恋は盲目、ってのはよく言ったもんだ


私の初恋の話をしよう。

右と左を日本アルプスに挟まれた田舎に暮らす、ちょっと不器用で、さえない高校二年生。
冷たい風が指先をかじかませ、時には雪が降るような冬。来年に控えた大学受験に向けて、夏には夏期講習に通うなどしていた。が、そろそろ本腰を入れようということで、とある個人経営の個別指導塾に入塾した。私はそこで、一生ついて回る、きらきらした、どうしようもない経験をしたのだ。


思えば中高と仲の良い男友達、というものは私には存在しなかった。   同級生の男子とまともに会話した時間は、6年間で合算して30分になるかどうかも怪しい。男子と会話、というか、見てくれを一方的にからかわれたような、こそこそと指を指して笑われたような、そんな経験だけは豊富にある。私には分かる。こういう女が、ホストやダメンズにはまりやすい、ということを…。
 だからだろうか、ちょっと優しくしてくれて(塾講師として当然の態度だった)、自分よりも頭が良くて、父親よりも年若く且つ、憧れを抱きやすい年上男性。何よりも、私の好みにどんぴしゃな容姿をしていた。背はあまり高くはないけれど、目がくりくりしたかわいらしい顔立ち。彼は塾の講師の間でも愛されていた。人気者だった。
 恋に落ちてからというもの、私は先生との授業が楽しみで仕方なくなった。
ついでに言うと先生が可愛くて仕方なくなっていた。「異性を可愛い、と思い出したらそれは沼」とは誰が言い出したことだったか。もはや推しのような存在になっていた。

 先生を好きな気持ちは若干暴走気味ではあったが、私が勉強する原動力にもなっていた。
自習室に最後まで残っていれば、遅番の日はその先生が見回りにやってきて、少しだけ雑談ができるから、最後まで残って自習を頑張ったこと。
その塾は、授業ごと毎回宿題が出るスタイルであったのだが、宿題を早めに終わらせて、先生の授業がないタイミングを狙って提出したこと。そうすれば、先生が目の前で採点して、少しの講評をつけて返却してくれるから。
先生は担当教科である古典を、私にイチから教えてくれた。それこそ、助動詞の意味・役割から、物語が書かれたその背景に至るまで。センター試験本番ではなかなかの好成績をとった。好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。まあ好きなのは先生だったのだけど。
 さて、私には若干ロマンチストのケがあって、受験が終わったら、この塾に塾生として通う終わりが分かったら、先生に気持ちを伝えよう、と決めていた。会えないのにこの気持ちを抱きしめて生きていくことは、私には難しかった。                                そして、その日は想像以上に早く、それから唐突にやって来た。センター試験1日目の夜。文系科目のみの受験だった私は、自己採点を終え、自習室で泣いていた。今思えば迷惑きわまりない話だ。きっと最後の追い込みをしたかった他の生徒もいただろうに。国語は申し分なく良かったが、その他の科目が芳しくなく、第一志望を狙うには絶望的だった。併願で第二志望には合格していたから、第一志望に出願するのは辞めようと思っていた。先生は自習室に慰めにきてくれた。きっと、もう塾に来ることはないだろう、と感じたのだろう。先生にしては珍しく、真面目な話をしてくれた。彼の手で私の初恋は終わるわけだけれど、やっぱり彼は大人だった。私がした告白を、なあなあに流したりはしなかった。恋が終わって2回目の春が過ぎた今も、あの日私に向けてありがとう、と頭を下げた彼の姿は忘れられない。
 その後二週間くらい心にぽっかり風穴が開いていたから、きっと恋だったと思う。

 さて、これを書くにあたって、当時の日記を掘り返したのだが、赤裸々にしたためられたそれには目も当てられないようなことが沢山書かれていた。恥ずかしくなれたのはきっと、私が当時よりも落ち着いた広い視点を持てるようになったからだ。だからこそ思う。きっと、先生は私が好意を寄せていたことに、なんとなく気付いていたと思う。それだけではないことも、きっと見透かしていたんじゃないかな。

そんな先生は私に、「世界を広く持て」と伝えてくれた。

#キナリ杯 #初恋

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