うたかた、っていい日本語ですよね

うたかた、っていい日本語ですよね

ベッドに入ってもなかなか寝付けない時に、決まって脳裏に浮かべる映像がある。



それはとある海の中、深い碧の世界。
仰向けになってゆっくりと水面を見ながら沈んでいく私がいる。


やわらかい日差しが降り注いでいる。
水中から見上げる水面はきらきらと光って翻る。
眩しくはない。
光の筋が私の体をぼんやりと包み込んでいる。

息をすーーっと、細く長く吐ききった。
天井に向かってゆらゆらと気泡がのぼっていく。
やがていくつもの泡は水面に辿り着いて、しばらくして弾けて消えた。
その瞬間の波紋。ひとつひとつはどれも同じようでいて、そのすべては一瞬とて同じではない。

苦しくはなかった。
消えていく泡沫を惜しむようにゆっくりと息を吐いて、しかしベッドの上の私はさりげなく息を吸って、また惜しむように吐く。その繰り返し。


頭の中で、水面はどんどん遠ざかっていく。
ここで全身の力を抜いていく。
意識がある時って、そう意識してないつもりでも力が入っている時が意外に多い。
だから意識して力を抜く。
腕、脚、腰、肩、頭。からだの全てがふかふかのマットレスにどこまでも沈みこんでいくかのように。


碧はどんどん深みを増していく。
微かに聞こえていた波の音も遠ざかっていく。
吐き出す気泡はひとつひとつより鮮明に。

体の力は抜け切って、穏やかな呼吸ができて。
何も聞こえなくなる。

この辺でだいたい眠りに落ちている。





死ぬならこんな光景を見ながら心安らぐ海の中に溶けていくように死にたい、と願うものの、実際の水死はそんなに楽に死なせてくれない。


しかしいずれは何らかの理由で死ぬ。
その時に走馬灯を見るとすれば、エンドロールはこんな光景なんじゃないかと思う。

願わくば死の間際の感覚も、この映像に支配して欲しい。眠るような死とは多分これだ。

眠るように死にたい。

この世で最後に抱くのがただの苦痛なら、いっそ今の泡みたいにしてくれよ。




人間の魂なんかがあるとしてそれを具象化するとなったら、私はちょうど泡みたいなものを脳裏に描く。

それは惜しむように口から吐き出された最後のひとつ。
ゆっくりふわふわと水面にのぼっていき、やがて静かに弾けて波紋を残す泡沫。




うたかたの命なんて、
うたかたが命なんて、
銭湯の炭酸風呂でそんなことをふと考えるなんて、

今日の自分はいささか厭世的だ。



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文章は私を映す鏡! エッセイ 20歳