メモ#3悪趣味(鬼畜)系カルチャーと今日の人権


悪趣味系、と呼ばれるアングラカルチャー知ってますか?

有名なのだとねこじる、とか、ガロ系とか
一時期の雑誌『宝島』とか

最近、そのカルチャーの系譜を振り返る記事やコメントをちらほらみかけたので、少し調べたことや考えたことを以下にひかえます。

90年代青山正明、根本敬、山田花子、、など

自殺のミーム・完全自殺マニュアル

そもそも悪趣味系はどこから?

アンディウォホールなど前衛芸術?(適当なtogether)

悪趣味なものとわかっていながら、惹かれてしまう

不快になりながらも、脳内で快楽物質がでる感覚
それにはまってしまう人も一定数いると思う。強い刺激の一種。

(ガロ系のマンガとか、)後味が悪すぎて読んでしまったことを後悔するとわかっていても、
おぞましいものを見てみたいという感覚

見世物小屋、フリークサーショー

→(日本で)人権意識の低かった90年代

(バタイユ的にいう) 死と性の禁止、
綺麗 清潔  ポリコレ (なマスメディア)
に対するカウンターとしての悪趣味系サブカル
(死と性をはじめとする、タブーに惹かれる)

(当時、社会の中で身の置き場がなかった人
=「世間」で人間としての存在を認められなかった人が表象の的になっていること、
こんな悪趣味で反社会的なものを創造する人間がいる、それを楽しむ人も大勢いること、
そしてその残虐さがある種、人間が動物(身体性と結びついているという意味)であることから逃れられないということを突きつけてくる感覚もある。)


今は?人権意識、ポリコレが高まる。高まるぅ〜

すべての人民の人権が尊重され、いかなるマイノリティーも差別されることは許されない
→「カウンターとしての悪趣味」も意義を失って行き、ただのグロテスクな悪趣味に
→アボガド6さんとか、現代社会に対するアンチテーゼはゆるい絵、攻撃性のない表現で人気を博す、共感性ベースのばかりなのにもつながってる?

追記:死や性などの禁止を侵犯したい、という欲望は、n番目の部屋とか、そういう問題にも関わっている気がする…
平たく言う「人権」を剥奪する行為、生殺与奪の振る舞いができるということが、快楽と結びつく側面はある
→それをフィクションでやることと、生身の人に対してやることは、区別されるのか、それとも、区別ができなくなる人、その垣根を超えてしまう考え方が存在するのか


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