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『土の中の子供』 中村文則

中村文則の著作『土の中の子供』は、2005年芥川賞を受賞した作品です。衝撃 だったのは、「土の中の子供」というタイトルが、「比喩」ではないこと。

主人公の「私」は27歳のタクシードライバー。彼は、幼少時代に親に捨てられ、孤児として壮絶な虐待を受けた体験から今も抜け出せないという暗部を抱えて生きています。紙幅が割かれている暴力シーンは、うめき声や血の臭いまで感じられるほどのリアルさで、胸が締め付けられます。

その中で印象的だった場面を紹介します。主人公の「私」は、物心をついた頃から、高所から物を落とすことに快感を感じている子供でした。ビン、石、鉄屑…生き物まで。彼にとってそれは、「圧倒的な暴力」の形でした。そしてついには、「自分自身」を落としてみたいという衝動に駆られます。

「私は自分自身を落下させた加害者となり、被害者となる。不安と恐怖の向こう側に、何かを見るだろう。それを見ることができるのなら、何をしてもいいような気がした。」

このシーンは、「私」がこれまでに、いかに絶望に苛まれて生きてきたのかを推し量る上で、とても重要なシーンです。「死」を身近に感じる心境や、「自死」にいざなわれていく心境とはどのようなものなのかを見事に描いています。いつの間にか、手すりを乗り越えようとする「私」と同化しながら読んでいる自分がいて、手に汗握る緊迫感がありました。

作品全体に通底しているやりきれなさ、重苦しさの中で、この作品の救いだと感じたのは、「私」が入っていた施設で、二人の人物との出会いがあったことです。

一人は、「トク」という少年。彼は、物を落とすという「私」の行為を注意し、力ずくで止めさせようとするのでした。トクは「私」にこう言います。

「それじゃあ思うつぼだよ。」

「不幸な立場が不幸な人間を生むなんて、そんな公式、俺は認めないぞ。それじゃあ、あいつらの思い通りじゃないか。」

「あいつら」とは、自分たちを不幸に追いやった「全体的な世界」を指していました。

もう一人は、施設長の「ヤマネさん」です。

大人になった「私」は、

「覚えていますか。慰問会でのこと…」

と再会したヤマネさんに切り出します。「私」が施設に入所して半年後、慰問会が催され、慈善団体からの寄付として、たくさんの服が贈られました。お礼に子供たちは歌を歌うのですが、「私」だけは、ちっとも喜ばず、服を着せられるのも、渡されるのも拒むのでした。

会が終わって…僕は、殴られると思いました。職員の方に、肩身の狭い思いをさせたんだから。…ヤマネさんが近づいてきた時、僕は全身に力を入れて待ったんです。そうしていると、ある程度耐えられることを知っていました。でも、ヤマネさんは、僕を殴りませんでした。殴るどころか、笑って、頭を撫でてくれた。僕には、意味がわからなかった。どうして殴られないのか、理解できなかったんです。

今まで、大人たちの意に沿わないことをするたびに、いつも「暴力」という制裁を受けてきた「私」。ヤマネさんは、「そうではない」私にとっての初めての大人でした。

「あの時のことを、僕は、忘れないです。これからどんなことがあったとしても、少なくとも、僕はあの時のことを覚えています。」

この「私」の言葉は、「救い」でした。

「覚えています」は、意志だから。

つらい過去の全てを消し去ることはできないかもしれない。でも、「新しい未来」で、それを少しずつ上書きしていくことはできる。そんな一筋の光明をほのかに感じる結末でした。

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