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自分の創作を根底から覆さなきゃならない瞬間があるーガルパン最終章第2話を見て考えたこと|創作・研究・考察


今日は、創作者の人たちにとって辛いかもしれない話をします。

私も自分の過去の大変だった仕事を思い出してちょっぴりナーバスですが……まあ、これも向かい合わなきゃいけないってことで。


ガルパンはいいぞ

本題に入る前に、わき道から。

先日、映画『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』を見てきました。

© GIRLS und PANZER Finale Projekt 『ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト』http://girls-und-panzer-finale.jp/ より


数年前「ガルパンはいいぞ」とTwitterでも流行していたやつの続編的なやつです。

私はアニメも当時の劇場版もリアルタイムでは見ていなかったのですが、シナリオライターとしてできる限り流行のものには触れておこうと半ば義務感で映画館に足を運んだのです。

で存分に楽しんでから映画館を後にしたのですが、その後色々考察なりして「『ガールズ&パンツァー 最終章 第2話』は、欠点があるなぁ」と想ってしまったのです。

ガルパンについて雑な説明

※以下ネタバレあり

ガルパンを知らない方のために、ほんとうに雑に内容を説明させてください。
(amazon primeにあるので、そちらを見ても可。テレビで放送されたものから、劇場版、最終章1話まで公開されてるよ!)

アニメで放送された「ガールズ&パンツァー」はこんな感じの流れ。

・「戦車道」なる競技が存在する世界
(戦車を用いた多対多の戦争ゲーム的なもの。「~道」とあるように剣道や華道のように精神性も重視される。高校の部活として全国大会的なのも開催されている)
・主人公である「西住みほ」は、戦車道西住流の家の出身。
・西住みほは、高校1年のころ戦車道の試合で大きな失敗をする。失意のうちに、戦車道の部活がない高校「県立大洗女子学園」へ転校する
・しかし大洗女子学園では、とある事情から戦車道の部活(正確には選択授業?)が復活。西住みほは、戦車道経験者として公式戦に参戦することになってしまう。
・西住みほは仲間たちとの交流の中で自分の居場所を見つけていく。
・大洗女子学園が、実は戦車道の公式戦で優勝しないと廃校してしまうことが判明する。
・西住みほは、過去の失敗を乗り越え成長。大洗女子学園を優勝に導く。

多分見てない人にはちんぷんかんぷんだと思うので、シナリオ上の見習うべき点をざっくりまとめると……

主人公「西住みほ」の成長が、戦車道と密接に関係し、わかりやすく感動的に描かれている……(主人公の内的問題)

学校の廃校(廃校になると、地域全体引っ越さなければならないというスケールの大きな仕組みが備わっている)という大きな問題を乗り越える……(物語における事件)

アニメや映画のように始まりと終わりが決まっている作品においては、この「主人公の内的(心理的)な問題」「物語における事件」が関係しあい、分かりやすく共感できるように示されており、これらを乗り越えることで大きなカタルシスを得る……という手法が確立されています。

アニメ「ガールズ&パンツァー」は、主人公のわかりやすい挫折が表現され、全国大会での優勝⇒廃校を免れるという大きな事件を乗り越えることで、主人公も成長し、トラブルも気持ちよく回避する……というお手本のようなシナリオになっているわけです。

一方、映画『ガールズ&パンツァー 最終章』はどうだったのか。

この映画、6話構成でできた順に公開という珍しい形をとっており、2017年に『第1話』が、2019年6月より『第2話』が公開されているという感じです。

『第1話』~『第2話』の話はどんな感じだったのかといえば、

・3年生「河嶋 桃」の成績が悪すぎて(?)、大学進学できないかも! 留年……じゃなくて浪人しちゃう!
・そうだ、戦車道の大会で活躍すればAO入試で受かるんじゃないだろうか。
・ちょうど「無限軌道杯」なる大会があるから河嶋桃を隊長に据えて出場。
・『第2話』で1回戦を突破、2回戦の途中までが描かれている。

こんな流れです。

”欠点がある”なんてキツイ言葉を使っておきながら言い訳のようですが、個人的にはとても楽しめました。設備が充実している館というわけではなかったと思うのですが、音響もすごかったし、アクションもすごかった。新キャラ、特にマリー様かっこいいです。すごくすき(語彙力の消失)。

© GIRLS und PANZER Finale Projekt 『ガールズ&パンツァー最終章 公式サイト』http://girls-und-panzer-finale.jp/chara/mary/ より


ガルパン最終章から学ぶべきこと

映画を楽しく見たのなら、それでいいじゃないか! 「欠点があるなぁ」なんて楽しんでいるファンの感情逆なでしなくても……私もそう思います。

でもシナリオライターとしては、この作品からは(反面教師的に)学ぶべきところがあると言わざるを得ません。

一言でいうと、「主人公たちの動機付けが弱くて、しかもスケールが小さい(ように見える)」という点です。
(気になる点は他にもいくつかありますが、今回は割愛)

アニメで放送された最初の『ガールズ&パンツァー』は、


・主人公の戦車道における挫折⇒成長
・学校の廃校の回避


とわかりやすく、スケールの大きな動機付けが去れていました。

主人公の実家が戦車道西住流という流派の家元であり、しかも最後の試合で戦うのが西住流の思想を体現したかのように見える姉「西住まほ」であることから姉を越える=親を越えるストーリーになっていること。

『学園艦』というぶっとんだ設定を入れることによって、廃校=自分たちの住んでいた町がなくなる、というスケールのデカさを実現したこと。

丁寧に設定とプロットを作っていたことで、主人公たちへの感情移入させやすくして、応援したくならせて、大きなカタルシスを生み出す形を作っていたわけですね。

一方、『最終章』はどうかというと……

3年生河嶋桃が浪人しないようにするために大会に出場する。

が動機です。

ガルパンの世界観は結構ゆるい瞬間も多いので、軽い動機で戦車道の大会にでるのは違和感がないのですが、どうしても緊張感は薄れてしまいますよね。

っていうか「勉強しろよ!」というツッコミが入れられそうですし。つまり主人公たちの動機に「逃げ場(他の解決策)」があるということです。

まあ映画の描写を見ていると、これ以上の動機が登場しそうではあるのですが今のところは不明。

しかも、

・主人公が西住みほなのに、今のところ成長の主体として描かれそうなのは河嶋桃と、ねじれの構造が産まれている。
・大洗女子学園は夏の大会では優勝している。そのため他の学校を格上に描くことが難しく、買ったときのカタルシス(ジャイアントキリングしたぞー! みたいな気持ちよさ)が薄れてしまう。

みたいな問題まではらんでいます。


じゃあここを改善すればもっといい作品になったのかよと言われると、そんなこともないと思います。
ぶっちゃけここら辺の問題は、制作者側が悪かったわけではなく「きれいに完結した作品の続きを、作らざるを得ない状況になってしまった」ことにあるのであって、多少弱い動機付けも「まあ仕方ないわなぁ」となるわけです。


それでは、「ガルパン最終章」から何を学ぶべきか、といえば――

我々は(たとえ続編でなくても)このように登場人物の動機が弱い作品を作ってしまいかねない、という事実です。


設定やプロットは根底から覆さなきゃならない瞬間がある。

上に書いた通り、映画などの作品は

・主人公の内的(心理的)な問題
・物語において起こる事件

が設定してあることが多くて、この二つはリンクしていたほうが最後のカタルシスが大きくなることが多い気がします。


ガルパンにおいて西住みほが最初に抱えていた問題は

・戦車道の大会において、仲間を助ける行動をとった
・その結果試合に負けてしまった
・西住流(西住みほの親の立場)が掲げる思想は「犠牲を払ってでも勝利をつかむ」

というもの。
仲間を助けるという行為は共感も得やすいし、間違ってはいないものに見えるけれど、そのせいで失敗してしまったし、親からも理解は得られていない……ということですね。

それが最終的には

・仲間と協力しあって大会で優勝
・自分の考えの正しさを証明した
・学校の廃校も免れ、仲間との居場所も失わずにすんだ

という流れになっています。
きれいに主人公の内的な問題と、物語における事件がリンクしてますね。


リンクしてないとどうなるかというと、物語がものすごく動かしにくくなります。
例えばですが……

・少年は故郷の村をゴブリンに滅ぼされた
・少年は成長して青年へ。なぜか地方で鉱山堀をしなければならないことに。
・鉱山にはドワーフが住み着いており、文化的な違いから問題が起きていた

いや、そこはゴブリン殲滅に行けよ。しかもドワーフって、ゴブリンでないんかい、みたいな。

こういう風に大げさに書くと、主人公の問題と物語で起こる事件がずれてるなーってのはわかると思うんですが、自分でストーリーを考えてあーでもないこーでもないとこねくり回していると気づかないうちにずれちゃうことがあるものです。

とくに、他の作品と差別化しようとして設定を奇抜にしたりすると、ここらへんのずれに鈍感になってしまいがちです。


もし、自分が考えている物語において、主人公の抱える問題と、発生する事件にずれがあったら、もう設定やプロットを根底から覆さなきゃならないかもしれません。

きちんと主人公の設定、世界設定、発生する事件――すべての要素がリンクするのを理想に、まるっと作り直すということですね。

がんばって考えた設定を破棄するのは辛いです。自分のキャラを「我が子」のように扱っていた場合は、消すのが忍びないこともあります。
さらにフリーランスの立場で言えば、時間をかけて行った作業がお金にならないと、死活問題です。

それでも、物語を面白くするためには根底から作り直さなきゃならないことがあるのです。
というか、一発で完璧な物語を作ることはほぼ不可能なので、作って壊してを繰り返さなければならないでしょう。
(特に私は凡才なので、天才はびこる創作界ではスクラップアンドビルドの回数を増やして試行回数で勝負するしかないのです)

辛い作業ですが、この痛みはクリエーターが抱えなければならない、慣れなければならない類のものなのだと思っています。

全体のまとめ

・がんばって作ったキャラや設定でも、面白い作品にしたければぶっ壊して作り直さなきゃならないことがある。
・つらいよー
・ガルパンはいいぞ


ってことで、普段はあんまりしないようにしている「具体的な作品を批評的に取り上げる」「泣き言をいう」内容でした。

まあ、痛い経験があるよって予想していれば耐えられるものもあるので、自戒を込めてみたいな気分です。


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