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ヨーロッパを旅した100の感想:20.英語が話せるということ

タイトルのままなのですが、改めて感じたことを書いてみようかなと思います。これは、別に英語に限った話じゃないんですけどね。外国語を話せるってどういうことなのかと思ったのです。

日本に帰ってきから思うことが多くなったことの1つなんです、これに関しては。

初めに言っておきますが、私はまだまだ十分に英語を扱えるほど話せるわけではありません。あくまで、生きていくのに困らない程度の英語力しかないのです。

いろんな国の人と友達になれる

もう真っ先に思い浮かぶのはこれですよね。

これは本当に間違いないです。中国人だろうとトルコ人だろうとロシア人だろうと、エジプトやブラジルなどの世界中の聞いたこともない言語を話す人たちと簡単に友達になれます。

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そして、思いもしなかったような彼らの文化や国の内情を知ることができます。もう本当に想像もつかないような文化は世界中にあるのだなと実感しますからね。

まあ、少なからず相手も英語がある程度分かることに限りますが最悪ジェスチャーでも会話は出来ます。

これは、私が大阪から東京に出てきた時に感じた感覚に似ていたのですが何が自分自身の文化か指摘されないと分からないんです。逆に、何が共通認識としてあるのかも分からないんです。

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もちろん最低限、日本がお箸を使う国、お辞儀をする国、というのは流石にわかりますよ。ただ、それは日本だけだったのか!という驚きは指摘されて初めて知ることがたくさんありましたね。

特に同じアジア圏の方から指摘されるとたまに困惑を隠せない時もありました。

ガイドブックに無いようなローカルの情報が得られる

これは、私が少しマイナーな土地に行った時に感じたことではありました。

どうしてもそう行った土地は日本語での情報がめちゃくちゃ少ないんですよね。でも、ローカルの人に教えて!と聞くと詳しく教えてくれたりするのでネットで検索するよりも情報が得られたりすることもあるんです。

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少し違う視点からになるのですが、イタリアに行った際にレストランでお隣に座っていた方達はオランダから来ていたご夫婦だったんです。

そして、メニューの食材が分からなくてその方達に聞いたのですが、なぜか「オランダではこういって調理する」や「こういった場所でよく取れるものだからオランダ人は好きだ」といったことを教えてもらいました。

オランダではないのにオランダのことを意図せず聞くことができて、なんだか得した気分です。

ですが、そういった話はきっとガイドブックにも載っていないし、オランダに旅行に行ったからと行って知り得ないかもしれないですよね。

そういった出会いにがあったのも英語が共通言語としてあったからだと思います。

自信がつく

私はほとんどの旅を一人で移動していました。初めはもちろん不安もあって、お店で朝ごはんを買うのにも勇気が必要でしたね。

でも次第に英語を扱うことになれてくると自信がついてくるんです。

自信が出てくるともっといろんな人と話してみたくなるし、もっといろんなことが知りたくなる。そういうものですよね?

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チェコに行った際に、ブルノという街に行きました。ブルノはチェコの第二の都市なのですが、そこまで知名度のある街ではありません。ですが、ブルノには地下空間がたくさんあってツアーもたまに開催されていたんです。

なので、私はそのツアーに参加してみたのです。少しでもブルノという街を知ることができると思ったからです。

その時に、そのツアーのガイドをしてくれた方がたまたま2週間前に日本に行ってきた方だったので色々話しかけてくれたんです。

なので私も勢い余ってブルノのことを拙い英語で色々聞いたのですが、なぜかツアー後一緒にランチを食べてブルノの街の案内をしてくれることになりました。

彼曰く、「日本では日本人にお世話になったから今度は僕が日本人にお返しをする番だ」とのこと。本当に嬉しかったですし、思い切って聞いてみるものだなと実感しましたね。

一人旅をしているとこういう出会いもあります。

作品の真意を汲み取れる

これは、英語で英語の映画を観たり本を読んだりする際に感じたことですね。

映画を観ていても、日本語字幕だと字数制限があってだいぶ意訳されていたりする場合があるということを改めて知りました。

なので、英語の意味のまま映画やドラマを見ると字幕で映画を見るよりも1.5倍や2倍も情報量が異なります。なので、監督の真意や登場人物の感情をより汲み取りやすくなるのです。

これは、逆のことも言えるんですよ。日本のアニメを英語で見るとほとんど英語では情報を得ることができません。しかし、訳は間違っていないんです。何かが悪いというわけではなく、単純に言語間の感覚の違いです。面白いですよね。

なので、今では映画でさえ日本語字幕で見ることに抵抗が出てきてしまうようになりました。

得られる情報量が増える

まあ、つまり総括すると日本語以外の言語、特に英語がわかるようになると得られる情報が増えるんです。

日本語訳されていないような、論文や面白い本も読めるようになります。これってものすごく世界が広がりますよね。

実は私は、学生時代は英語が大っ嫌いだったんです。というかなぜ勉強しなければならないか、まるでわからなかったんです。日本語だけでも十分困らず生きていけますし、日本にいる以上英語を使うことも日常生活のなかでないので。

そんな私に学校の先生がよく「話せる言語が増えるとあなたの中の扉が増えて見える世界が増えるのよ」と言っていました。ただ、私にはその言葉の意味が全く分かりませんでした。ポエムかよと。

でも、今少しだけ英語がわかるようになって思うのは「確かにその通りだね」ということですね。

人間って本当に見えない世界を理解することができないんです文字通り。体験したり実感して初めて”理解する”んですよね。

なので、毎年新年に今年こそ英語の勉強するぞ!という抱負をかかげている人がいるならば、その人に言いたいです。

「勉強するぞ!と思ってやる語学ほど面白くないものはないぞ!」と。私がそうだったんで分かります。勉強する意気込みの枠の英語って恐ろしくつまらないんです。

ただ、私はイギリスが好きで、イギリスの友達とスムーズに会話したかったし、ハリーポッターの気持ちを同じスピードで理解したかったんです。だからこそ会話で使うフレーズを覚えることが苦じゃなかったし、ハリーポッターの英語のセリフを全部覚えるという頭のおかしいことが出来たんです。

英語を勉強するゴールをまず、話すことに設定しない方がいいかもしれません。友達と話すこと、恋人を作ることなど何気ない日常のなかに設定する方がいいかもしれませんね。

あくまで私の意見なので、勉強自体が好きな人は間違いなく問題集をといた方が身につきますよ!笑


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