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母親が働きながら子育てをすること

こんにちは。
だんだん増えていますよね、
ワーママ、共働き。

私の母は小学校高学年になってから
パートに出ましたが
記憶の中で家に帰って母がいなくて寂しい、
という想いは全くありませんでした。
きっと小さい頃は側にいよう、
と主婦でいる選択をしていたんだと思います。

ですが、
幼少期から母に聞かされ続けていた言葉があります。

大学にいって、自分でしっかり働いて
1人でも生活していけるようになるんだよ

と。
強く言われたわけでなく、
要所要所で刻み込まれるように
言われ続けてきました。

母は高校卒業後、就職。
職場で父と出会い、21で結婚。
22で私を産みました。

大学には行かせてあげられない、と
私の祖父母から言われたみたいです。

きっと、大学に行きたかった、
学びたかった、遊びたかった、
自分の稼いだお金で生活してみたかった、
という想いもあったのかと思います。

そんな母からの言葉を聞き、育ったわたし。

しっかり刻み込まれた言葉は、私の軸を作っている気がします。

結果として、
結婚して子どももいて。

けど、結婚願望なんてなく
社会人になってからは
社会での自分の市場価値を上げたい。
そう考えて生きてきました。

働き方に関して、
女友達で話の合う子は少なく
すごいね、と言われるのも
なんだか寂しかった覚えがあります。
ただただ、重要視するものの違いであって
凄くもない。正しくもない。
女でも働き続けて、
誰かの妻、誰かの母、という肩書きでなく
『mon』としてだけでも
社会から認めて貰える環境を
自分で構築したかったんです。

きっと貪欲で
承認欲求が強い。
偉くも、凄くもなく、
理想を追い求めた結果。

幸運なことに、
夫は共働きに協力的。
結婚する前から、
理想を伝え続けていたことも
大きいかもしれません。

ここまで話すと
協力的な夫がいて
働きたい上に働けて
理想通りなようです。


なかなか満たされないことが人間なんですかね。

結婚前から勤務していた職場では
マネージャー業務をしており、
そのなかで結婚、出産、
そして育休を経て、職場復帰しました。

働くことは本当に好きで。
遣り甲斐もあり。
職場もホワイトな環境であると感じていました。

だからこそ、
育休中働きたくて働きたくて
しょうがなかった。
子どもは可愛いし、一緒にいたい。
でも実家も遠く、
友達も側にいない環境での子育て。
孤独で、夫以外コミュニケーション取れず。
仕事は人とコミュニケーション取ることがメインだったから余計辛かった。

そして、念願の職場復帰。
どこか自信がありました。
協力的な夫。
大好きな職場。
自治体、保育園。
きっと色んなものが私が働くことを
サポートしてくれるのだと。
そして上手く子育てと仕事を両立できるのだと。

実際復帰してみると
この自信は消えて無くなりました。
夫も保育園もサポートしてくれ、
全く恵まれなかった訳じゃない。

何が自信を消したのか。

マネージャー職での育休取得はわたしが初めてでした。
復帰するときも
子ども第一優先でいいから。と。
マネージャーでの復帰ではなく
アシスタントマネージャーでの復帰となりました。

始業時間が遅い職場なので
保育園のお迎えに間に合うよう時短勤務。

残業もせず、
帰っていいよ、と言ってもらえる環境。

ですが、同僚たちが忙しい忙しいと
責任のある仕事をしているなか
同じ仕事を任されず、会議に呼んで貰えないことも。

とても悲しく、寂しく。
でもこの感情は時短勤務、子育てしながらの勤務を選んだ私の責任なのだと。
そう思いながら過ごす日々でした。

そして仕事が終わって、
バタバタと子ども達のお迎え。

そこで私のお迎えを待っている子どもたちの笑顔をみて思うんです。

この子たちの側にいないのは何で?
私はこんな気持ちで働く仕事のために
この子たちとの時間を削っているのかと。

そして家に帰り、
そんな気持ちで家事が捗るわけもなく。
理想の自分、妻、親、
どれもどんどん離れていきました。

こんなこともありました。
上司から
この日は会議に出て欲しい。と。

嬉しかった。
出産前は当たり前だったこと。
でも少し前進した気がしました。

出席するとお迎えに間に合わないので
夫と仕事の調整をし、準備を整えました。

そして日程が近づくと、、
参加者の中に私の名前がありませんでした。

何も言われてません。

モヤモヤしてもしょうがないので
先輩社員に出席だと聞いていたことを伝えました
すると

会議には皆出られるわけではない
私(先輩社員)だって出られなかったときはある。
時短でもなく、残業もして、結果を出している人が
優先されるのはしょうがないんじゃないかな。

と。

はい。
言っていることはわかる。

私は参加したかったし、
結果的に参加できないならそれはショック。

でも1番もやもやしたのは、
その会議に参加するために夫と色々調整し
体調不良のときの対応も考え、
そうやって備えていたのにも関わらず

一切のコミュニケーション無しで
自分の存在がなくなってしまったこと。

こんなこと長年働いてきて一度も無かった。

こちらの準備も努力も
周りに関係無いこともわかる。

ただただ悲しかった。

そのようなことも度々ありながら
自分の理想とはどんどん離れ、
産前のように上手く働けないことも
仕事で我が子と一緒にいれないことも
家事を完璧にこなせないことも

様々なことに対して、
後ろめたくなりました。

その中でも
自分の気持ちを伝えなければ、
上手く解決できる方法を考えなければ、
という気持ちだけはどこかにあり。

フレックスが使える部署の社内公募に応募してみたり
(選考は進んだけど最終的にだめだった)
人事や上司に相談してみたり
(子育て社員に寄り添い、制度を変えるような余力は今現在無いとはっきり言われた)

色々動いてるうちに、
あれ?
わたしはこの会社に愛着があって
この会社での仕事が楽しくて。
この会社で上手く働きたかった。
けど
この会社じゃなきゃダメなんだっけ?
と。

この会社じゃなきゃダメな理由って何だろう
なりたい私に近づくには、
別の選択肢もあるんじゃない?

やっと気付いた私。
自分がその時できる全力で、
やってきたからこそ後悔はなかった。

思い立ってからは
決して急いでなかったけど早かった。

以前は時短勤務だったけど
前職でできなかった
フレックスと在宅ができることで
子どもとの時間は増え、
フルタイムで働くことができる。
環境としてはとても有難い転職先。

前職だって子育て制度はあった。
法的なところもしっかりカバーしていた。
決して責められるようなことがあったわけでもない。

だけど、私が求めていたことは
戦力の一員として
仲間に認めてもらうことかもしれない。

転職して、解決!
となればいいのだけれど。
会社だけの問題でも無いわけで。
(もちろん私の力不足も大いにある。)

転職すると十分な有休がないぶん、
子どもの行事に行けなくなってしまった。
夫は平日に休めるので快く行ってくれた。
が、
やはり夫以外は皆母親。

またお父さんなんですね、
っていわれることも。
(保育園全部落ちて泣く泣く幼稚園に入った上の子の行事は平日ばかり、、)

我が子はパパ大好きで、
自分だけパパが来ることは特別で嬉しかったそう。

わたしだって全部の行事に行きたい。
我が子の色んな瞬間を生で観たい。
周りのお母さん達にどう思われてるんだろう。
前述のように、
私の行事は母がちゃんといてくれた。

色んな想いが。

本当に欲張りだなって思います。
みんなに認められたくて、
母親、妻、社員、
どの自分としても合格点が欲しくて。

子どものためでも無く
夫のためでも無く
自分のためなんですよね。

この我儘で欲張りなのが
きっと私。

こんなに書いても
書きたらないほど
色んな想いがあります

いつも満足できなくて、
誰かに申し訳なくて
悲しくて寂しくて。

でも大好きな家族が
側にいて、
寄り添ってくれる。

どうしようもなくネガティブで
理想はあるのに上手くできない私。
そんな私を否定しないでいてくれる家族。
本当に感謝しかないです。

そんな私が
日々の思ったことを
これからも少しずつ
綴っていけたらと思います。

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