君に謝りたいことがある
君に謝りたいことがある。
ちゃんと一緒に見て、
言葉で説明すればよかった。
堪えられなければ、
涙を流せばよかった。
日曜日、市の文化センターでの習い事を終えて、活動場所の部屋を出て1階に降りた。広いスペースの壁の一部には、この時期に広く見かけるような、戦争に関するパネルが展示されていた。テーマは原爆だった。原爆により被災した人たちの写真が、大きなパネルになっていた。
子とふたり、おそるおそる見ることにした。
どれも人間が写った写真だった。ひどいやけどを乗り越えて後年にスピーチをした被災者、家族が焼けて死んでいった被災者。
ただ、写真は生き延びた者だけが写っていたわけではなかった。
駅のプラットホームで、黒焦げになっていた母と子の死体、と説明されていた写真があった。口が大きく開いて、まさに叫び声をあげたまま、猛烈な熱風で苦しんでいたであろう表情のまま残されて、黒く焦げていた。
直視できない。
写真を見るよりも、字に意識を向ければ、この胸の痛みから逃れられるだろうかと、字を追ったけれど、やはり苦しくなってしまった。
原爆で焼かれた死体のむごさは、広島の平和祈念館でも見たことがあったし、子どものころから絵本で見たり、物語を読んだりしていたから、ある程度の想像はできていた。
できていたけれど、写真は衝撃的だった。子どもも、大人も、どの写真を見ても、自分の身近な人に重ねてしまう。怖い、悲しい。
「ごめん、お父さん、ちょっと無理だ。写真が生々しすぎる。」
それだけを告げて、子から離れ、パネルから離れ、広いスペースの反対側にあったチラシのラックを物色するふりをした。子が残った壁のパネルにはそれぞれ説明書きがついていたが、難しい漢字や言葉があって、子には読み切れないだろう。
子は、不安そうな顔つきでこちらをチラリと一瞥して、パネルを見上げていた。少しずつ、場所を移動しながら眺めているようだ。
不思議なことに、胸の苦しみを感じていた時、なんでこんな写真を見せられなきゃならないんだ!と、なぜかイラついてもいた。
戦争の写真といったら、焼け野原や、生き延びた人の写真だと、思い込んでいたのかもしれない。生々しい写真が伝えることを否定していたのかもしれない。死がなにか神秘的で美しいものでなければ、と思い込んでいたのかもしれない。
死が当たり前に存在している戦争の側面を否定していたわけではなかったが、写真に写る死が怖くて堪らなかった。
見るに堪えない、なんて言葉を思いついて、そうだそうだ、このまま見ていたら辛くて辛くて泣いてしまうかもしれない、これまで散々、原爆のことは読んできたし、僕はもう見なくて大丈夫だから、なんて都合のいい言い訳をして、その場を離れてしまったのだ。
時間なんてたっぷりあった。
留守番していた家族にも、パネル展示のことを説明すれば済むことだった。
子と一緒に、辛さや悲しさを共有する時間を過ごせば良かった。
戦争や原爆について、これまで僕が読んできた本や、聞いたことのある話、旅先でのこと、子どもに話したいことはたくさんあったはずじゃなかったのか。稲城にある米軍のゴルフ場も、戦争が発端で作られていることを話すこともできたはずだった。
苦しい写真たちの前で、涙を流してもよかった。言葉にできなくとも、いまの平和を実感できたかもしれない。個人的な感情で、子にとって大切な時間を半分奪ってしまったような気がする。
数日たって、ようやくその“勿体なさ”に気が付く。
怖がりな子は、暗がり、地震、物音に「こわい」と言う。「大丈夫だよ、そのくらい。」なんて言って欲しいわけじゃないのは分かっている。怖さを煽るのは趣味じゃないけれど、怖さを理解するのは、僕にでもできたはずだ。
まだ、間に合うだろうか。パネルたちは待っていてくれるだろうか。
僕も知らない戦争を、君はもっと知らない。
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