山奥のダムに沈んだ祖母の村、「鬼姫生」について調べた。
祖母の出身が「鬼姫生」(きびゅう)という変わった地名なので、由来について調べてみました。
ひぐらしのなく頃にを連想してしまいますね。世代なのでね。
「鬼姫生」(きびゅう、きびゆう)とは、岐阜県の北西部、揖斐郡にあった藤橋村の一部です。
藤橋村は2005年に合併で揖斐川町になったため、今は残っていませんが、合併するまでは日本一人口密度の低い村だったそうです。(wikipedia藤橋村より)
山奥の深い深いところにあり、2つのダムの建設に伴って一部地域がダム湖の底に沈みました。(ひぐらしのなく頃にを連想略)
そのひとつ、横山ダムの建設で沈んだ地域が、祖母の出身地である「鬼姫生」でした。
祖母の記憶では、鬼姫生は8軒の集落でできていました。
それくらい小さな集落なので、直接話を聴ける人がまだ居たのは奇跡かもしれません。
祖母が小さいころに聞いた話によると、
・元は女の人がひとりだけ居た集落
・外から男が来た
・子どもができた
・“鬼姫”
・“鬼は焼かれた”
という話がなんとなく記憶にあるそうです。
これ以上は祖母にもわかりませんでしたが、我が家には「藤橋村史(昭和57年発行)」上下巻があったため、その本に確か他の情報がある、と言われました。
下巻85、86ページに、「鬼姫生村の地名伝説」という項がありました。
以下は引用です。
せっかくなので載せましたが、古文かつ長いので一旦読み飛ばしてください。
鬼姫生村の地名伝説-新撰美濃志-
新撰美濃志に「鬼姫生村」は大野郡杉原村のうちなりとして、地名伝説をのせているので原文のまま次に掲げる。
むかし女の鬼に成りたるがここより出でし故、里の名となりしよしいひ伝へたり。
慈鎖和尚の閑居友に「中頃の事にやみのの国とききなめり、いたうむげならぬ男、事のたよりにつけて彼国にある人のむすめにゆきかよふ事ありけり、ほどもはるかなりければ、さこそは心のほかのたえまもありけめ、いまだ世の中を見なれぬ心にや、ふつにうきふしに思ひなしてけり、まれのあふせも亦かやうの心や見えけむ、男もおそろしくなむなりにける。さて冬艸のかれなんはてにければ此女すべて物もくはず、又年のはじめにも成りぬべければ、そのぞめきにも比人の物くわぬ事もいさむる人もなし、さてつねにざうじを立てひきかつきてのみ有りければ、心なくよりくる人もなし、かかるほどにあたりちかくあめいれたるおけの有りけるをとりつつ、我かみを五にもととりにいひあげて、此あめをぬりほしてつののやうになんなして人つゆしることなし、さてくれなゐのはかまをきて、よるしのびにはしりうせにけり、是をも家のうちの人さらにしらず、さて此人(このひと)うせにけり、よしなき人故に心をそらになして淵川に身をすてたるかなンどたづねもとむれどもさらなり、なじかはあらむ、さてのみ過ぎ行くほどに年月もつもりぬ、ちちははも皆うせぬ、三十年ばかりとかやありて、同じ国のうちにはるかなる野中にやぶれたる堂のありけるに、鬼のすみ、馬牛からおさなきものをとりてくふといふ事あまねくいひあへりけり、とを目に見たるものどもはかのだうの天井のうえになんかくれ居るといひける、あまたの里のものおのおのいひあわせて、さらば此堂に火をつけてやきて見ん、さてだうをあつまりてつくるにこそは侍らめ、俳をあだむ心にてもやかばこそ、つみにたも侍らめなンどいひつつその日とさだめてゆみしこ(弓矢籠)かいつけやみのあきまなンどしたためてよりにけり、さて火をつけてやく程に、なからほどやくるに、てんじゃうより角五ッあるものあかきもこしにまきたるがいひしらずうとげなるはしりおりたり、さればこそとておのおの弓をひきてむかひたりければ、しばし物申さむ、さうなくなあやまちたまひそといひけり、何ものぞといひければ、我はこれそこの何がしのむすめなり、くやしき心をおこしてかろがろの事をしいでて侍りしなり、さて其男はやがてとりころしてき、その後はいかにももとの姿にはえならで待りしほどに、世の中もつつましく居所もなくて此堂になんかくれて侍りつる、さる程にいける身のつたなさは、物のほしさたへしのぶべくもなし、すべてからかりけるわざにて、身のくるしみいひのべがたし、夜ひるは身のうちのもえこがるるやうに覺えて、くやしくよしなき事限りなし、わがはくばそこたち必ずあつまりて心をいたして、一日のうちに法華継かきくやうしてとぶらい給へ、又此うちの人々おのおのめこ(女子)あらむ人は、かならず此事いひひろめてあなかしこ、さやうの心おこすなといましめ給へとぞいひける。さてさめざめとなきて火の中にとび入りてやけてしににけり、けうときものからさすが又あはれなり、げに心のはやりのままに只一念の妄念にばかされて、長きくるしみをうけけむ、さこそはくやしくかなしく侍りけめ、其人のゆくゑよもよく侍らじものを、けうやうもしやしけむ、それまではかたるともおぼえず侍りき」と見えたり、ここの事にてもあるべし。
この文章は、実は別の本にも載っています。
慶政という僧が書いた「閑居友」という本です。
(昔は慈鎖和尚の作だと思われていました)
各地の仏法にまつわる民間伝承を集めた本らしく、その本の下巻三「恨み深き女、生きながら鬼になる事」というタイトルの話があります。
その話が、この全文と一致します。
話の内容は、こちらに漫画化(https://www.pixiv.net/artworks/73975143)して下さった方がいるので、読んでいただくとわかりやすいです。
簡単にあらすじを言うと、
美濃国の男が違う地方の女と恋愛していた。
しかし女は男と疎遠になってしまい、心の乱れから「髪を結って水飴で固め、赤い袴を履いて家から出て行ってしまった。
家族は娘が失恋から川に身投げしたものと思い、弔った。
その後何十年かして、「鬼が出る」という噂が立った。
少し離れたところにあるお堂に住む鬼が、子供をとって食うという。
村人は協力してこのお堂を焼き払ったが、中からひとりの女が現れる。
女は行動を後悔しているといい、こうなってはならないと妻や子に行って聞かせよ、と言い残して火に飛び込んだ。
彼女こそが鬼の正体であった。
というお話です。
この話が鬼姫生の地名の由来になったということは、祖母の話とも組み合わせると、おそらくこうなります。
・美濃国(岐阜県南部)から男が藤橋村に来た
・村の女(=後の鬼姫)と恋をした
・男は去ってしまった
・女は“鬼姫”となって出て行った
・“鬼は焼かれた”
・元は女の人がひとりだけ居た集落=鬼姫がいたお堂の辺り、を鬼姫生と呼ぶようになった。
祖母にこの「恨み深き女、生きながら鬼になる事」のあらすじを説明すると、確かにそんな話を聞いたことがある、という反応でした。
特に「焼かれた」の部分は、私に言われてからはっきりと思い出したそうです。
また、鬼姫生と共にダムに沈んだ地域に、「親(おや)」という地名があります。
こちらは別名「親鬼姫生」とも呼ばれていました。
こちらは鬼姫の両親が住んでいたから、「親鬼姫生」と呼ぶようになったようです。(引用元:http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/21.Gifu/Fujihashi_Oya.html)
鬼姫は焼かれて死に、子どもがいたと言う話もないため、鬼姫の血を引くものが今も残っているかはわかりません。
鬼の生まれた里はダム湖の底に沈み、8軒しかない小さな集落の人々は散り散りになってしまいました。
しかしもし祖母が、鬼姫の家系に連なっているとしたら……私も鬼の血じゃん!??!?
と、ちょっとテンション上がってしまったのでした。
というわけで、失恋して鬼になってしまった女(=姫)の生まれ故郷、鬼姫生の話でした。
せっかく家にばっかりいるし、こういう話聞くのも楽しいですね〜!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?