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され妻の夫は宇宙人 【完結済】あらすじと本文一

◆あらすじ
私は夫・太一、長女・沙耶、次女・恵茉の四人家族。今年は長女が高校受験の大事な時。中二の次女は初めての彼氏ができて、部活に打ち込み、青春中。そんな時、夫の不倫が発覚。相手の夫からは一億円を要求されているとわかった。太一は本気ではなかったというが……。相手は誰? 一億円って、払えないわ。誰が私を襲い、陥れようとしているの? これから私たち夫婦はどうなるの? 助けて。でも、家族を守れるのは、私だけ。だから、腹を括ることにした。

◆本文

 娘の恵茉が部活から帰ってきた。玄関を開けると外は小雨が降っていて、空気は冷えていた。思わず身震いする。ふとどこからか煙草の匂いがした。辺りを見回すと、誰もいない。縁石の端にまだ赤い火が少し残っている煙草の吸い殻があった。
 誰が家の前に捨てたんだろう。歩きたばこ禁止なのに。
私は煙草を踏みつぶして、恵茉を家の中に入れた。
「おかえり。どうしたの? 何かあった? 単語テストで落第したとか?」
 急いでタオルを渡すと、恵茉の様子がおかしい。冬で冷えたから顔色が悪いのか。どちらかというと、落ち込んでいるようにも見える。
「ちがう。単語テストは満点だった」
「よかったじゃない」
「そうなんだけど。うるさいなあ。彼氏と別れたんだよ」
 恵茉はカバンから単語テストの用紙を見せつけた。
「おお、百点。がんばったね」
 彼氏とは、恋愛初心者の恵茉には難易度の高い、棚田稜也のことである。恵茉は中学に入ってすぐに同じクラスの稜也に告白されて付き合った。
 人生で初めての恋人ができてひと月。稜也くんの心変わりによりフラれた。そして中学二年生になって、稜也とクラスが別れた。ホッとしていたのだが、六月。「やっぱり恵茉が好き」と二度目の告白をされて、恵茉はもう一度付き合うことにした。 
 付き合うと言っても、デートらしいデートも一度もしたことがなかったようだけれど。
 親としても、女としても、どう考えても、我が娘、恵茉が稜也くんの本命ではないことに気が付いていたが、恵茉は稜也くんを信じていた。
「理由は?」
 聞くまでもないだろうが、一応確認する。
「他に好きな人ができたんだって。今、十二月だよ。半年しかたってなくて他に好きな人ができたって、まただよ。信じられない」
 恵茉は大きくため息をついた。
 自分が学生だった頃、同級生で二人の子を同時に好きになっちゃったと騒いでいる男子がいたことを思い出した。
 そんな彼氏とは別れてよかったと思うけれど、やっぱりフラれるのはつらい。恵茉を慰めていたら、夕飯の買い出しが遅れてしまった。
「何か食べたいもの、ある?」
 出かけにリビングのソファで寝転ぶ恵茉に声をかける。
 買い出しを急がなくてはいけない。今日は沙耶の塾もある。お母さん業も大変なのだ。 恵茉の姉の沙耶は、現在中学三年生。沙耶も「恵茉は稜也くんに遊ばれている」と判断していた。ただ、夢中になっている恵茉に何を言っても聞かない。沙耶と私は、恵茉が振られたら慰めてあげようと決めていた。
雨が止んでいることを祈りながら薄手の羽織物を探す。傘を差してエコバック二つ持ちはつらい。正直、あるもので夕飯作りは澄ませたいが、冷蔵庫には食材があまりなかった。
「コーラとフライドポテトを買ってきて。ママがポテトは揚げてね」
「わかった。そのうちお姉ちゃんが帰ってくるから、玄関開けてあげてね」
 苦笑しながら、沙耶に先回りして恵茉の状況をLINEしておく。
『やっぱり。あの子、ぜったいまたやるって思っていたのよ。恵茉がかわいそう』とすぐに返信がきた。
 外に出てすぐに冷たい北風に襲われた。
寒い。手がかじかみそうだ。手袋持って来ればよかったと後悔した。
視線を上にあげると、家の目の前の建設中の病院に灯りがついていた。大きな建物である。明日から新しい建物で診察を再開すると貼り紙が貼ってあった。家の近くに新しい病院があるのはうれしい。実は狭心症で心臓カテーテル治療の手術をしたばかりなのである。この病院の旧建物の方で入院していたので、新しい病院で入院できていればよかったかなと思ったりもする。ちなみに夫の太一もこの病院の、眼科によく通っている。ご近所の駆け込み寺的な大きな病院だ。
「あの、すいません」
「はい?」
 振り返ると三十代半ばの男性が立っていた。好みにもよるのだろうけど、なかなかの好青年だ。道にでも迷ったのだろうか。
「あの、アプリの方ですか?」
「は?」
 一瞬何を言っているのか分からなかった。
 最近、この新しい病院の前で声をかけられることが多かった。先週も男性に話しかけられたんだよなあと思い出した。
アラフォーなのに、モテている? いや、待て。ありえないだろ。宗教とか、詐欺とか何かあるかもしれない。
「あ、いえ。すいません。違っていたようです。待ち合わせの人に似ていたので」
「そうなんですか」
 首をかしげているうちに男性はいなくなってしまった。
 アプリとは、出会い系やマッチングアプリのことだろうか。新しい大きい建物だからと言ってこんな病院の前で待ち合わせもねえ。もうちょっとセンスのある場所がいいんじゃないかと思うけど。
 雨がまた降り始めた。
 急いでスーパーを出ると、スマホの時計は六時を過ぎていた。家に帰ると、リビングで沙耶が恵茉のカウンセリングをしている最中だった。
「恵茉は男を見る目がないんだよ。どうして二回目も付き合うの? だから言ったじゃん、浮気癖がある人は治らないって」
「でもさ、稜也が私のことやっぱり好きだって言うし。まだ私も未練があったからさ」
「もっと警戒しないと」
「だってさ、また二股掛けるとか思わなかったんだもん。今度からそういう人とは付き合わないようにする」
 恵茉は口を引き結ぶ。
「好きって言われた人と全員付き合うわけにはいかないの。悪い人だっているんだから、ちゃんと選ばないといけないんだよ」
 沙耶の説教に恵茉は俯いた。
「さあ、ご飯にしましょう。今日はパパも帰ってくるわ」
「めずらしい。こんな早い時間に帰ってくるの?」
「ほんとだ。いつも十時じゃん。テレビ見れないじゃん」
 恵茉がだるそうに言う。
「いつもは仕事が忙しいのよ。仕方がないでしょ」
 もうパパが早く帰ってくると言って、喜ぶ年齢ではないか。沙耶と恵茉を見る。二人とも大きくなったなと思う。
 夫の太一を一応庇うと、
「どうせジムと飲み会でしょ。いつも残業なんて、嘘なんじゃない? 遊びまわっていてずるいよね。あ、私、塾あるから、パパを待たないで先食べるよ」
「私も食べるよ。お姉ちゃん、推薦入試受けるの?」
「推薦で受かったらラッキーだもん。今まで真面目に勉強したことを評価してくれるんだよ。推薦入試を活用しないとね」
 沙耶が恵茉に教えた。
「ママも食べたら? どうせ食べてきたって言うよ」
「一緒に食べようよ」
 沙耶と恵茉が誘ってくる。
「そう? 早い時間だし、パパもうちで食べるんじゃない?」
 子どもたちの言う通り、やっぱりパパは夕飯を食べてきたっていうかしら。あり得るわと胸をよぎる。
 もしかして、私が退院したばかりだから、早く帰ってきてくれたのかもしれない。
パパもたまには一緒に夕飯を食べたほうがいいだろうと思ったんだけど、沙耶と恵茉はお腹が空いているのだろう。仕方がないか。
「パパは、絶対、誰かと食べたよ。最近おかしいもん」
「嬉しそうにニヤついてスマホばっかりいじるし。今日は早く帰ってくるっていうけど、最近帰りが遅いよね」
 恵茉も沙耶に同意した。
「そうね、先に食べていいわよ。もうちょっとだけママは待ってみるね」
「いただきます」
 恵茉はフライドポテトに手を付けた。
「美味しい。ママが揚げてくれたフライドポテトなら、ニキビができないから安心して食べられる」
 高校受験を控え、厳しい顔つきだった沙耶も明るい表情になる。
「塩をもうちょっと振ってもいい?」
 部活してきた恵茉には塩分が必要だったようだ。もう一度塩を振ってあげると、嬉しそうに食べ始めた。
「推薦入試って大変なの?」
「作文と面接があるんだよ。学校によっては試験があったりするみたいだけど」
「そ、それはお姉ちゃん、大変だねえ」
 莉嘉は呑気な声だ。
「あんたも推薦入試を受けたいなら、ボランティアしたり、英検とったりして、成績と内申の点数を上げるんだよ」
「うわ、そんなことしないといけないの? 面倒くさい」
 沙耶の熱い語りに恵茉は肩をすくめた。
 玄関の開く音がした。
「おかえりなさい」
 慌てて迎えに行くと、夫の颯太は無言で洗面所へ向かった。
「ご飯できてるよ。食べる?」
 颯太の背中に声をかけるが返事はない。子どもたちの言うように、誰かと食べてきたのだろうか。
「パパ、おかえり。私、もう行かないと。遅刻」
「いってらっしゃい。自転車でも暗いから明るい道で帰ってきて」
「はいはい」
 沙耶が適当に返事をしながら、前髪を洗面台でいじっている。
「早く行きなさい。雨なんだからあ」
「なんだ、沙耶は塾か?」
「そうなの。推薦入試までもう少しだから追い込みなんだって。一月二十六日、あと三日よ。すぐに夕ご飯食べる?」
「ふーん。高校なんてどこでも受かればいいよ、受かれば。女だし、どこだって。あ、俺、ご飯はいらないから」
太一は背広を脱ぐ。。
 なんだ、先に食べてよかったのか。子どもたちの言う通り。でも、早く帰ってきてくれただけで嬉しかった。
 最近、太一は家の中で問題発言が多い。自分に自信があるのか、それとも逆に全くないのか。会社で嫌なことがあったのか分からないが、私や沙耶、恵茉を下に見る発言が多い。でも、ケチケチ発言が減ったようにも感じられた。私が手術してもうすぐひと月。もしかして気を使っているのかもしれない。
 実を言うと、太一は相当なケチだ。
「おかずは何? この肉、いくらした? これはどれくらいの値段なの?」
「唯香、お前も働けよ。俺の苦労を思い知れ」と何回も繰り返し言うのに、ここ数日言わない。心根を入れ替えるようなことがあったのか。恐ろしい。
 おまけに、いつもならプラスして「沙耶はどこの高校を受けるんだ。結果がすべてだからな」、「頭が悪いのは困る。うちの恥だ」とか、「お前の教育が悪いからだ」とワンセットで私を畳み込むのだ。
 女だからと言う割に、子どもたちの成績に関してはうるさかった。でも、この数か月言わないのだ。さすがに受験生を刺激してはいけないという配慮なのかもしれない。太一も親なんだなと思うことにしていた。
「女が勉強してもなあ。英語ができたってしょうがないんだぞ。甘え上手で愛嬌があるほうがいいよな」
 太一のわざとらしい独り言が聞こえてくる。
「はあ? 何なの? 人が一生懸命勉強しているのに」
「だから、夜遅くまで起きて夜食を食ってニキビを作ってまで勉強しなくてもいいって言っているんだ。女は見た目が命だからな。可愛ければいいんだ。お前はブスじゃないんだから、愛嬌よくすればいいのに」
「バカなの? もう話したくないんだけど」
 沙耶はぼそっとつぶやいた。
「いいから塾に行きなさい」
 私はそっと助け船を出す。
「そんな偏差値の高い高校行って、いい大学にでも行くつもりなのか? 女は馬鹿がいい。男より頭がいいと結婚できないぞ」
 太一の独り言は続く。これ以上は聞いていられない。
「ダルっ」
 沙耶は吐き捨てるように言って、玄関の扉を飛び出した。
 最近太一のことがよくわからない。結婚した当初はこんなに威張るような人じゃなかった。
 いつの時代の人なんだろう。思わずため息が出る。
最近、太一の女性蔑視発言がひどい。沙耶も恵茉も太一と話をすることを嫌がるようになってしまった。
 要は自分より頭がいいのが許せないのか? 自分よりいい大学に行ってほしい思いはあるけれど、追い抜いてほしくないのか。学歴のせいで嫌なことがあって複雑なおもいがあるのかもしれないけれど。
 高校入試も近い。沙耶と太一が衝突しないようにしてあげないと。太一が嫌味や偏見をぶつけなければ、沙耶も安全だ。沙耶のやる気が失せないようにしてあげないといけない。
 英語が好きな沙耶が行きたい高校は、英語で授業を行うことを売りにしているちょっと変わった高校だ。受験倍率も高いし、受験生のレベルも高い。沙耶はこつこつ努力して、成績も上げてきたのである。
太一が沙耶のことを放っておいてくれれば、沙耶は真面目に勉強するタイプなので、きっと合格するに違いない。
 それに、太一は沙耶の足を引っ張った過去もあるから、沙耶も警戒している。太一のインフルエンザのせいでこの前の英検が受検できなかったのだ。受験当日、沙耶は三十九度の熱を出した。
「英検受けないのか。軟弱だな」
 咳き込みながら太一が嫌味を言う。
「パパのせいだ。いつも夜遅いから、インフルエンザなんかもらってきたんだよ。いったいどこで遊んでんのよ! 娘が受験生なのに」
 沙耶が顔を真っ赤にして訴えた。
「これはお前と一緒のインフルエンザじゃないから。試験を受けられなかったのは俺のせいじゃないし。人のせいにするなよ」
 太一はゲホゲホと咳をする。
「うちでインフルエンザの人はパパしかいないんだから、このインフルエンザはパパのに決まってるじゃない」
「二人とも落ち着いて。パパも沙耶も自分の部屋で寝て」
興奮する二人を宥め、ベッドに戻るように沙耶を三階へ連れて行く。英検準一級を取って、内申書に書いてもらって推薦入試に有利になるようにと計画していたのにと沙耶はベッドでずっと泣いていた。
「お姉ちゃんがかわいそうだろ。パパ、お姉ちゃんに謝ったほうがいいよ」
 恵茉が三メートル近く離れて、太一に抗議する。
「俺のはインフルエンザじゃない。俺は認めない」
太一の声が階段でも聞こえた。
「医者でインフルエンザって言われたじゃん。毎日手洗いうがいをして、消毒薬もつけて、気を付けていたのに。外に遊びにも行かないで、英検の勉強していたのに。パパのせいで受検できないじゃない。変な病気、もらってこないでよ」
 沙耶は真っ赤な顔で二階のリビングにいる太一に向かって怒鳴った。
あの時、沙耶を慰めるのは大変だったんだよ。思わず遠い目になる。私も移ったら大変だから、マスクをして沙耶の看病をしたんだっけ。思い出してため息が出た。結局英検S-CBTを受けて、英検準一級に合格したからよかったものの……。
「おい、聞いてるのか? 俺、ご飯はいらないから」
 太一が怒鳴る。沙耶に嫌味を全部ぶつかられず、不完全燃焼なんだろう。
「そうなの? もしかして誰かと食べたの?」
 誰と食べたんだろう? 聞くとまた怒られるだろうか。それならば、もっと早く言ってくれればいいのにと内心思うが、表情に出さないようにする。
「ああ。あと、ちょっとしないといけないことがあるから部屋にいるから。上司が不倫してバレたんだよ。社内不倫はさすがにまずいよな。どっちかが辞めて、どっちかが飛ばされるからな。おかげでこっちに仕事が回ってきてさ、大迷惑だよ。社内はダメだ、社内は」
「そう、大変ねえ」
 社内を連呼する太一に顔を顰める。私が上司の奥さんだったら、許せないなあと思う。
「なんだよ、なんで俺を見るんだよ? 何かあるのか?」
 太一が私との会話を終わりにしたがっているのを感じた。機嫌が悪くなる前に、言わないと。
 私は慌てて手紙を見せる。
「あすなろ幼稚園の園長先生からお手紙が来ていたわ。私宛だけど」
「え? なんだって?」
 太一の顔が一気に青ざめる。
「一年程前から、システム構築について、何度も担当の棚田未唯先生に懇意にアドバイスしてくれてありがとうございますって書いてあったわよ」
「それだけ?」
「うん、一年前から何回も幼稚園に行っていたの? どうして教えてくれなかったの?」
「近くに取引先があって、最初は取引先の場所がわからなくて道に迷っていたら、幼稚園の先生が声をかけてくれたんだよ。沙耶と恵茉の卒園したところだったから、少し話をしていたらさ、システムについて困っているって言うから。取引先の帰りとかにちょこっとね」
「そうなんだ」
 うちには早く帰ってこないくせに、外面はいい。でも、卒園してしばらくするのに、わざわざ園長先生が手紙をくれるって気になるんだけど。
「幼稚園のシステムとか、全然、大したことなかったけどな。唯香は退院したばかりなんだから、身体を休めて? 一階の俺の部屋は冷えるから、リビングに行けよ。お前に死なれたら、みんな困る。早く元気になってほしいしさ。病気のことは心配ないから、俺が最後まで面倒見てやるよ。疲れたならもう寝ていてもいいぞ。今度の診察も俺が送ってやるから」
 太一が扉を閉めた。
 入院して迷惑かけたのに優しい。妙に優しい。もしかして、私がいなくて大変だったとか? ようやく妻としていつも頑張っていることを認められた気がした。
 結婚して十五年目。今まで八つ当たりされて、つらいこともあった。
 太一の部屋からパソコンのキーボードを叩く音が聞こえる。
 仕事を持ち帰っているのだろう。太一はシステムエンジニアの仕事をしていた。眼精疲労で頭痛持ちだ。道路の向かいにある、新しい建物になった病院がオープンしたら、受診も楽になるだろう。
 優しくされて、太一が私の身体を気を使ってくれた。やはり太一の根底には私に対して愛があるんだ。胸がじんわり温かくなった。と同時に病気になってしまい申し訳ない気持ちになる。
 落ち着いたら、またパートに出ようと思っているが、ひと月は安静にと言われている。子ども二人の進学費用もバカにならないから、頑張ってもう少ししたら働こうかなと思う。今は体力回復のための散歩がてら、買い物にでて、疲れたら休むという生活をしている。しかしこんなに病気の私を労わってくるのは、なんだか気持ち悪かった。優しすぎると思ってしまう自分が哀しい。もしかして何かあるんだろうか。
「最近さ、パパってどうなの? なんかあった?」
 リビングでは恵茉がまだカレーを食べていた。片方の手にはコーラの入ったコップが握られている。細い体のどこにそんな大盛りカレーが入り、フライドポテトも入っていくのか不思議だ。
「どうって?」
「だってさ、いつも遅いじゃん。仕事してるとか、ジムに行ってるとか。ジムの飲み会とかさ。本当にそうなのかなって」
「うーん、本当じゃない?」
 首をかしげる。
「でもさ、わからないじゃん。ママってさ、すぐ信じちゃうタイプでしょ?」
 恵茉に突っ込まれ、動揺する。
「確かにパパ、最近変よね。わかってるわよ。ママが手術したから、気を使ってくれているのかなって思ったんだけど。そんなに疑うなら探偵でもつけてみる? 結構お金かかるらしいわよ」
「ママさ、パパには気を付けたほうがいいよ」
 恵茉が真剣な顔で言う。
「うん。ありがとう。気を付けるね」
 何をどうやって気をつければいいのだろう。胸の中で問う。
「ゲームしてくる。ごちそうさま」
 恵茉はそういうと二階に上がってしまった。
フラれた直後の娘にまで忠告されてしまった。でもね、私は太一のことを信じたい。結婚して十五年になるんだから。大丈夫。きっと大丈夫。
 リビングで片づけをしていると、また恵茉がスマホを片手にやってきた。
「お母さん、あのさ……」
「うん? どうした?」
「いや、やっぱりなんでもない」
 恵茉はスマホの画面と私を交互に見る。何か言いたげである。
「稜也くんのこと?」
「まあね」
 恵茉は言いづらそうにしていた。
「LINEとか、嫌なら非表示とかブロックしてもいいんだよ?」
 フラれたばかりなのだ。心が苦しいだろう。私は小さく頷く。
「それはわかってるんだけどさ。稜也が変なこと言うからさ、気になっちゃって」
「うん?」
「うちの鍵ってさ、ギザギザじゃないよね?」
「うん、小さな丸い凹みがついているタイプだよ」
「じゃ、やっぱり違うよな」
「稜也がこれってうちの鍵か?って聞いてきてさ」
 恵茉がスマホの写真を見せてくれた。
「ちがうわよ。比較的新しいマンションや家はディンプルキーのところが多いの。うちは恵茉が幼稚園に入った時に建てたから、ディンプルキーよ」
「よかった」
 恵茉は小さくため息をついた。
 いったいどこの家のカギなんだろう? 稜也くんが聞いてくるって、どういうこと?
 首をかしげる。
 ちなみに太一には恵茉に初めての彼ができたことは言っていない。二回付き合ってフラれたのだ。太一に報告しなくてよかった。もし言っていたら、恵茉に何をどう言うかわからない。やっぱり太一に打ち明けずにいて正解だったと思う。
「おーい、俺がお風呂、沸かしておいてやるよ」
 太一の声が聞こえた。
「ありがとう!」
 太一が以前とは比べ物にならないくらい優しい。入院して悲しかったけれど、太一は改心したのかもしれない。
あとは威張り癖がなくなるといいんだけど、贅沢だろうか。
 結婚して七年くらい経った頃だろうか。
「風呂の順番は俺が一番」と言って、何時に帰ってきても一番風呂でないと怒ったり、トイレットペーパーが早くなくなりすぎると言って、「十センチしか使うな」と言ってきたこともあった。水道代が高すぎると文句を言いだし、これからはジムでシャワーを浴びて風炉には入らないことにすると言ってきたこともある。
節約を通り越して、生活に支障を来し、あまりのケチにうんざりした。でも、もしかして会社で嫌な仕事をしたり、上司にいびられているのかもしれないと思い、そっと見守ることにしていた。
ある時は、電化製品のコンセントをすべて抜いて、ビデオの予約に困り、リモコンに八つ当たりして窓ガラスを割った。イライラすると、太一はすぐに何かにあたるのだ。大変迷惑である。
 またある時は「お前は無駄遣いしすぎ」と怒鳴るので、しかたなく見切り品ばかり買うようにしていた。
「ゴミ置き場にあった見切り品のシールが透けていたのはうちのごみ袋だろう」
「そ、そうかしら?」
「俺のDMも透けて見えていた」
「じゃあ、うちのゴミかもしれないわね」
「あんなゴミ、出すな。みっともないだろう!」
「え?」
「見切り品のシールばっかり見えて、本当に恥ずかしかった」
 太一は眉根を寄せた。それからは家の郵便物の住所氏名のところを破いて捨てるようにした。
 ケチなのに見栄っ張り。そう、太一はいわゆるモラハラ夫だ。それでも、なんとか家族としてうまくやってきた。沙耶と恵茉もギリギリのラインで、太一を正面衝突しないようにしている。
 そして今、私の入院により太一は大きく成長したのかもしれない。太一の場合、私には優しくなったが、興味関心が子どもの出来不出来にうつったともいう。以前よりはマシなのか? マシに違いない。
ケチ発言の代わりに、「有名選手になって、俺を楽させてくれ」と言ったり、「バレーボール部でレギュラーを絶対取れ。何のために部活なんかやっているんだ」と恵茉にプレッシャーをかけるようになった。
「期待しても無駄。パパの子だから」
 恵茉は一言言って応戦しているが、太一のことをうざいと思っているのが丸わかりである。
  太一は沙耶と恵茉に避けられているのに気が付いているだろうか。反抗期だからくらいにしか思っていないのかもしれない。
私はため息をついた。
 あとは、とりあえず沙耶の受験が終わるまで、太一には、静かにジムにでも行って遊んでいてもらえたらいい。
来年は、恵茉が高校受験だ。とりあえず沙耶の受験が片付いたら、春休みに一度家族で旅行をしてもいいな。太一も前に出張にからめて家族旅行しないかって誘ってくれたけれど沙耶が受験だから断ったんだっけ。子どもたちもだんだん大きくなってきたから、親と遊んでくれなくなるに違いない。行けるときに行かないとね。
 誰もいなくなったリビングは、なんとなくまだ人の気配があった。私は一人で沙耶と恵茉の食器を片付け、キッチンで余っているものを食べた。今日のカレーは意外によくできている。明日のわたしの昼ご飯はカレーかな。
 そうこうしているうちに、沙耶が塾から戻ってきた。
「世の中、ヤバい男もいるって恵茉も学んだよね。次はまともな彼氏がいいな。何か食べるものある?」
 これから沙耶は二度目の夕飯である。
「サラダと夕飯の野菜スープがあるよ」
 太らないように夜食は豆腐サラダとスープだけ。高校生になった時、太っていたら嫌だから、太らない夜食にしてと沙耶に頼まれている。
「稜也くん、もとからヤバめだったもんね。インスタグラムの投稿、見つけちゃったんだけどさ。あの子、やっぱりチャラいし派手なんだよね。それに絶対他の女の子と遊んでるってすぐわかったよ。恵茉はおかしな男に捕まったわよね。今のうち別れてよかったわよ。パパは? 何しているの?」
 沙耶は嫌そうな顔をした。
「わからないわ。一階で仕事をしているか、筋肉トレーニングかしらね」
「パパってさ、外見ばっかり気にしててさ、なんか気持ち悪いよね。仕事って言うけど、絶対仕事じゃないと思う。ママ、パソコンの前に座っていれば、仕事って思っちゃだめだよ。平日の夜も土日もずっとジムでしょ。おかしくない?」
「そうよね。何かやらかしてなければいいんだけど。沙耶は受験だし、恵茉はバレーボール部で忙しいから、せめて沙耶の受験が終わるまで何事もなければいいと思うのよね。でも、やっぱりおかしいよね。太一を問い詰めてもね、逆切れするだけだし。困ったなあ」
「うん、パパに言いづらいよね」
 沙耶と私は顔を見合せ、小さなため息をついた。
 太一の様子がおかしいから現時点で探偵を頼むとか、私が尾行するとかはあり得ない。無理だ。お金もなければ、手術したばかりで体力もないのだ。
 こっそり太一のスマホでも覗いてみればいいんだろうけど、私には見せないように画面を隠すからなあ。ロックもかけているし、風呂場にも持って行って、湯船でもスマホをいじっている。
 それにモラハラ太一と正面から向き合うのにはパワーがいる。
 仮に「ジムに行かないで家にいて」と言ったとしても、聞かないだろう。
「俺の金で好きなことをして何が悪いんだ」と言い放った末、どっちにしろ行くだろう。とにかく自分のやりたいことを止められるのをすごく嫌がるのだ。
 話もアドバイスもまるで聞かない。こっちが言うだけ無駄とはこのことである。
 そういう男に「ちょっと怪しい」「本当にジムなの?」「何かしてるんじゃない?」って言える人がいたら教えてほしい。
「おい、何か食べるものないか? 小腹が空いた」
 太一が二階に上がってきた。
「え? パパ、食べてきたんじゃないの?」
「すこしだけな。ジムの横にある飲食コーナーでつまんだだけだからさ。そうそう、俺の同級生の太田って覚えてる?」
 そんな少ししか食べてないのに、夕飯はいらないというんだ。ちょっと不思議に思った。
「あ、二、三年前に結婚した?」
「もう離婚したらしい」
「へえ」
「太田が不倫して、あっちに子どもができたらしい」
「え? そうなんだ」
 私は眉を顰めた。太田さんの元奥さんの気持ちを考えるといたたまれなくなった。
「けっこう俺の周りは不倫が多いんだよね」
 太一はうらやましそうな顔をする。
「ふーん。パパ、不倫っていけないことなんじゃないの?」
 敏感に察した沙耶が太一の顔を見た。
「そうだけど。まあ、男にはいろいろあるんだ。俺の周りは婚外恋愛が多いんだよ。一時のものが多いかな。ま、大人の恋愛は子どもには分からないよ」
 太一は沙耶に口をはさむなと注意した。ムッとした沙耶はギロリと太一を睨む。
「どんなものが食べたいの? 今日はカレーだったけど?」
 冷蔵庫の中とパントリーの中を確認する。
「そういうんじゃでなくて、おかずがいい。できたら肉。米はいらない」
 明日の朝ご飯とお弁当に入れるための鶏肉の炒め物はあるけど。もしかしてこれを狙ってる? 警戒音が頭に響く。
「……鶏肉の炒め物ならあるけど」
「そういうのがいいね。俺の筋肉のために」
 やっぱり。小さくため息を逃す。
仕方なくレンジで温めて出すと、太一は「いただきます」もいわず、下を向いてスマホをいじりながら食べだした。
 明日の朝とお弁当のおかずを何か仕込まねば。予定外の労働だ。本当に嫌になる。
 夕飯を食べないなら、明日の仕込みの肉類だけねだるのはやめてほしい。計画が狂う。といっても、文句を言ったら、「誰が食わせてやっているんだ」とキレるのだろう。
 触らぬ神に祟りなし。さっさと作ってしまおう。
 冷凍保存してあった豚肉で生姜焼きの下準備をする。
「それはなんだ? それもいいな」
 太一がキッチンに入ってきた。いいなということは、食べたいってこと? 勘弁してほしい。
「明日のお弁当の生姜焼きですけど」
「それも食べたい」
「え?」
 やばい。ロックオンされている。
「いや、腹が減ってさ」
「ご飯も食べたら? 焼くのに時間がかかるから、ちょっと待ってね」
 驚きのあまり瞬きを数回。作業続行だ。豚肉を焼き始める。
「次の診察はいつ? 俺、一緒に行ってやるよ。お前の病気は俺がちゃんと治してやるから」
 太一は生姜焼きを口に入れた。機嫌が悪いわけではなさそうだ。
「ええ? いいよ、べつに。経過観察だし」
「手術したんだから、無理するな。手術の結果も聞きたいし。お前が死んだら困るからな。身体がきついならパートもしなくていいぞ。それに買い物も重いものは持たなくていいし。ネットスーパーもあるだろう」
「そ、そう? でもちょっとずつ体力戻したいから、買い物くらい自分で頑張ろうかな」
 私の返事は聞いていないようだ。太一はスマホを操作しながら話す。
「ああ」
 太一は適当に相槌を打った。
「ゴミ箱にあったクレジットカードの明細書、住所と名前がそのままだったから、破いておいたよ。あれって、佐賀のお店の名前が書いてあったわ」
「ああ。あれか。前に九月に家族で旅行しないかって誘っただろう? 佐賀出張のこと、覚えているか? その時の店だと思うよ」
「沙耶の高校受験が終わってからならいけるけど。今年の九月は追い込みだからって断ったの時があったわよね」
 私は記憶を呼び戻そうとした。


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