アルコホリズムという名の家族の病
アラノンの基本テキストであるHow Al-Anon Worksは、その第6章 The Family Disease of Alcoholism(アルコホリズムという家族の病気)の冒頭において「気づき(awareness)は、アルコホリズムという家族の病気について学ぶことによって始まる」と述べています。
アラノンでは、コントロール欲求や完璧主義などの家族によく見られる傾向を「自分の病気」だと捉える仲間が少なくありません。ミーティングの中でそういった問題をテーマにして分かち合うことが多い一方で、家族の病気の実態について話し合う機会はあまり無いように感じます。そこであらためて、アラノンという共同体が定義するアルコホリズムという家族の病について、私の体験と照らし合わせながら考えていきたいと思います。
家族の役割???
プログラムにつながって間もない頃、別の共同体の仲間と毎週ビッグブックの読み合わせをしていました。私の夫は私と出会う少し前に仕事を辞めて以来無職で、当時も仕事が見つからずにいました。あるときその仲間が私に言いました。
「ソーバーになっても働かない夫と今も一緒にいることが理解できない。あなたが一人で家計を支えていることが彼の回復を妨げているのではないのか?」
その言葉は寝耳に水であり、一言で言えば、とんでもなく不快でした。しかし同時に、こんなにも大きな「疑い」を私に与えてくれた衝撃は他になかった。それほどに聞き捨てならないセリフであったのです。
家庭の中で、アルコホーリクと家族はそれぞれにある役割を果たしていると言われています。私の役回りはいわゆるイネーブラーと呼ばれるものです。果たして私はどのようにその役を引き受けていたのでしょうか?またそれは意図的なものであったのでしょうか?
ふるまう(act)アルコホーリクと反応する(react)家族の構図
これまでも見てきた通り、アルコホーリクは飲酒をコントロールすることができません。コントロールを失ったアルコホーリクが起こす結果に、家族はいつも対応を求められます。酔っぱらったアルコホーリクに責任能力がないことは、誰の目にも明らかであるからです。家族はアルコホーリクの無責任な行動に腹を立て、同時に深く恥じるようになります。半ば必要に迫られ、半ばさらなる惨事や屈辱を避けるべく、家族の介入は徐々に増えていき、それ以外の選択肢が見えない状態になっていきます。
いま思い起こすと、父に対する私の反応と夫に対する私の反応はだいぶ違うものでした。父は爆笑や悲鳴を巻き起こし、注目の的となるような飲み方をしました。子どもであった私には母だけが頼みの綱であり、母を絶対視して父に対する反応も意見もすべて母に倣うようになりました。片や夫は、12年のソーバーの期間を経た後の再飲酒。一度夫にあの時のリラプスを言葉に表すことができるかと聞いたことがあります。「絶望のブラックホール(black hole of despair)」と言いました。あの真っ暗闇の中で私が何より恐れたことは、夫の感情が乱されることでした。なぜならそれがあらゆるトラブルを引き起こす諸悪の根源であるかのように感じたからです。そして(その恐れが現実化することを避けなければならない)という信念が、私のすべての行動を決定しました。そこにはイエスもノーも、正直さも不正直さもありません。
こうして私は、真実に直面することからひたすらに家族を護っていました。私の行為には明確な目的があり、それゆえ意図的であったと言うことができます。そしてこれこそが、この病気のダイナミクスの中で私が大きく担っていた「私の役割」であったのです。
次回も引き続き、アルコホリズムという家族の病気について考えます。