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子どもの性教育。自分自身の心の目、家族の目、神様の目も育みたい。

h私は幼少期からの性教育が必要だと考えている派です。

ご家庭ごとに色々な考えがあるでしょうから
これにつていも自分の考えが正しいとは思っていません。

なぜ性教育が必要かと考えるかというと

我が子が性犯罪に巻き込まれないようにするため
我が子が性犯罪する側にならないようにするため

この2点に尽きます。

うちの子どもにどうやって性についての知識を伝えるか
絵本やら専門家の情報などを調べていく中で
専門家の方々も当然「性教育が必要」という同じ考えであるにもかかわらず

それってそうかな?

と私の考えとは一致しないことも当然多々あります。

例えば

自分の体は自分だけのものだから
自分だけは何をしても良い。

というのを時々聞きます。

これによって性や性器にネガティブなイメージを持つことなく
そのまま取り扱えば良いということが言いたいのだと理解はします。

しかしどうも納得がいきません。

なぜなら自分の体は自分だけのものとは
私が思えないからです。

私の体は私の管理下にあるけれど
やっぱり家族のものであり
神様からの借り物。

これが私の体に関する定義です。

だから自分の体だからと言って好き放題して良いとは思えません。

誰も見ていないくても自分が見ている。
家族は騙せない。神様も騙せない。
自分が後ろめたい気持ちになるとことはしたくない。

私は私の体の持ち主だけれど
私の体の関係者である家族
そしてそもそもこの素晴らしい肉体を与えてくれている神様的な存在に
いつでも誇れるような体でありたい。

自分自身の心の目、家族の目、神様の目。

これって私にとって性にまつわることだけでなく
あらゆることに関する抑止力になっているのだと改めて。


ここが抜け落ちると「何をしても良いんでしょう」と
例えば自傷行為などに走るかもしれないし
自ら命断つ選択をしてしまうかもしれない。

そう思っています。

性教育
あるいは命について
少しずつわが子(4歳)に伝えるのに良い時期になっていますが
私はこの3つの目についても同時に上手に伝えていきたいと考えています。

ちなみに私は無宗教です。

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