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【京都】古都に隠された十字架~古代のイスラエルと日本の繋がり(前編)

■はじめに

この一文は、2002年に京都の聖地を訪れた際の記録をもとにしているが、そこに独自の論考を入れ込んでいる。
聖地巡礼などの紀行文と、それに関連する論考を綴れ織り的に織り込む手法は、私が独自に作り出したスタイルだ。

この前編・後編に分けて書かれた作品に一貫したテーマは、題名からも察せられるかと思うが、「古代イスラエルと日本」だ。

といっても、巷に氾濫する怪しい「日ユ同祖論」とは一線を画していると思っている。
独自の論考としては、以下のような内容を入れ込んでいる。

・ユダヤ教・キリスト教と日本神道の類似点
・ヘブライ語と日本語で類似する単語
・ヘブライ文字と平仮名・片仮名の比較
・旧約聖書と古事記・日本書紀の比較
・歴史に埋もれた謎の古代氏族・秦氏

古くからある日本の文化や芸術の多くは、じつは「聖書の民」=「古代イスラエルの民」が日本にもたらしたものだとすれば、日本の歴史がひっくり返る超大変なことだ。
その可能性が無い、または低いと思っていたら、プロの物書きが、こんなに時間と労力をかけて探求したりはしない。

「初めに結論ありき」のような、表現者として恥ずかしい形ではなく、25年間のSE時代に培ったデータ分析能力なども駆使して、客観的な考察の結果として、このノンフィクション作品を書き上げた。

また、これまで4回イスラエルを訪れ、ベツレヘムやエルサレムの聖地を廻ってきた見聞も含めて、古代イスラエルと日本について深く考察した結果の作品だ。

■古代日本に「ユダヤ人」が訪れていた?

2002年4月26日、金曜日
ゴールデンウィークは仕事が入って休みを取れないかもしれないと思っていたが、カレンダー通りに休めそうなので、どこへ行こうかと、さっそくマップダウジングをやってみた。
ダウジング用の水晶のペンダントを日本地図の上にかざし、「世界の平和のために役に立てるために、どこへ行くべきでしょうか?」と念じる。

マップダウジングといって、振り子が振れる方向に定規を置き、次に位置をずらして別の直線ができるところとの交点を求める手法だ。
出たところは、天橋立(京都府宮津市)だった。

その1ヶ月ほど前、師と仰ぐ本山博先生(*)の著書『霊的成長と解脱』を読んでいて、応神天皇の時代にユダヤ人が渡来してきたという記述に目が止まった。
「応神天皇の頃、ユダヤの一族で、だんだん日本の方へ流れてきた人達」がいたというのだ。

*本山博先生:(1925~2015)。ユネスコから世界の超心理学者10人に選定された著名な科学者。神社の宮司でもあったが、若い頃から厳しいヨガの修行に取り組み、最終的に7つのチャクラが高い次元(プルシャ)で全て覚醒したという。

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本山先生は何気にサラッと書かれているが、これがもし本当ならば大変なことだろう。
ユダヤ人が古代の日本を訪れたなんて、歴史の本のどこにも書かれていない。

本山先生は、ご自分の霊能力を用い、過去の透視を行って得た情報なのだろう。
超心理学や気の科学の研究では世界的に知られた科学者だが、歴史学者ではないので、こういうことを研究されたりはしないだろう。

では、自分でやるしかないか…。
それ以来、古代日本とイスラエルの関係が気になり始めていた。

ソフトウエアエンジニアの仕事で、イスラエル製の某システムを扱っていた頃に、イスラエルへ4回ほど行ったことがある。
このことだけでも、自分にとってイスラエルと古代イスラエルの民には、ただならぬ縁がありそうだ。

かの国で「デジャヴュ」のような感覚を味わい、かつて過去生でイスラエルの地にいたのかもしれないとも、妄想する。
イエス生誕の地ベツレヘムの山肌を車窓から眺めながら、強くそう想ったものだった。

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