見出し画像

アラノンの第一ステップ(4)家族の狂気

家族の狂気を考察する上で、アラノンはAAが定義するアルコホリズムの狂気を知っておく必要があると考えます。なぜなら私たちが抱く狂気とは、長い期間アルコホリズムの影響を受けたことによって至った心の状態であるからです。アルコホリズムの狂気を知らずに私たちの狂気を語ることができるでしょうか。しかしながら、アラノンの文献はアルコホリズムについて詳しく述べるものではなく、アラノンのミーティングでもあまり耳にしません。これは少し残念です。

心の家路』の小辞典は、そんな私たちの大きな助けになるものと考えます。プログラムとアルコホリズムを知る上で不可欠な人物や語句が集められ、その経歴や意味が簡潔に解説されています。ここではその小辞典から『狂気』の記事を参照させていただきます。

この記事によれば、アルコホーリクは強迫観念が生じると、酒に手を出さないという正常な判断ができなくなります。アルコホーリク本人が酒を飲んではいけないことを承知し、飲む理由もなく、飲まないように十分に気をつけていたのにもかかわらず、まったく抵抗なく飲んでしまったという事例(ビッグブックの第三章)を挙げ、そのときのアルコホーリクの精神状態を「狂気」であると説明しています。

余談ですが、私は体質的にお酒が一滴も飲めません。ほんの少し舐めただけで動悸がして気分が悪くなります。私の職場の周りにはたくさんの居酒屋が軒を並べていますが、仕事帰りの道すがら、ふと私がそこに一人座ってビールを飲む姿を想像することがあります。アルコホリズムとは、私がそれを実行に移すようなものだろうか・・・だとすれば狂気の沙汰です。

アルコホーリクでない私たちは、その精神状態がどんなものであるのか身をもって知ることはできません。しかしそれが異様であるのは分かります。しかも記事にある通り、この狂気に襲われていないときのアルコホーリクは、ある程度の期間、意志の力で断酒を続けることもできるのです。ところがこの狂気がアルコホーリクの精神の中にある限り、いつか再び強迫観念によって飲酒を余儀なくされてしまう。その結果、私たちの精神は期待と失望、信頼と疑心、愛と憎しみ、理想と現実、正気と狂気・・・こうした両極の間を何度も何度も往復することになります。How Al-Anon Worksは、アラノンの「狂気」を「performing the same action again and again, each time expecting to achieve a different result(同じことを延々と繰り返し、そのたびに違う結果を期待する)」ことであると述べています。これは、アルコホリズムの狂気に翻弄される家族の姿でありましょう。

これまでのスポンサーシップを振り返ると、ステップ1の段階にいるスポンシーにはある共通点があります(私も同様でした)。それは、アルコホリズムが自分にどんな影響を与えているのかまったく分からないということです。そしてその影響は、周りの人々の目には明々白々であるのです。自分も異様であるのにそれが分からない。これを狂気と呼ばずして何と呼ぶでしょうか。

アラノンの12ステップに入る前に』の冒頭に、四つの質問を挙げました。家族の狂気が明らかになると、①と②の質問に対する答えが自ずと浮かび上がります。私の場合、①回復が必要なのは、精神的かつ霊的に病んでいる私の心の状態であり、②私自身の問題は、恥を隠し通すために闘いを止めない強情な自我でありました。私は私自身を治すことができない。この真実が、私たちをステップ2へと運びます。それでは次回、アラノンの第二ステップに入ります。