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基本的人権と日本の近代─シェイクスピアの混乱から星野源の「ばらばら」へ─(2)

3. 権利を捨てた5400万人の有権者

 しかし、国家にとっても憲法にとっても、このような重大事件が起こっていたにもかかわらず、国民の意識は低く、そのことは2015年9月19日以後、2020年現在までに行われた3回の国政選挙の投票率の低さに現れています。

  2016年7月10日   第24回参議院選挙 54.7%
  2017年10月22日  第48回衆議院選挙 53.68%
  2019年7月21日   第25回参議院選挙 48.8%

 一番最近行われた2019年の参議院選挙では、ついに投票率は50%を切り、実に約5400万人もの有権者が投票しませんでした。日本人は、各個人に与えられた権利を自らすすんで捨てているわけです。民主主義が崩壊し始めていると言ってもいいでしょう。私たちは民主主義を捨てようとしているのでしょうか? 教科書『あたらしい憲法のはなし』では、その民主主義についてどのように書いてあるのか、ちょっと見てみましょう。

あたらしい憲法の話_三原則

教科書 『あたらしい憲法のはなし』より

 日本国憲法の前文に関して説明している部分に、「(ここには)いちばん大事な考えが三つあります。それは〈民主主義〉と〈国際平和主義〉と〈主権在民主義〉です」とあり、民主主義を「あたらしい憲法」=「日本国憲法」の三本の柱のひとつとして教えています。

 また、民主主義に関しては、「わずかな人の意見で、国を治めてゆくのは、よくないのです。国民ぜんたいの意見で、国を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民ぜんたいが、国を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです」と書いてあります。日中戦争、太平洋戦争の惨状を体験した直後ですから、「わずかな人の意見で、国を治めてゆく」結果がどれほど危険であるか、身をもって体験していたので、このような言葉が出てきたのでしょう。さらに民主主義と選挙に関しては、次のように書いてあります。

みなさん、民主主義は、国民ぜんたいで国を治めてゆくことです。そうして国会は、国民ぜんたいの代表者です。それで、国会議員を選挙することは、国民の大事な権利で、また大事なつとめです。国民はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。選挙にゆかないのは、この大事な権利をすててしまうことであり、また大事なつとめをおこたることです。選挙にゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。これは、権利をすてるという意味です。国民は棄権してはなりません。

 今の日本国憲法ができたときには、文部省が熱を入れて、このようなことを中学生に教えようとしていたことがわかります。2019年の参議院選挙の投票率を見ると、このまま国民の半分しか選挙に参加しない状態が続き、国政選挙の投票率が下がり続けるならば、日本は今までとはまったく違った形の国になってしまうでしょう。

 やはり、私たちはちょっと立ち止まって、原点に戻り、民主主義、憲法、国のあり方に関して考えてみる必要がありそうです。特に、2020年の春、コロナ禍の中で、現政権が国家や国民をどのように考えているのか(考えていないのか)が、はっきりと目に見えるようになってきた現在、このようなことを考えることはとても重要であるし、緊急の課題であると思います。しかし、焦らずに、きちんと「事実」を確認しながら、歴史を踏まえて考えることが重要です。まずは「憲法」について考えてみたいと思います。

4. 「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とは何か

 「憲法」というのは、そもそも何でしょう? 『広辞苑』によれば、「(constitution)国家存立の基本的条件を定めた根本法。国の統治権、根本的な機関、作用の大原則を定めた基礎法で、通常他の法律・命令を以て変更することを許さない国の最高法規とされる」とあります。constitutionはlaw(法律)とは次元が違うんですね。教科書『あたらしい憲法のはなし』でも、次のように解説されています。

「最高法規」とは、国でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲法には、国の仕事のやりかたをきめた規則と、国民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、国民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七条は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろいろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。(太字は水谷)

 「国民の基本的人権は、これまでかるく考えられていました」という言葉はとても重要なので、覚えておく必要があります。つまり前の憲法、大日本帝国憲法は国民の基本的人権を軽く考えていたということです。現行の日本国憲法では、「第10章 最高法規」で次のように書かれています。

第十章 最高法規
《基本的人権の由来特質》
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民 に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
《憲法の最高法規性と条約及び国際法規の遵守》
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。(太字は水谷)

 97条には「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とありますが、「人類」と言っているので、日本人のことだけを言っているわけではありません。このことは世界でもっとも権威のある英語の辞書、『オックスフォード英語辞典』(Oxford English Dictionary,通称OED)で、constitutionを引くと明確になってきます。

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 OEDは大学の図書館ならどこでも入っているはずですし、現在ではオン・ラインで使えますから、是非、みなさんも自分の目で確かめてください。憲法は英語でconstitutionですが、constitutionにもいろいろ意味があり、今、私たちが探している意味は7番目の定義に出てきます。OEDでは以下のように定義されています。

7. The system or body of fundamental principles according to which a nation, state, or body politic is constituted and governed.
This may be embodied in successive concessions on the part of the sovereign power, implied in long accepted statutes, or established gradually by precedent, as in the British Constitution; or it may be formally set forth in a document framed and adopted on a particular occasion by the various orders or members of the commonwealth, or their representatives, as in the Constitution of the United States, the various Constitutions of France after 1790, and those of other nations, framed in imitation of these. In the case of a written Constitution, the name is sometimes applied to the document embodying it. In either case it is assumed or specifically provided that the constitution is more fundamental than any particular law, and contains the principles with which all legislation must be in harmony.
This sense gradually arose out of the preceding between 1689 and 1789: see the early quots.
(訳)
7. ある国民、国家、あるいは政治体を組織し、統治するための土台となる根本原理の体系、あるいは根本原理の集合。
これはイギリスの憲法に見られるように、権力側の継続的な譲歩により具体化されていたり、長期間にわたり受け入れられてきた法令の中に含まれていたり、あるいは先例に従って次第に確立されたりしている。あるいは、アメリカ合衆国憲法、1790年以降のフランスの数々の憲法、そしてこれらを模して作られた他の国々の憲法に見られるように、共和国の様々な規則あるいは構成員により、ある特定の時期に構成、採用された文書の形で公式に表明されていることもある。成文憲法の場合、憲法とはその内容をまとめた文書を指すこともある。いずれにせよ、憲法はいかなる特定の法よりも根本的であり、すべての法律が調和すべき諸原則を含んでいることが前提となり、また特にそのことが規定されている。
この意味は1689年から1789年の間に、先行例から徐々に出来上がってきた。初期の引用を見よ。

 ここで注目したいのは、最後の付記です。1689年と1789年という特定の年号があげられています。また定義の中には「1790年以降」という記述もあります。OEDは、とても歴史的に「憲法」の意味を定義していることがうかがえます。constitutionという言葉は様々な意味を持ってきましたが、この7.の項でOEDが定義しているのは、現在多くの国がその国を治めるための指針としている憲法、つまりは「近代憲法」のことです。

 では1689年から1789年の100年の間に何が起こったのでしょう?

(文:水谷八也/編集:清田隆之)

(3)につづく