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どんどん複雑になる「好き」の正しい伝え方を教えて欲しい

最後に、好きな人に好きと伝えたのはいつだろうか。綺麗で、美しくて、儚くて、大切だった「好き」という言葉が、大人になったら自由に好きな人に好き、とすら言えなくなる。

大人になって「好き」がどんどん複雑になっている気がする。「好き」ってもっと単純で美しいと思っていたのに、なんだか知らない間に複雑に絡み合った糸のように、一本の線に戻すのが難しすぎるものになってしまった。


「好きな人に好きな人がいるかもしれない」
「好きな人の彼女から狙ってると思われるかもしれない」
「好きな人はもう一生、今と同じ気持ちで向き合ってくれないかもしれない」

ね。好きな人に「好き」って伝えるのだってこんなに大変なんだ。

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そもそも「好き」とはなんだ。キスしたい、ハグがしたい。それだけじゃないだろう。傍にいたい、力になりたい、応援したい。そんなことも好きに入るのではないだろうか。

いろんな経験を積んで薄汚れた心の大人たちが、勝手に「好き」を特別なものにしていく。特別なシチュエーションでしか、言わせないようにしている。わたしの知らないところで、そうやって誰かが今も、コントロールしているのだ。


そもそも「好きだなあ」って思った人に「好きです」と伝えるのは、そんなにいけないことなのか。

「好き」と言われて「ムカつく」「腹が立つ」「うざい」と思う人はいないはずなのに(ちょっとサイコパスっぽい人は除くけど)、純粋な本当に心からの「好き」は、言葉史上最強だと思っていたのに、この最強な言葉は年齢を重ねるにつれ、唇を通して伝えることが極端に少なくなる。

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なぜだろう。わたしたちはみんな、マインドコントロールができるわけでもないのに。
なぜだろう。わたしたちは誰一人として、相手の心の中を読むことはできないのに。

心の中で思っていることを、ちゃんと言葉にして発しないと、誰にも届かない。

あのとき、ああ言えばよかった。こう言えばよかった。と、後悔するなら「好き」と伝えてしまえばいいのに。なぜこんなにも「好き」が誰も触れられない宝のような言葉となるのか。「好き」のハードルが高過ぎはしないか。

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100歩譲って、「好き」のハードルが高いことにしよう。ではハグはどうか。アメリカとイギリスで留学をしていたわたしは、ハグが日常的になった。

友達との挨拶代わりに、男女問わずハグをする。イギリス留学中はイタリアやフランス出身の友人とは、頬を寄せてキスもした。

わたしはこれらを、「好き」を伝える手段の一つだと思っていた。だけど、これが理解できない人、特に、留学や海外経験のない友人には、通用しない。「挨拶のハグをしよう」だなんて、一種の性癖かと思われるくらい、引かれることもある。


もしかしたら、このハグやキスをしないことで、相手との一定の距離を保つ文化なのかもしれない。だけれどやっぱり、言葉か態度で、わたしは好きな人には好きと伝えられない。

「好き」とはなんだろうか。


写真:桃(@XxPeach
場所:ピンクモスク(マレーシア)

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「グランド・イリュージョン」のスピーディーさが好きです🃏
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良い子に取り繕ってきた人生だったので、心の中をすべて曝け出します。元旅行会社OL→パワハラ・セクハラでフリーランスに。言葉を綴るよりもたくさんのネタが浮かぶので、一つでも多くのネタを言語化するためにフィクションとノンフィクションがごちゃ混ぜのエッセイを書いています。