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自分を生かすもの

マイナスからゼロへ

こんにちは。チャンヌです。
6月は最高に鬱でした。
(最高に鬱って表現の謎)

3月に発達障害だと診断され、「あぁだから上手くいかないのか」と次から次に湧き上がる過去・現在進行形のエピソード。

「だから私はダメなんだ」
「自分はこんなこともできないのか」
「求められてもできないことが多すぎる」

そんな思いに苛まれ、日に日に失せていくエネルギー。
自分がいかに定型発達の人たちから離れているかを実感してはそんな部分を責め、自分の価値を見いだせなくなっていきました。

本来の自分のままでは認めてもらえない。

そう思い(込み)、自分の在り方を完全に見失いました。
何をしても無意味に感じられ、
ただ日々をこなすだけ、いや、こなすことさえ出来ない日もありました。

自分の判断に自信が持てず、常に「自分の考えは間違っているのではないか?」「この判断で良いのか?」というようなことを、日常の些細な面でも常に気にして生きていて、毎日毎秒、自分を疑っているような状態。
(これは今も続いている)

かつて自分が自分の人生にワクワクしていたような思いは一切消え、自分という個人がこれから何をどうして生きていきたいのかも全くわからなくなりました。

そんな時に飲み始めたADHDの薬、インチュニブ。
精神を安定させる効果もあるということで、服用をスタートし1ヶ月。
ここ最近は少し精神が安定してきたのは、インチュニブのお陰なのではないかと思っています。
やっと、自分がゼロの状態に戻った、そんな感じです。

元々チャンヌは、とにかくやりたいことが多い人間です。
更に、若かりし頃は行動力が半端なく、思いついたらとりあえず走り出すところがありました。
多少の失敗はあったけれども、その勢いがあったからこそ成し得たものがあることは間違いありません。

アイデアと行動力。
前に進むにはどちらもなくてはならないもので、どちらかだけでは形にすることはもちろん、動き出すことすらできないわけで。

ここ数年、過労のせいか多忙のせいか、はたまた老化なのはわかりませんが、アイデアだけはあるけれど行動力がない、といった状態でくすぶっていました。

表現者であること

話は変わりますが、先日とある方とお話をしていて、チャンヌは「自分の感情を言葉にすることが苦手だ」と言いました。
すると、その方は「言葉で表現をしなくたっていい。絵を描いたりモノを作ったり、歌を歌ったり、何かで感情を表現すればいい。あなたはそういう人」と言ってくれました。

確かにそうかもしれません。
チャンヌは、幼い頃から自分で何かを創り出すのが好きでした。
小学生の頃は絵を描いたり、物語を書いたり、ピアノを弾いたり。
高校生になると曲を書いたり、歌ったり、とにかく自分の中の世界にはそんなものが溢れていました。

その代わり、自分の思いや感情は、言葉にすることが極端に少なかったと記憶しています。

喜怒哀楽、特に哀しみと愛情に関しては表現が苦手で、書く曲の中でそういった感情を滲ませることで表現していたように思います。
それも、ダイレクトな歌詞は一切書くことはなく、まるで絵の具を水に溶かしてから画用紙に塗りつけるようなイメージで表現していました。全く不器用なもんです。

大人になってからも音楽を創ったり、文章を書いたり。SNSで発信することや、仕事、料理も、チャンヌの中では立派な表現活動のひとつと言えると思います。

自分で創ることへのこだわり

自分で創り上げる、ということへのこだわり、執着が強いのは、自分が「表現者」だからだということに気づいたのは最近のことです。

長男の保育園、学校で必要なものは、全て1から手作りしました。
筆箱やコップすら、世界にひとつしかないものでないと気に入らず、どれだけでも時間と手間を費やしました。今思えばどうかしてます。
(ちなみに次男は手がかかりすぎてそこまでできなかった)
 
料理も、そのクオリティはさておき、コンセプトやテーマを重視し、そこにそぐわない料理は気に入らず「失敗作」とみなします。

何かを創ることで、その時の気持ちや考えを表現しているのだ、と気づきました。
言葉で伝えるのが苦手だから。
自分の中にある世界観を、何かを創ることで表現してはじめて、自分が自分でいられるんだなと。

表現すなわち、生きること

だからか。
ここ最近、何も表現できていなかった。
自分が自分で考えたもの、自分の中に湧き上がってきたものを形にするということをしていなかった。
だから、自分でも自分らしさを感じることができず、自分を失っていっていた。
自分に価値がないように思えて、自分ができることなんて何もないように思えていた。

表現することを、やめていたからです。
日常でありながら表現活動のひとつでもある仕事や料理ですら、表現であることを忘れていたように思います。
それほど、自分の毎日に必死だったとも言えますが。

自分が活かされる方法は、ひとつしかない。
自分を愛し、赦し、肯定し、背中を押すことができる方法は唯一「表現をすること」なのだと、ハッキリとわかりました。

これまでもなんとなく、なんとなく思ってはいたけれど、チャンヌは自分が思っていたよりも「表現者」なのでしょう。

ここからは、自分がどう自分を表現していくかという旅が始まります。
これに気づけた今、無くなってしまっていた行動力がムクムクと出てきそうな気がしてもいます。
どういった形で自分を表現していくか。
方法は無数にあり、そのバリエーションを考えると久々にワクワクしてくる自分がいます。

ペースを誤るとまた立ち止まってしまうことになるから、ゆっくりと、ゆっくりと。
失敗すればまた少し戻って、ちょっと考えて、歩き出せばいい。
隣にはチャンヌのことを見守って、支えて、導いてくれるパートナーもいます。

やっと、少し自分に自信を持ち始めることができそうだ。
そんな風に感じ始めた今日この頃です。

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