こころ、みる(はじまりのあいさつ)
エッセイとは、「試み」のこと、らしい。
敬愛するnoterさんが、エッセイのことを考察している記事を読みました。
いろいろと書きたいなぁと思うことはあっても、実際に書く事が少なかった僕にとって、その記事は”大きな翼”のような存在になりました。ノウハウやハウツーじゃないと読んでもらえないかなぁとか、こんなに自分のこと書いてたら読んでくれないよ・・とか、書かない理由を勝手に作っていたことに気付いたのです。
とりあえず、何か書こう。そして続けよう。
一つの投稿に何時間もかけて推敲して、写真を選んで、という作業も楽しいのです。でも、ほかのことで時間が削られてしまうと、とたんに創作意欲もしぼんでしまう・・それは勿体ない。だから、とりあえず書いて、便利な「みんフォト」でタイトル写真を見つけて、毎日投稿してみよう。と決めることができて、書き始めることが出来ました。
一応の決まりとしては、ざっくり1,000文字程度を目安にひとつの記事を書いてみようとしています。内容は特に決めずに、生活のこと、子どものこと、考えたこと、読んだ本のこと、を書いていけたらと考えています。
とても刺激を受けたある本に、「自由」とは「自らに由る」ことであると書いてありました。その言葉にある「由る」というのは、作用するとか、動かすといった意味合いらしく、それは一体どんな事だろうと考えてみました。そして、なんでも好き勝手にやるというよりも、少なからず制限がある中で、自らのほんとうの気持ちに向き合い、表現した結果としての「自由」が生まれてくるのではないかと思ったのです。
この毎日投稿してみようという“試み”は、自らに由るための取組みです。普段考えていることを言葉にしておきたいとか、自分の中にある価値観というか信念みたいなものが、一体どんなカタチをしているのか知るために、出来る限り続けたいと思っています。記事同士のつながりは慣れてきたら考えるとして、まずは自分の中の言葉を整理していく過程として、書いていくつもりです。読んでくださる方にはとても心苦しいですが、自分よがりな文章でしかないのかも知れません。ただ、誰かを不快にさせたりすることは避けなければなりません。
こんなことを書いておいて、たった数日しか続かないかも知れないと、不安がモヤモヤと湧いてきました。でも、”試み”だから、と辞めるのもカンタンに出来そうです。日々の投稿のために何が出来るのか、そしてどんな風に変わっていくのか、少しでも多くの楽しい記事が書けるといいなと思います。
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と、ここまでは数日前に書いていました。書き終えて、冒頭とは別の方の記事を読み、「辞めるのはカンタン」と書いた自分が恥ずかしくなりました。それは、noteという場への敬意が足りていなかったという認識からでした。投稿者を”クリエイター”と呼んでくれて、励ましをくれる場は、note以外、地球のどこにもありません。
はじまりに決意表明の記事を書かずに、数日間投稿してみてから、この記事を投稿しようと思っていました。そして、今日で7日目。一体、どんな変化があって毎日投稿し始めたのかお知らせしたいのと、そして自分への励ましも込めて。
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毎日投稿を始めた矢先、嬉しい知らせがきました。ここ最近、noteでグングン注目されているコピーライターさんから「記事を書かせてもらった」との連絡でした。noteという場で、どう発信したらいいのか・・と同じ悩みを持つ、僕を先頭とした多くの人に、ひとつのきっかけを与えてくれる記事です。あの時の対話がなければ、何も変わっていなかったかも知れないと思うと、人と会うことの価値がさらに高まってくるような気がします。
いい記事だ・・。
ここ数日、なんとなく新年度の始まりのような、節目のような雰囲気が社会に感じられます。それは不謹慎と言われてしまうかも知れませんが、動き出す季節というか、変化するとき、というか。
またnoteで会いましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd