の表し方のようです。自分がいいと思うものにお金を払い、そうでないものはお金を払わない。単純な構造なのだけれど、だからと言ってお金が全てではない。

お金を大切にしなさい・・と言われて育った僕は、大切にする=貯金する、だと思っていました。

けれど、アルバイトでまとまった金額を手にした時、始めて自分の好きな店で好きなように服を買いました。その時の高揚感は忘れられないものです。

同じように、自分で稼いだお金で旅行に行くのも、とても楽しいことでした。それを繰り返していたら、お金を稼ぐことは、楽しみのために労働するという、トレードオフのような関係性で語られるのではなくて、どちらも楽しめたらもっといいよねとも思うようになったのです。

大学生のとき、ビッグバンドのサークルで、企業のパーティや、新宿のデパートの屋上にあったビアガーデンでの演奏をして、サークルの活動費を稼ぐという経験をしていました。

自分たちも楽しんで過ごせて、お金がもらえる、それは学生の特権だと思っていました。でも、違うんじゃないかと。

お金は楽しい、こう書いてみると胡散臭い感じがするけれど、お金によって楽しみを得られるなら、またお金を稼ぐことを楽しめることは、これからの僕の人生においては、とても大切な視点だと思っています。

賃金の格差、のような課題はあるし、それはさまざまな判断の積み重ねで起こっていることだけれど、賃金だけのために働いている人はあまり多くないのではないかと思います。

僕だけではなくて家族にも、お金を使って楽しむのはもちろん、楽しんだしお金ももらえた、という体験があったらと願っています。

楽しみながら働けること、そしてお金を使うこと、楽しみな未来が待っていると、あの頃の僕に伝えたいと思う朝でした。


#お金について考えていること

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