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『親がポリアモリーだと可哀想』?

(一度アップした記事なのですが、どうもしっくりこなかったので、編集し直しての再掲です)

子どもたちも、知ってます。

わたしは子どもたち(双子男子、新小5)に、パートナーと自分がポリアモリーであることを、彼らが理解しやすいように少しずつ、話している。(もちろん同じく我々がアセクシャルであることも。)

彼らから、真っ直ぐな批判が飛んでくることもある。

「え、ひとりの人が、ひとりの人と付き合うのが普通でしょ? ふたりと付き合ったら浮気じゃん! 不倫じゃん! だめじゃん! 傷つくじゃん」など。

「浮気や不倫とどう違うのか」「なぜ、お母さんは『ポリアモリーは誠実な人間関係だ』と考えているのか」、頭を使ってまた説明する。

そんな話をした夜は、今まで何回か言われた「ポリアモリーだと息子さんたち可哀想じゃない? 子どもいないなら、ポリアモリーでもいいと思うけどさ」という友人、知人たちからの意見に思いを巡らす。苛立ちながら。でも、「やっぱり、絶対、そんなことない」と確信するのだ。

『ポリアモリー=子どもに悪影響』なのか?

今日はあくまで実体験や、聞かせていただいたお話しを元に、『親がポリアモリーだと子どもが可哀想』だと思われる理由を考えてみる。

わたし自身もパートナーもアセクシャルなポリアモリー関係だが、ここでは『恋愛』という言葉を敢えて使ってみようと思う。(親たちがアセクシャルであることについては、何故か他者批判されることが少ないため。)

・親が自分の恋愛のことばかり考えていて、しかも恋人が複数人いるなんて、子どもを蔑ろにしているとしか思えない。

・「親がポリアモリーであること」が子どもの友達に知られた時に、いじめられる可能性を考えないのか。

・そもそも、『恋愛は一対一でするもの』という社会規範からずれたものを子どもに教えることは悪影響だ。

・そんな子どもが大人になり、複数恋愛が認められるような社会になったら、ふしだらな世の中になってしまうではないか……!

想像しながら書いてみて思ったのだが、「子どもがいないならポリアモリーでもいいと思うけどね」という発想は、ポリアモリーを認めているようで、全く容認していない。実子が欲しくなったのなら、ポリアモリーであることは諦めて、婚姻制度のもと結婚して妊娠、出産、子育てするべきだ、ということなのだろうか。ポリアモリーでいたいのなら、実子だけでなく養子を迎えることも諦めるべきなのか? それが『人間としてあるべき姿?』『人間社会としてあるべき姿?』

つまり『親がポリアモリーだと可哀想』という意見は、現行の日本の社会規範を守り、教え、導くのが、良い子育てだという主張のように思える。つまりは『子育ては多数派であれ』ということか。

子育ての正解はマジョリティ教育なのだろうか、という疑問。

先ほど息子たちからの反論を書いたけれど、そこからわかるのは、『人間社会はモノガミーでなければならない』という洗脳が、既に彼らに染み込んでいる、ということだ。

致し方ないところもある。わたしだって長年その状態だった。それに、息子達はわたしのいない所……学校、児童館、テレビ、YouTube、映画、本などからも、どんどん知識を吸収している。それらのどこを見回しても、モノガミー至上主義、しかも『普通の男女』のモノガミー至上主義が罷り通っている。

わたしはモノガミーを否定しているわけではない。息子たちを取り巻く社会やメディアが、モノガミーが正常であり、ポリアモリーが異常なもの、という価値観の押し付けに繋がっているのは困りものだ、と言いたいのだ。

(とはいえ、価値観の無意識な押し付けと、『子どもが知らないことを教える』という作業とのバランスは非常に難しいところでもある。)

それに加えて、『親がポリアモリーであること』または『ポリアモリーの存在そのもの』を否定をしてくる人達が、既存の倫理観や社会規範を根拠にしていることが多いことを鑑みると、日本の基本的な子育て(教育)スタンスは、

『マジョリティであることこそ幸せ! さあみんな、マジョリティになろう!』

と推奨しているようなものだ。

ポリアモリー、複数の人を同時に愛すること、同時に愛してしまうこと、それでも誠実に関係を築いて行こうとする姿は、果たして『子どもを人間の社会規範からずれさせ、マイノリティに導く悪の要素』なのだろうか。

いじめについても、『親がポリアモリー(マイノリティ)だからいじめられるのではないか』という発想に呆れる。いじめられないために、親はマジョリティでなければならないのだろうか。

これは公立小中学校の保健の授業にて、LGBTQAがなかなかクローズアップされない、されにくい学習指導要領も絡んでいそうだ。

もう、『可哀想じゃないから!』と証明するのが一番。

友達、恋愛、家族、親戚、学校、仕事、宗教、国籍、地域などなど、人と人との繋がりの在り方は凄まじい数だ。生まれた場所で大きく左右されるし、その場所での人間関係の在り方が、必ずしも世界でマジョリティであるとは限らない。

子育てだって、『人と人との繋がり方』。大きく捉えれば、ポリアモリーもそう。わたしは、パートナーやポリー仲間たち、友人たちと子育てを楽しみたい。子どもたちにも、自分に関わる大人が、それぞれ違う仕事や考えを持っていて、辛いことも苦しいこともあって、でも自分たちと一緒になって遊んで、笑って、過ごしてくれることを知ってほしい。多数派に属するのか、少数派に属するかの二元論では人間関係は済まされないことを、教えたい。

「親がポリアモリーだと、可哀想」ではなく、

「親がポリアモリーって、素敵だね」

と言われる回数が多くなることを目指して、パートナーとわたしは、今日も明日もその先も、試行錯誤を続けていくだろう。





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